第15話 わたしはあなたにもう一度恋をする。
わたしは、彼への返事を探し続ける。
何を言えばいいのだろう。
はっきりと、くっきりと答えたい。
けれど明確な言葉が、見つからない。
話は終わったからと飛鳥は帰り支度をしていて、望遠鏡を片付けていた。
「あ」
突然、何かを思い出したように。
「どうしたの?」
「昔の夢、っていうか。何をやりたかったのか思い出した」
──いつかの帰り道で聞いた。
『あなたは昔、何をやりたかったの?』と。
けれどその時、飛鳥は『忘れた』と言っていたのだ。
……そう、やっぱり。
「……一番遠くまで、でしょ」
わたしが先回りして答えると、飛鳥はちょっと驚いたように言う。
「そうか。昔、文月に言ってたな」
わたしにとって何度も思い返した大事な会話も、アイツにとっては大したことのない話なのだろう。
「よく覚えていたな」
「何度も思い出したもの……
「暇て」
「ほとんどお城に引き篭もってたからね。あんたと違って」
「そりゃお互い、正体に気付かないよなぁ」
空を仰ぎ見る。
いつのまにか随分と暗くなっていた。
月のない空は深い。
足元の明るい懐中電灯が、彼の横顔を照らす。
「でも……」
飛鳥は、ぽつりと言う。
「──たいしたことなかったな。一番遠いところ」
あの世界は、地球の裏よりも宇宙よりもずっと遠い。
胸を押さえる。
──ああ、そうか。あなたの夢は叶ってしまったのだ。最低な形で。
振り向く。
「もういいや」
その笑みは。苦笑にしては思い切りが良くて、無邪気というには錆びていて。
その眼は。腐ってはいないけれど、輝いてもいない。
わたしは気付いてしまった。
──これは。『昔』と『今』が半々の笑い方だ。
……ずっと思っていた。
わたしが好きだった『日南君』の構成成分は、すっかり彼の中からなくなってしまったのだと。
そうじゃない。
あいつは今でも遠いところが好きで……同じものを愛したまま、ただ、夢に見なくなっただけ。
どれほど変わっても地続きなのだと理解してしまった、その途端。
わたしは、多分──今の飛鳥にも、恋してしまえるのだと思った。
心臓をぎゅっと、握り潰す。
「もう、どこにも行かないでくれるの……?」
漏れ出た言葉。
飛鳥は不思議そうな目でこちらを見る。
わたしの言葉の意図が、わからないのだろう。
……わからない、はずなのに。
わたしの声が、震えていたからか。
飛鳥は安心させるように、静かに笑って、
「大丈夫だ。俺は、どこにもいかない。ちゃんとここにいる」
──わたしの欲しい言葉をくれる。
くら、と目眩がして、頭がどうにかなってしまいそうだった。
──かつて。
わたしは、あなたのことが好きだった。
けれど同じ夢を見れないことに、引け目があった。
縛ってはいけないのだと、身を引いた。
日南君にはもっと相応わしい誰かが、いるに違いないと信じていた。
でも、彼は。もう昔と同じ夢を見ない。
それは──かつての引け目すら、存在しないということだ。
心臓がうるさくなる。
──どうしよう。
天秤が、釣り合ってしまう。
昔のあなたはどこにでも行ける人だった。
好奇心と憧れを屈託なく追える人だった。
だからこそ、好きだったのに。
わたしはあなたがもう、遠いどこかに憧れたりしないことが悲しくて。
でも、『もういい』と言ってくれることが。
わたしの側にいてくれるということが……浅ましいほど嬉しかった。
──ありえない。
だってこれは、好きな人の不幸を喜ぶことと同義だ。
どこまでも
喉の奥まで迫り上がる気持ちは絶望的に甘くて、吐き気がした。
この感情の名は、どうあがいたって〝恋〟だった。
ほら、やっぱり。
恋、恋、恋なんて、汚らしい。
嫌いだ。嫌い、でも……本当に嫌いだったのは恋ではなく、恋心に身を任せると醜いことを考えてしまう
でも、どうしたって切り離せないから。
わたしはどうしようもなく、あなたのことを好きになってしまうから。
わたしはわたしの醜いところに、向き合い続けなければならないのだ。
きっと、ずっと……死ぬまで。
「あ、でも」
その声に、吐き気を隠し通して顔を上げる。
「咲耶と一緒なら、どこに行くのも悪くないな」
飛鳥はあっさりとさっきの言葉を撤回した。
自分の夢が終わっていることをまるで気にしていないみたいに。
唖然とする。
相変わらず失ったものに無頓着だ。
そういうところ、人間としてどうかと思う。
「咲耶だって行きたいところ、沢山あっただろ? 折角地球に戻ってきたんだ。一個一個制覇していくのもいいな!」
