第22話 あなたにはもっと奥まで。

 ひとまず居間に戻り、咲耶が服を着てくるのを待つ。



 戻ってきた彼女は、柔らかい布地の、薄手のワンピースを着ていた。

 ネグリジェとでも言うのだろうか。

 いや、単に部屋着なのかもしれないが。


 問題なのは、薄手の白い布地が彼女の身体のシルエットを柔らかく浮かび上がらせているということ。

 一見すると清純そうなデザインだからこそ、布地越しに透けて見える手足が、生身よりも心臓に悪いということだった。


 普段の制服は膝丈でガードがしっかりとしている。

 私服も、彼女が好んで着る暗めのワンピースは綺麗さを引き立てるような、大人っぽさや硬さを感じさせるものが多い。


 だから、余計に。

 部屋着の白いワンピースの装甲の薄さというか、ちょっと刃物が刺さったら全部破けてしまいそうな柔らかさが、あまりにも無防備に感じてしまう。


 もっとなんかアホみたいなTシャツとか着てこいよ。

 蛍光色のジャージとか着ろ。

 そんな可愛い服を着るな。クソが。


 いっそ下着の方が防御力高かったんじゃないか?

 おかしいだろ。

 なんでだよ。


 服着た方がむしろアレって──アレとは何かは言わないが──本当にどうかしているし、どうかしているのは多分、柔らかなワンピースの向こう側というか中身・・が焼き付いて離れない自分の脳味噌だ。



「ねえ飛鳥。……距離、おかしくない?」

「おかしくないですね」


 薄着の咲耶から距離を取る。


 なんか空気が甘いというか、謎の息苦しさがあって、風呂上りの火照った彼女の顔が、どことなく艶めかしい。

 絶対に近付きたくない。



 だが咲耶は俺に構わず、距離を詰めようとする。


「あの、今から謝罪会見するんで、ちょっと近づかな……近づくなつってんだろ! なんでにじり寄ってくるんだよ!? なんだてめえ!? 帰れよ!!」


「ここわたしの家なんだけど!?」

「ほんとだ、クソが! 俺が帰ります!!」


 咲耶は慌てたように、縋り付く目をする。



「か、帰らないでよ……今夜一緒にいてくれるって、言ったじゃない……」



「う、ぐっ……!」


 しおらしくそう言われて、動揺してしまったから。

 後ろの壁に背中がぶつかった。


 しまった。

 もう逃げられない。





 するりと衣擦れの音を立てて、彼女が、至近距離に。


「……別に、気にしなくてもいいのに」


 花のような、甘い匂いがして──呼吸を止めた。



 咲耶は潤んだ瞳で、こちらを見上げる。


「自分で言うのもなんだけど……結構いい身体していると思うの。人様に見せて恥ずかしいようなものでは、ないつもり」


 確かにそれには、異論がない。

 外見を整えることは昔の彼女のロールの一貫でもあったのだろう。

 雪のように白い肌はよく手入れされていただろうことが想像できる。

 背が高く安定した骨格が伺い知れるにも関わらず、華奢と形容するほど細い印象。

 けれど胸部むね大腿部ふとももの肉付きはよく、適切な筋肉量がそれらを保っていることが見て取れた。

 あそこまでくると一種、芸術品のようだった。



 ……くそ、一瞬しか見てないのにめちゃくちゃしっかり覚えているんだが。

 どうしようこれ。

 上記の感想の六割は「戦闘経験に由来する人体観察の話」ということで容赦されないだろうか。

 されない。

 咲耶が許しても俺自身が許さない。



「それにあなたになら……見せても、いいわよ?」



 変な声が出るかと思った。


 チリチリとひりつくような緊張と、視界が明滅するような動揺。

 ガチガチと頭の中の・・・・ブレーカー・・・・落として・・・、理性の出力を上げる。



 すすす、と、咲耶の指先が、布越しに自らの腹部を撫でる。

 熱を帯びた唇が囁く。



「だって。あなたには、もっとまで……」







「──内臓なかまで、見られているんだもの」





 そして咲耶は、花も恥じらうように頬を押さえ、顔を背けた。



 ……もっと奥。

 ああ、うん……。

 物理的に、か。



 急速に脳が冷える。



 確かに、なんか見たことある気がする。

 異世界でね。

 つやつやとしたピンク色の、ね。

 おまえの腹にあいた穴から、ぽろりと──。



「いや最っっ悪だなおまえ!!!」



 全霊で叫んだ。


「えっ」


「なんでそっちの方が裸見られたより恥ずかしい、みたいな顔してるんだよ! おかしいだろ!!」


 心外、というように声を上げる。


「はぁ? あんただって、裸見られるより傷見られる方が恥ずかしくない?! それと同じじゃない! だから今更……は、裸見られたくらいでとやかく言ったりは、しませんから!」


