第33話 戦闘中にイチャつくべきではない。



 魔術による隕石。熱を帯びて輝くそれは灰色の空に尾を引いて、橋を砕く。

 直撃を避け、威力こそ剣と魔法で相殺したが。俺たちは呆気なく衝撃及び崩落に巻き込まれた。

 落ちた先の川縁。瓦礫を退けて互いの無事を確認する。被害は土埃と泥に塗れた程度だ。

 既にどこかの骨がミシミシと逝った気がするが、気のせいだろう。俺は毎日牛乳を飲んでいるのでこの程度で骨が折れたりしない(自己暗示)

 焼き焦げたドレスを引き摺って、咲耶が瓦礫の中から出て来る。あいつは鈍臭いので、既に一回死んだかもしれない。

 戦闘については互いが互いに不干渉だ。やり方に口を出さず庇いもしない。自分の身は自分で守れが鉄則だ。それは元敵同士という経歴の名残でもあり──その程度はできて当然、負傷は単なる必要経費、その責を問うことは互いに無し、という不文律だ。


 して、追い討ちのように再び魔術いんせきが降るのだが。


「よく考えたら一撃で俺を殺せない時点であれは隕石じゃないな?」

「知らないわよ! 好きに定義しなさいよ!」

「よし勝てる」

「ばか!」


 隕石は浪漫なので絶対の最強であってほしいし、一撃で俺も世界も消滅させて欲しい。それができない時点でアレは単なる空から降る岩である。落石。

 暗示により集中を高める。魔女が後方より合わせて魔術の脆弱性を暴き、衝突の直前、こちらが斬撃を飛ばし魔術を壊す。再びの塊は真っ二つに瓦解した。

「やるじゃん」

「おまえもな」

 連携は苦手だ、と思っていたが。いがみ合うのをやめたおかげか、異世界かつてよりもスムーズだった。



『もう少々盛大に降ると思ったのだが。あまり楽しくない絵面だな。安直な繰り返しは芸がない』


 どんな魔術も冴えない威力しか出ない地球仕様に幻滅したように、魔王が呟く。

 隕石(偽)衝突の隙に結界が強化も為されたのだろう、辺り一面の風景は様変わりしていた。

 壊れた橋の残骸は形を新たに形成し、黒く高い尖塔を作り上げていた。阻む赤の水面はいつの間にやら足のつかない深い海へと改変されている。

 眼前の光景はまるでいつかの魔王城を前にしているかの様。つまり──ヤツに有利な陣地である。


『遊び心を忘れた生き物は獣だ。どうせ見上げるならば世を破壊できない隕石よりも。ささやかに流れる星々の方が楽しいだろう』


 暗雲の空高く。静止した雨粒のひとつひとつが瞬き──否、雨粒ではない。

 そのすべてが光り輝く隕石ほしに改変されていた。



『──貫け、流星雨』



 星のあめが、降り注ぐ。



「っ、上書きする!」


 だが、魔女でも相殺できたのは半分まで。元が推定降雨量一ミリの弱い雨といえ、防ぎ斬るにもキリがない。一歩踏み出せば容赦なく肉体に風穴が開くだろう。それを防ぐための装備も今や失くした後。掠めた雨の矢はただのシャツの布地を容赦無く破く。そして踏み出そうにも眼前は深い海。翼ある敵にやいばは届かず、斬撃を飛ばせる程度では高度が足りない。

 

 ──あめ外堀うみに阻まれて、敵はあまりに遠かった。

 距離が、詰められない。


『もう終わりかい?』


 まったく認めがたいが、魔王ヤツは強かった。現世で弱体化しているはずなのに……いや、違う。

 これは──俺が・・弱く・・なってる・・・・のか・・


 身体が鈍っている、ということはないはずだ。戦闘は見据えてあった。勘が鈍らないよう鍛錬も咲耶との手合わせもこなしてあった。なんなら事態を把握してより二週間も放置していたのは、鍛え直すためだ。

 だが──そもそもの出力が下がっていた。俺は精神以外は純正に人間だったとはいえ、異世界むこうにいる間は異世界の法則に最適化していたのだ。即ち、飲まず食わずで稼働でき、手足が千切れようが致命にはならず、敵が空を飛んでいようが殺せるような。勇者やくわりを果たすに十分な人間として。


 しかし現世に帰って早四ヶ月。今や少し飯を食ってないだけで倒れ、風邪を引きかけ、怪我の治りすら遅い始末。どれほど鍛え直そうとも身体のリミッターを外そうとも──全盛かつてには届かない。


 ──いつの間にか〝普通の人間〟に戻っていた。

  

