第4話 好きな人の名前を付けて飼う。
「とりあえず。サァヤ、一緒に来てくれてありがとうございます!」
ちんまりとした芽々は麦わら帽子がよく似合う。
眼鏡の奥の瞳にはもう〝星〟は見えないけれど、夏の期待にきらきらとしている。出会った頃の胡散臭さはどこへやら。こうして見ると普通の女の子だ。いえ、すっごくかわいいという点で普通じゃないのだけど。
「ま、仕方ないから付いていってあげる」と言いつつ、わたしはかわいい女の子に弱いので、芽々に誘われたら山でも谷でもほいほいと行ってしまうのだった。
……わたし、根本的にちょろいな。
「山って、何しにいくの?」
「めっちゃ生き物の写真をとります。夏!って感じでしょ」
へへん、と芽々は首から下げた一眼レフを見せた。相変わらずサブカルで多趣味だ。
「いちお、捕まえる用意も持ってきましたけどね」
わたしの周りはどうも写真好きが多い。飛鳥もまめに撮るし、わたしも趣味は飛鳥の盗撮(公認)だ。
芽々のSNSにはキラキラのスイーツと田んぼのザリガニが違和感なく混在していた。「ザリガニも撮り方次第で
けど、山道を歩きながら「たまにはこういうのもいいか」と思う。一応わたしの身体は人間ではないので、夏の暑さという苦からは開放されている。とはいえ涼しいに越したことはなく、山の中のしっとりと冷えた空気は好ましかった。
それに、だ。
わたしはぶかぶかのジャージの袖を口元に寄せる。馴染みの柔軟剤の匂いの奥──微かに持ち主の気配がする。
えへへ……。
飛鳥のジャージを着ていると、なんだか抱きしめられてるみたい。
洗い立てだから気配を感じるのは九割気のせいなのだけど、それでもいい。
──実はまだ、わたしはちゃんと抱きしめたことも抱きしめられたこともなかった。
多少身体が接触することはあっても、両腕で力一杯抱きしめるという経験がない。ハグというものはよくわからないけど、きっと挨拶みたいなものだと思う。ついでに全身で相手の存在を感じられるというだけの!
いいなぁ……憧れる……。
けれど聖剣なんてものがある限りは、身の危険という本能的な憂いなくそれを味わうことはできなかった。
忌々しい……はやくぶっ壊したい……ばきばきにしてやるの……。
などと浮かれ心地と呪詛を織り交ぜながら坂道を登っていると、いつの間にか上流の澄んだ川辺に辿り着いていた。
岩場で小休止しながら、カメラを弄る芽々と話をする。
「それにしても、元気そうでよかったわ」
「芽々がですか?」
「だって落ち込んでたじゃない。この前から」
「あ〜……」
ばつの悪そうな顔をした。
芽々の様子がおかしかったのは前回の戦闘の後からだ。
「ほら芽々、魔法使いに逆らえないけど大人しく洗脳されてるフリして一矢報いてやろうとしてたわけじゃないですか。でも、そのせいで事態をややこしくしちゃったんじゃないかーって、反省したんです。何もしないほうが……お二人も、芽々を助けやすかったんじゃないかって」
「切り札も効きませんでしたしね」と苦笑する。
「別に気にしなくていいのに」
巻き込まれた側なんだから好き勝手に文句でもなんでも言えばいいのだ。魔王はわたしがバキゴキにしとくし。
「それにあの後、夢見が悪くてですね……」
「夢?」
「飛鳥さんの両腕がもげる夢です」
「両腕」
「両腕をハサミにして帰ってきました」
「聖剣が、ハサミに……」
芽々は頭を抱えて呻く。
「それはもう、勇者じゃなくて蟹なんですよ……!!」
──想像する。
両腕をチャキチャキ言わす飛鳥。
『蟹はすごいぞ。挟める』
──目眩がした。
「蟹はダメですひーくん、蟹キャラは……弱いんですよ……!!!」と、川辺に蹲りうごうごする芽々の背中をさする。
「ま、まあ。腕って結構千切れやすいものだから。気にしちゃだめよ」
わたしも竜によく齧られたし。
「なんのフォローにもなってねーですよ!?」
……危なくない戦闘なんてないからなー。
せめてわたしが前衛をできればよかったのだけど。いっそ危ないことは全部わたしに任せるっていうのもアリじゃない? 不死身だし。
──なんて提案を、あいつが聞くわけもないか。
どちらにせよ、だ。
すべてを知る敵はもう捕まえたのだから。
しばらくは無茶をする必要もないだろう。
──ええそうよ、ここからすべてうまくいくんだから!
