エピローグb 寧々坂芽々と普通の幼馴染。
彼と彼女が岐路で対峙した満月の夜から、時は少し遡る。
──月曜日。
まだ月が満ちていない夜のことだった。
これは喫茶店の裏路地からの、もうひとつの帰り道での出来事──正真正銘ごく普通の高校生と、窓から出入りする彼の幼馴染の、一部始終だ。
◇◆
笹木慎──飛鳥の同級生であり、バイトの同僚でもある生徒。
中肉中背で穏やかな顔立ちをしており、染めた髪と小さなピアスを差し引けば、取り立てて特徴がない少年だ。
寧々坂芽々──オレンジ色に近い金髪を両サイドで
飛鳥の元後輩であり(飛鳥はそれをまだ思い出していないが)、隣のクラスの生徒だ。
そんな幼馴染二人が、
突然目の前に現れた「ファンタジー的な何か」を、あっさりと受け入れ、何事もないようにさよならした後のこと。
慎と芽々は、シャッターの降りた静かな商店通りを無言で歩いていた。
二人の歩調は速くもなく遅くもない、自然なものだ。
通りを抜け、角を曲がったところで、芽々から歩調を緩める。
喫茶店はもう見えない。
年上の同輩たちの帰路は逆方向だ。
「マコ、もう我慢しなくていいですよ」
その呼びかけに、慎は足を止め。
すぅっと深く息を吸い、目を見開いた。
「……う、わーーー! 芽々、見た!? さっきの!!」
「バッチリ見てますよー」
慎の上げた声に、芽々は苦笑する。
……何事もないように?
……普通のテンションでさよならを?
そんなわけない。
そんなわけがなかった。
すごくがんばって堪えていただけだ。
慎は、全力で動揺していた。
「な、何あれ! え、さっきのは夢じゃない? あれ、本物……?」
「ええ、本物のファンタジーなんじゃないですかー? 多分ですけど」
「芽々は相変わらず、全然びっくりしてないように見えるね……!?」
芽々はいつも通りニコニコと、愛嬌に満ちた笑顔で相槌を打っていた。
「ま、日頃からウキウキを顔に出さない訓練を積んでいますからねー」
本当にはしゃいでいる時ほど、逆に落ち着いた態度を取るのが寧々坂芽々の癖だった。
それは外でスマホを見てニヤつく不審者にならないため、現代人には必須のスキルである。
芽々は大爆笑すら余裕で堪えることのできる、鋼鉄の面の皮の持ち主だった。
──のちにそれを知った咲耶は「笑っちゃいけないもので笑う不謹慎な誰かさんに見習ってほしい」とコメントを残したというが、今は特に関係のない話である。
一方慎の方も、芽々ほどではないが素知らぬ顔をするのには長けている。
なぜならポーカーフェイスガチ勢たる芽々と、幼い頃からババ抜きで鍛えているからだ。
かつての度重なる敗戦が、慎の表情筋を強くした。
──のちに色々を知った飛鳥は「舌噛み切って顔面維持するアイツは駄目」とコメントを残したというが、今はまったく関係のない話である。
「さて、マコ。……これからどうするべきか、わかっていますか?」
「うん、大丈夫だ」
二人は顔を見合わせて、口を開く。
「着実に、堅実に外堀を埋めて! 非日常の住人と仲良くなる!!」
「親しい友人となり、あわよくば、ナマモノのお話を聞く、です!!」
頷き合う。
──幼馴染たちは、ある日突然ファンタジーに遭遇する時に備えてのシミュレーションが万全だった。
シンプルに中二病である。
だが、この程度は〝普通〟だ。
誰しも心に秘めている曖昧な妄想、空想の範疇だろう。
わざわざオカルト研究部を作った幼馴染の芽々は言わずもがな。
慎もまた、相当にアレだった。
アレなので、慎の所属する部は合気道部である。
中二病に罹患した人間は、大抵一度は武道に傾倒する。
普通のことなので、全然恥ずかしくない。
みんな通ってきた道だ。
──でも、
オリジナルの特殊能力を考えるだとか、自分が活躍する妄想だとかは、中学と同時に卒業した。
そういう体験をしたいという願望は、今の慎にはなかった。
けれど……何か〝特別〟に、遭遇する夢まではまだ、捨て切れていなかった。
──ある日突然、非日常の中に。
と、までは望まない。
ただ少し、少しだけ。
昨日とは違う明日が。
退屈を変えるような『何か』が欲しい。
いつも薄ぼんやりと、そう思っていた。
そして『ある日突然』は本当に起こり、なんの脈絡もなく慎の願いは叶った。
叶った……?
「冷静に考えると……非日常っぽい人たち、あんまりカッコ良くなかったね?」
「状況がぜんっぜん駄目でしたね。なんかうっかりバレた、みたいな雰囲気でした」
拍子抜けである。
叶わない願いが叶ったというのに、感慨もへったくれもない。
「……でも、いいや」
慎はずっと、フィクションみたいなことが現実にないのが、ほんの少し寂しかった。
好きなゲームができる度に、その世界に行けないことがうっすらと悲しかった。
好きな漫画の話で盛り上がる度に、自分の
だから。
「この世界がファンタジーと地続きだって知れただけで、満足だよ」
「……そうですね。夢がある話です」
笹木慎は普通の少年だ。
だから。
ほんの少しだけ〝普通〟じゃなくなることを、いつも夢に見ている。
夜道は明るかった。
──満月の夜まで、あと数日。
◆◇
再び歩き出した幼馴染の隣で、寧々坂芽々は黙り込む。
中学生に間違われてばかりの幼い容姿をしているが、芽々は黙るとむしろ大人びて見える。そのことを知る者は少ない。
──思い出すのは、今日の一件。
日南飛鳥に対する所感だ。
クリームソーダで屈辱を覚えさせられたのは人生で初めての経験だった。
この先クリームソーダを見るたびに飛鳥の顔がちらついてげんなりする気がした。
ぜったいゆるさない。
さて、それはともかく。
(……あれは日南先輩ではない、ですか)
正直。
その真偽は、
かつての日南先輩と多少の関わりはあったが、さして思い入れはないのだ。
(ですが、あれは……)
これまで得た情報と、今日得た確証。
それらを、頭の中でパズルのように当てはめていく。
ぱちりぱちりとピースを嵌めて、余った空欄は適当に描き込んで。
寧々坂芽々は、「日南飛鳥と文月咲耶が〝何〟であるか」を、おおまかに理解した。
──寧々坂芽々は、
薄い唇を指でなぞる。
(さて……)
手札は揃った。
あとは、『何』を
──この
目を細める。
寧々坂芽々の、分厚い眼鏡。
反射するレンズ、その向こう側。
緑がかった瞳の中で、〝星〟が、きらきらと瞬いていた。
「ねえマコ。咲耶さんは、思考実験とかゾンビとかって好きだと思います?」
隣で幼馴染が、不思議そうな顔をする。
「どしたのさ、急に」
正真正銘、〝普通〟である幼馴染は、〝瞳の星〟に気がつかない。
だが、やはり何か様子がおかしいように感じて、問う。
「芽々?」
呼びかけに「いえ、気にしないでください」と
「……これから、楽しくなりそうですね」
何ひとつ悟らせない微笑みを浮かべて言う芽々に。
幼馴染は「そうだね」と、何も知らず穏やかに頷いた。
──月が、綺麗だった。
数日後にはもっと綺麗になることを、寧々坂芽々は知っていた。
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