第32話 恋の証明を。
夜雨の降る、壊れかけた橋の上。わたしは彼に答える。
「『遅かった』って、ひどいわ。これでも急いだのよ?」
「そうか。ヒヤヒヤしたよ、もう戻って来ないかと思った」
心配というには、口調は飄々としていて疑わしいけど。多分本気で言っているのだろうと思って、少し笑う。
「……戻ってこない、か」
──昔の夢を見て、思い知ったことがある。
いつか、『誰も殺さなかったのならば悪くない』と彼は言った。
けれど未遂だって立派な罪だ。そのことに目を背けないのがせめてもの矜恃で。そのことに、微塵も後悔も反省もしていないのが何よりの罪。
世界を滅ぼすと決意した、その瞬間から。わたしはどうしようもなく
わたしはわたしの正気を証明することが叶わない。だから。
間違えずに済む、保証が欲しかった。
「ねえ、飛鳥。もしもわたしが、戻って来れなくなったら」
──いつかわたしが、致命的に踏み外してしまったら。
「あなたが、殺してくれる?」
わたしは彼の、目を見つめる。
お互いに口にはしなかった。けれど〝不老不死をどうにかする方法〟なんて、最初からひとつ確実にあるのだ。
竜殺しにして魔女殺しの剣。世界でただ一人、彼だけはわたしを殺せる。
──わたしは、自分が誰であるかも忘れて、大切だったものを踏み躙るくらいなら。死んだ方がましだ。
わたしの問いに。飛鳥は笑わず、目を逸らさず。
「心配するな。その前に止めてやる」
いつかのように『倒しに行く』とは言ってくれなかった。
「一番悪い未来を想像するのはおまえの悪癖だな。今言うべきはそうじゃない。だろ?」
「そう、ね。そうだわ」
深く息を吸う。眼前には、かつてわたしを奈落に落とした
──わたしたちはもう、敵じゃない。
言うべきことを、言う。
「助けて。あなたの、手を貸して」
正解、とあなたは笑った。
「俺は君の味方だ。君のために剣を振るおう」
日の落ちた、灰色の雨の景色の中。その目は、その横顔は揺るぎなく。いつだってあなたはわたしの欲しい言葉をくれる。
ずるい、と思った。釣り合わない、といつもの卑屈が首をもたげそうになって。わたしはそれを振り払う。
──それでも、側にいることを許してくれた。
──それでも、側にいたいのだと願った。
ならば。走り続けなければならない、とわたしの教訓が囁く。
──わたしの全霊は、あなたに並び立つために捧げよう。
愛が責任ならば。きっと恋の定義は、憧れを追うこと。『あなたにはとびっきり素敵なわたしを見せたい』と願うことだ。
その願いを以って。わたしは、わたしの恋を証明しよう。
──あなたの隣で。
◆◇
雨が降る、壊れた橋の下。壊れた玩具の銃を抱え、寧々坂芽々はただ景色を見上げていた。
橋の上、我を取り戻した魔女を前にして。
魔王は雨風にも折れてしまいそうな少女の体躯を折り曲げて笑う。
「く、ハハハハ……ああ、なるほどようやく分かったよ。つまりボクは、キミたちの恋路の
芽々に取り憑いていた、とはいえ。現世に顕現していない以上、竜にできたのは芽々と話をすることだけだ。芽々は彼らの関係を決して言わなかったし、竜は人の子の色恋には疎かった。
「まいったな。師として弟子の
人でなしが人生を語り、心底悲しそうに溢す。
「ああ本当に、悲しい。──おふざけもここまでだ、なんて」
声が低く変調する。
『名を明かそう。我が銘は
自虐めいた
『だが。
姿形が変化する。小さな頭に大きな角が。片腕の欠けた身体に翼が。白皙には黒鱗が。
さながら人と竜が混ざり合ったかのような、その姿は化物のそれだった。それがよりにもよって、自分と同じ顔をしている。
『さぁ、最終決戦を始めようか。何度でも』
この世にあってはならない
──動悸が激しい、息切れがする。瞳の星はか細く消えかけていて、もう異界との繋がりは断たれようとしていた。
「芽々」
雨音にもかき消えない、通る声が頭上から聞こえた。
はっと声の方を仰ぐ。二人の目がこちらを見ていた。
「先に帰ってろ。俺が落とし前を付けておく」
「ごめんなさいね、気負わせて。後は任せて」
どうしようもなく、絶望的なまでに理解した。
──
だから芽々はこくりと頷いて、砂利の地面を駆け出した。
「定義しよう。『俺たちが最強だ。二人ならば、恐れるものなどひとつもない』
──勝ちに行くぞ!」
「ええ!」
結界の
眼鏡がないせいで視界はグニャグニャに歪みきっている。目の前に広がる赤い海が、自分の幻覚なのか結界の影響なのかもわからない。
けれど。崩壊した砦のように上書きされた橋の上。
剣を掲げる、揺るぎない背中を見た。
その隣に凛と立つ、魔女を見た。
灰色の雨の中、宙に浮かぶ怪物に立ち向かう二人の姿が。
歪んだ視界の中で鮮やかにくっきりと、見えたのだ。
──ああ。これこそが。憧れた〝本物〟なのですね。
最後に目に焼き付いたその景色を。寧々坂芽々はきっと、一生忘れない。
◇
芽々は結界の外に出ていった。そろそろ異世界との接続も切れたはずだ。もう結界の中を覗き見ることも、巻き込まれることもないだろう。
あいつ、ずぶ濡れだし風邪引かないといいのだが。なにせ六月の川はめっちゃ冷たい。俺も「早く帰って風呂入りたい」の気持ちが六割だ。
向き直る。
「随分とあっさり見逃すんだな、竜」
『本来、竜は人好きなのさ。こちらの世界の人間に手をかける気は無いよ』
……悪逆非道の魔王が何を言ってるんだ?
『世界にはそれぞれその世界のルールがある。半分
どちらにせよ。世界の平和を守る必要はないっていうのは軽くていい。
世界の命運なんざ背負うのは二度とごめんだ。
『存在の強度が高い世界ほど、寿命が長く滅びにくく魔術による改変がし難い。……この世界に生きるキミたちは滅びの危機なんて考えたこともないんだろう。まったく羨ましい限りだ。憎たらしくて──』
半人半竜の姿で。魔王は指を天に掲げる。
雨が、ピタリと止んだ。
『──星でも降らせてやりたくなる!』
それは願いであり呪文であり宣言だった。
暗雲を、燦然と輝く巨大な星が食い破り、
雨粒の代わりに降り迫る熱量の塊。それは圧倒的な破壊の呪詛が込められた禍々しい流星だった。
「……あっ、ヤベ」
空を見上げて呟く。
「──俺、隕石には勝てん」
最近、隕石への愛を語りすぎたな。
愛を語るのは即ち自己暗示の呪いである。つまり、しこたまに暗示が効いて戦う前から心が隕石に敗北していた。
……なるほど、好き嫌いは弱点になるから勇者に自我とか感情とか要らないわけだ。納得した。
「……あんた」
隣で咲耶が、ものすごい目でこちらを睨んでいた。
「ばっっかじゃないの!!?」
俺もそう思う。
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