もはやあいつはわたしの手の内にある。
……そう、わたしの狙いは決して表向きの『健康的で文化的な共同生活』などではない。
──真の目的は『退廃的で甘々な同棲生活』だ!
──話は退院前に遡る。
その日、飛鳥は退院後から夏休みにかけての予定を埋めていた。それはもう、バイトやらなんやらでギチギチに。
『そんなにお金に困ってるの……?』
『いや? でもあるに越したことはないし、暇だし』
怪我人が忙しくしていいはずがないし、そもそも手帳が真っ黒なのはどう考えたって暇じゃない。
けれど飛鳥は予定に空欄があることを「暇」と認識し、隙あらばと用事を入れる。
勤勉? そんな可愛いものじゃない。あれは「暇=悪」という一種の
──そう、あいつはまだ異世界時代の365日強制労働ブラック体制が、身に染み付いているのだ!!
わたしは思った。多分次は過労で倒れる。
──このままじゃいけない。絶対。
夏休みだぞ!!
もっとだらだらしろ!!
退廃的に夜更かしして遅起きとかしろ!!
あとわたしと遊べ!! わたしと!! わたしと遊びなさいよ!!
──なんて甘えは、表には出さないのだけど! わたしは物分かりの良い、都合の良い女でいたいので。
だから本音は内側に隠し、ゆっくりと沼に引き摺り込むのだ。
ふふふ……精々そのまま油断していることね。
そのうち絶対に甘やかしてやるわ。ずぶずぶにして堕落させて負かしてあげる。
クーラーのガンガンに聞いた部屋で一日中怠惰に眠る幸福というものを、その身に刻み込んでやるんだから……!!
「……サァヤ、何ひとりで悪い顔してるんですか?」
「はっ……!?」
意識飛んでた。
◆
芽々をそっちのけで、わたしが自らの企みに溺れていたところ。
「あ、サワガニ!」と立ち直って芽々は写真を撮りに行った。けれどそのすぐ「うきゃっ!?」と悲鳴を上げて芽々がわたしに抱きついてくる。
「や、すみませんその……ムカデが……」
見ると、芽々が先ほどまで撮っていたサワガニの集まりの中に大きなムカデが乱入していた。ムカデは蟹の一匹に噛み付いている。食事中らしい。
罪のない虫には悪いけれど、今のわたしは芽々の味方だ。枝でムカデを引き剥がしてその辺にぽいと投げる。
「終わった」
「サァヤ〜〜!! めちゃ好き」
「まあこの程度? お安い御用だわ。ふふっ」
騒ぎでサワガニは散り散りになってしまったけど。と、足元を見て気付く。一匹のサワガニがまだ逃げずにいた。おそらくさっきのムカデに食われたのだろう、片方のハサミがなくなっている。
それはなんだか弱っていて、死にそうに見えた。
…………。
「ねえ芽々」
「なんですか?」
「……サワガニって、飼える?」
「サァヤってー、庇護欲に弱いですよね」
うるさい。自覚はあるの。
芽々に虫籠を借り、サワガニをそっと中へいれる。
「名前どうしましょう。わたし、生き物を飼ったことないの」
「なんでもいいんじゃないですか? 一号とか二号とか」
なるほど、適当でいいのね。
「じゃああすかで」
「え、マジでいんの? ペットに好きなやつの名前つける人」
うちの母親は
籠の中の蟹に囁く。
「あすか、強く生きるのよ……」
「えぇ……流石の芽々もドン引きです」
なんでよ。
「ま、まぁ人の趣味はそれぞれですよね! 折角なので、もっと捕まえて帰りましょうか!」
「そうね。一匹じゃ寂しいし」
網を持って前を行く芽々を追いかける。
ふと、下を見る。籠を大事に抱えたわたしの足元で。さっき投げたはずの毒虫が、千切れた腕を喰っていた。
わたしはその光景をじっと見つめて。無言で、それを踏み潰す。
「? どうかしましたか」
「ううん。なんでもない」
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