「それはそうかもしれない確かに……じゃねぇ! 全然違う! 急にグロいこと言うなって話だろうが!! めちゃくちゃ怖いわ! あととやかくは言え!!」


「怖い……? え、なんで? 治ったのに? はらわた、ちゃんと収まってるわよ?」


 小首を傾げて、純粋に疑問を口にする。



 頭を抱える。


 あああ……酷い異世界ボケだ。

 久々に目の当たりにした。

 倫理観がおかしいんだよこいつ。





 壁際でしゃがみ込む。


「咲耶……」

「えと、はい」


「俺は、おまえの、そういうところがちょっと嫌いだ」


「ご、ごめんなさい……??」


 恨めしさはまったく伝わっている気がしなかった。





 ◇





 ひとまず包囲から抜け出して、ひと通りの各式ばった謝罪を一方的に捲し立てた後。


「とりあえず、俺は責任を取ります」

「え、うん……えっ、責任!?」


「……記憶、消してくれないか」

「あ、そういう意味……ね。びっくりした」


 脳味噌弄らせるのは心底嫌だけどな。



 咲耶はなんだか呆れたように、へらりと笑う。


「別に、いいって言ってるのに。もう、生真面目なんだから」


 首を横に振る。


「いや、してくれ。してくれなかったら、俺は記憶が飛ぶまで自分の頭を殴る」


 沈黙。


「……え? なんで?」


 唖然。


「なんでも」


 咲耶は黙り込んで、俯く。




「…………そう、そんなに? そんなに見苦しかった?」


「いや、論点はそこじゃないから」


 おまえが美人なのは絶対的真理だから。


「そういう話ではないのでつべこべ言わず、消してくれ。っていうか、消せ、マジで」


 顔を上げた咲耶は、ゆっくりと右目に手を当てて、


「ああ……うん、冗談でもなんでもないのね。そう、本気……そうなの……」







「じゃあどこが問題だったって言うのよばっっかやろぉ!!!」



「死んでも言わねえよボケェ!!!」






 キッとこちらを睨みつける赤い右眼が光ったのを直視して、意識はそこで飛んだ。







 ◇






 ──数分後。



「はーあ。これでいいんでしょ。これで満足なんでしょ」



 俺はきっちり、洗面室の扉を開けて以降の映像記憶が思い出せなくなっている、というか、記憶に鍵がかかっていることを確認。


「ありがとう。本当に。感謝してもし尽くせない」


「いやなんでそこで本気の謝意示してるのよ。意味わかんないわ。ひとりだけなんかすっきりした顔しやがってこのやろ……」


 けっ、と今にも悪態を吐きそうな荒んだ顔で、咲耶はソファの上で膝を組む。




「咲耶、話があるんだけど」

「なに? まだなんかあるの」


 じっとりと俺を見上げる咲耶に、言う。


「正座」

「え?」


「正座しろやァ!!」

「なんでわたしが怒られてるのー!?」



 言いたいことなら山ほどある。


「まず、どこの馬の骨ともしれない男を家に上げてる間に風呂とかどういう了見で!?」

「あんたは馬の骨じゃないわよ! 友達じゃん!」

「だとしてもだよ! 社会常識の話をしてるんだ!」

「だからあんたが常識語っても意味ないんだってばー!」


「ていうかこれ十割逆ギレじゃない!?」

「俺は謝ったし反省したからいいんだよ! 次こんなことがあったら俺は腹を切るからなマジで! 油断するなよ!!」

「自分を人質にするほど!? え、わたし!? これ本当にわたしが悪いの!?」

「そうだよ!!」

「そ、そうなんだ!? あれぇ!?」




 俺がやらかしたのと別の問題だ。

 それはそれ、これはこれとして。

 咲耶が根本的に無防備で隙だらけなのは、致命的に悪い。

 さっきのあの挙動が、本当に悪い。


 ……という話をしたいのだが、直接的な言葉を使うわけにもいかず。

 どうやら、咲耶には一切響いていないようだった。


 なんで?

 自覚がないのか?

 いや、自覚してる上で無防備なのか?

 たちが悪い……。






 なんでこいつはこうなんだ、と頭を抱えていると。


 いつの間にか咲耶は俺の視界から消えていて、いそいそとポテトチップスとコーラを用意していた。


「何してんの」

「え、だって。この話はもう終わりでしょう?」


 言いたいことはまだあるが。


「まだ、寝ないわよね?」


 渋々と頷く。


 寝れないね。

 見たものは忘れたけど

 完全に目が冴えたからね。



 咲耶はテレビの横の棚から、取り出したゲーム機を片手に持って、こちらを上目遣いで見る。



「……しよ?」



 取り出したゲームソフトのパッケージは、開いていなかった。

 複数人用のゲームなのだろう。

 一緒に遊ぶ友達などいないので開封されることがなかったのだと、想像がついてしまった。

 うわっ、いたわしい。


 あまりのいたわしさに返事ができずにいると、彼女は不安そうに、小首を傾げた。



「あそばないの……?」



 そういやすっぴんを見るのは初めてだった。

 いつもよりも幼げで、部屋着のせいでふんわりとした印象で、忌憚なく言ってしまうと──かわいい。



 ……心臓、ちょっと黙れ。




 頭を掻き毟る。


「ああもう! するよ! クソッ、絶対にボコボコにしてやる」


 咲耶はぱっと目を輝かせた。


「勝負ね! ええ、負けないわ!」




 もう何もわかってない。

 本当に、この女は。

  

 なんにもわかっていないのだが……まあ、咲耶が楽しそうだからいいか、と思った。



 やはり、俺は結構、こいつに甘いと思う。

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