……駆け落ちって言ったのは、あながち冗談じゃなかったのかもしれない。
なんかすごいことを言われているのは、わかる。
でももう心臓がめちゃくちゃなので、恥じる余裕すらなかった。
多分、後でひとり思い返して『わー』とか『ひゃー』とか叫ぶだろう。
「……あれ? もしかして俺、空港の金属探知でひっかかんじゃね?」とくだらないことで悩み始めた飛鳥に。
わたしは「そもそも行きたいところがあるなんて勘違いだ」と正そうとして──やめた。
────簡単な選択肢が、ここにある。
この恋に目を背けて逃げ出せば。
わたしはわたしの醜さに向き合わなくていい。
でも、わかっている。
わかっているのだ。
たとえこの感情が、綺麗じゃないとしても。
わたしが受け取ったあいつの覚悟の重さを、知っている。だから。
──逃げたくないな、と思った。
わたしは、こうなったあなたも、紛れもなく
どうやら過去は取り返しがつかないものではなくて、未来は悲観するほどのものではないらしい。
だから……あと、足りないのは──わたしの覚悟だけ。
「ねえ」
唇が震える。
声が上擦る。
それでも、わたしは口に出す。
「──いつか、恋人にしてくれる?」
問いの形をした、告白の答えを。
薄ら暗い夜空を後ろに、青い両眼がこちらを見返す。
その青は真昼の空にしては暗すぎて、夜にしては鮮やかすぎる。
綺麗、などとは思わない。
昔の黒の方が好きだった。
でも、嫌うには真っ直ぐすぎる目で、言う。
「君が望んでくれるのならその先まで」
恋人のその先、って、つまり。
「……愛人?」
「このアホ」
デコピン。
「あう」
仰け反って額を押さえた後で、少しも痛くないことに気付く。
ありえないほど手加減されていた。
なんなら仰け反った時にべち、と身体に当たった三つ編みの方が痛かった。
見上げた飛鳥は、今にも文句を百個並べそうなしかめ面で。
「言わせんな。言えねえけど」
「……うん」
俯く。
その先、そのさき、かぁ……。
四音を、ゆっくりと噛み締める。
つまり、
じわりじんわりと、血が上るのを感じた。
◆
「というわけで」
重たいような気不味いような、あるいは甘ったるいような、妙な空気を打ち切るように、飛鳥は手を叩く。
「デートしようぜ! 遊びに行こう。ほら、例の件の具合次第で、もしかしたら速攻で
言われて、はたと気付いた。
「……あなた、もしかして」
「わたしと遊びたかっただけ?」
「そうだよ!!!」
びくっとする。
飛鳥はくわっと目を見開いた。
「だから、月曜から言ってんじゃん『デートしよう』って! 俺は最初っからそのためだけに話してたよ! 今までの話全部、マジでそれだけだ!!」
……あっ、下心ってそういう!?
「なんで、遊びに誘うだけでこんなに面倒くさくなるんだよおまえは〜〜!!」
身振り手振りまで付いた心底の呻きに、おろおろとする。
「ご、ごめんね? えーと、ラーメン奢るから許して?」
「……おまえ、ジャンクなの好きだよね」
顔をあげた飛鳥はぶすっと不機嫌そうなままだった。
ラーメンでも、機嫌が取れない……!?
「餃子もつけるのに!?」
「そういう話じゃないんだよこのアホ」
怒られた。
チャーハンもつけるのに……。
「おまえ、わかってる? あっこれわかってないな? ……いや、説教はあの人がするだろうから、いいか」と飛鳥は言っているけど。
……あの人って、誰?
わたしがそれを聞く間もなく。
飛鳥がこちらを横目に見て言う。
「ま、このくらいは。せいぜい煮卵半個分が妥当だな」
「……それ、わたしの悩みなんて50円くらいの価値しかない、ってこと?」
飛鳥は片付けた荷物を担いで、
「さぁな」
そう、笑って。
そのままさっさと先に、屋上の扉へと向かってしまった。
「ま、待って!」
「はいはい、いくらでも待つから。はよしろ」
「厳しい……」
「は? 何言ってんだよ甘いだろ」
「行こうぜ、ラーメン屋。美味いところ思い出したんだ」
……多分、さっきの『さぁな』の意味は『正解』なんだろう。
わたしはもう、飛鳥が笑って誤魔化す癖があることを、知っている。
ああこれは確かに。
甘いな、と思って。
わたしの負けだと思った。
──でも、この先は。負けたくないな、と思う。
ここからだ。
わたしは、わたしの弱さとちゃんと向き合って。
胸を張って、真っ直ぐに見て。
──もう一度、あなたに恋をしたい。
そう、願って。
わたしは彼を追いかける。
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