  その事実を嘲笑うかのように、避けきれない矢が頬を掠めた。

  血を拭う。


「──ああクソッ! 大見得切ってこれかよ! ダッセェな!!」


『戻るに越したことはない』と確かに言った。だが、じゃ・・ない・・


 隣、事態の不利を理解した魔女が口を開く。


「ひとつ手があるわ」

「飲もう」

「即答?」

「信頼だ」


 溜息が聞こえる。


「わかった」


 がり、と唇を噛み切って。血の滲んだ唇が言葉を発する。



「どうなっても……責任は、取るから」



 どういう意味だ、と言おうとした。言えなかった。

 彼女の手が、裂けた頬を包み込む。ひりつく痛みに気を取られた、その一瞬の間に。



 ──口が、柔らかな感触で塞がれる。




 ◇◆




 その、やわい感触の正体を理解するのを脳が拒んだ。口が塞がれている。見開いたままの視界には彼女の閉じた目蓋があり、睫毛が雨に濡れ重く垂れ下がっている。両手には未だ頬を掴まれ、逃げ場がなく、そして思考はようやく結論を出した。口は、口によって塞がれていた。

 彼女の濡れた唇は冷たく、けれどすぐ、熱が中へとねじ込まれる。熱い口内は甘く、ほんの僅かに鉄の味がした。彼女の血だ。



「……っ、はぁ」


 彼女は唇を離し。息を、継ぐ。


 彼女が赤い舌で唇を舐めたのを見て。得体の知れない痺れと甘さが口内をまだ焼いているのを認識して。

 ようやく、この行為・・・・なんと・・・言うのか・・・・を理解し、絶句する。 



「な……、──なんで今キスした!?」


 想定外への動揺、不意打ちへの怒り、疑問が滅茶苦茶になって完全に思考が渋滞のち停止。

 ──あり得ない、不健全すぎて死ぬ、人類にキスは早すぎる! というか──舌は、駄目だろ!!

 こんな行為ものが許されていいわけがない!!!



「咲耶、ふざけっ……!!」

「静かにして。まだ動かないで」


 上気した頬。潤んだ瞳。震える声。頬を離さぬ指先。


「『定義する』」


 真っ直ぐにこちらを見据え、彼女は唱える。


「一滴、あなたはわたしの血を飲んだ。一滴分、あなたはわたしにかしずき従わねばならない」


 ──祝福の、まじないを。


「今これより、あなた・・・竜よ・・。あれが星喰いの竜ならば、おまえは竜すら喰らうわたしの剣だ。ならば、『同じ竜に喰らいつけぬ道理がない』」


 ──口付けこそは、もっとも強い魔法のろいだ。


「竜殺しの竜たる剣に。願いの果て世かのセカイすべての悪竜の母にして娘である、緋海の魔女このわたしが命じましょう」


 魔女の血はそれを飲んだ者に、力を与える。脳を焼くほどの、力を。



「『──喰らいつけ』」



 そのめいに、脳の中で火花が弾けた。四肢が煮えるのを錯覚する。力が漲る、なんてものじゃない。全細胞が別物に作り変わるような強化の感覚と──獰猛な高揚感。全盛期の縁に手がかかる。しかして代償に、思考が、理性が、どろりと溶けかかる。溶けたのは、自制心ブレーキだと直感する。



「……加減できないぞ」

「合わせるわ」



 信頼に、言葉を尽くす必要はない。




 ◇◆




 空中より、彼らの様子を見下ろしていた魔王は。魔術を行使しながら『なるほど』と小さな顎を撫でて──


『……なんだ今の!? ボクは教えてないぞそんな呪い方!!』


 耐えきれずに叫んだ。


 魔女の口付けの意味を当然、魔王は知っている。だが特定の感情が付随しなければ意味のない代物であり、異種族たる竜の城では使い道もなく、教える必要はないと判断した。

 何よりも──破廉恥な物事を弟子に仕込むのは、師として最低。


 悪逆非道、人畜有害、世界を良心の呵責なく滅ぼさんとし、魔女を生贄とする魔王だが。師匠心おやごころだけは有ったのだ。


 そんなささやかな気遣いは目の前で無に帰した。完全に動揺したため、勢い余って魔術の威力が倍になった。動揺するとうっかり力むし、うっかり流れ星を増やしてしまう。うっかり。

 飛んでくる魔術ほしを斬りながらも食ってかかる被害者、もとい勇者。


「うるせぇ! こっちだってこんな、こんな……!!」




「──初めてだったんだよクソが!!!!」




『いや、知らないよ!!!』




 この時、勇者と魔王の感情は奇妙に一致した。

 ──何が悲しくて敵前で口吸いをされなければ、しかも初物を奪われなければならない?

 ──何が悲しくて弟子むすめの非常に破廉恥で秘すべきプライベートな行為を見せつけられなければならない?

 おのれ魔女。いくらなんでもやっていいことと悪いことがある。 


 一方、彼らの怨念を一身に受ける魔女だけがけろりとしていた。

「そういうのいいから。さっさとろ?」とか言う始末だ。

 なにせ彼女は覚悟などとうに決めていた。恋と愛のためならば手段を選ばぬ乙女はもはや、無敵である。

 ──無敵とはつまり、何を・・しでかすか・・・・・分からず・・・・恐ろしい・・・・、ということである。



 魔王は萎えた。




『………………帰っていいかい?』


「帰れ!! ひとりで!!!」

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