第23話 わたしの初恋。

 ◆


 いつか飛鳥と遊ぶこともあるだろうと思って、先日取り寄せたばかりのゲームの封を切る。

 ファンタジーのRPG以外に興味がないし、遊ぶような友達も居なかったわたしが初めて買った、対人アクション格闘ゲームだ。


 かつては健全な交友関係を持っていた飛鳥の方が経験値はあるはずで、むしろわたしには不利な勝負を挑んだつもりだったのだけど。 


「ボコボコにするって、啖呵切ったくせに……」


「みなまで言うな。わかっている。これは多分昔からだ」

「……ド下手じゃない!!」

「みなまで言いやがったな!?」

 

 画面の中で、飛鳥はあっけなく連敗していた。


「あっはは、意外だわ!」

「うるせぇ、俺はテーブルゲームなら結構やるんだよ!」

「あは、そんな感じするかも」


 無駄に運が良くて、いい手札ばかり揃うのが想像できた。


「多分そっちだと勝負にならないわよ、わたしが弱くて。チェスとかポーカーとか、一応ひと通りできるけどね。お嬢様の嗜みだから」

「……いや、悪い、調子に乗った。俺も別に強くないと思う」

「ふふふ。今度試してみる?」

「は? 負けねえ」

「手のひら返すの早すぎるわ。何その血の気」

「人間は負けたら、」

「はいはい死ぬ死ぬ。というわけで、はい。死ねー?」

「うわまた負けた!! チクショウ!!!」




 夜が、更けていく。






 ◆





 ──これは、昔の話だ。


 三年前。

 わたしたちがまだ、正真正銘に普通の高校生だった頃。

 かつて、日南飛鳥に恋をしていた頃の話だ。


 その初恋のきっかけを、わたしは確かに覚えている。

 


 当時、誰にも嫌われない優等生を演じて生きていたわたしは、あまり目立たない同級生だった彼を、気が付けば、いつも目で追っていた。


 その理由は何故なのか。


 確かに彼は、地味で、目立たなくて、比較的に大人しい少年だった。

 けれどそれは自ら矢面に立つことがないというだけで、いつだって輪の中にいた。

 別に、人気者というわけじゃない。

 けれど気付けば当たり前のようにそこにいる。

 善良で、親切で、けれど取り立てて評価されることもないような普通の子。

 特筆して印象を残さないくせにどこにでもよく馴染んで、本当に誰とでも分け隔てなく仲が良い。


 そういう子、クラスにひとりはいるでしょう?



 言うなれば、背景に溶け込む名脇役。

 例えるなら、通学路の街路樹。

 気にも留めないけれど、いなくなると寂しいもの。

 そういう普遍的な親しさを感じさせる同級生が、日南君だった。


 わたしが「誰にも嫌われない」ことを計算して動いているならば。

 彼は、「誰彼からもうっすらと好かれる」ことを天然でやっていたのだ。



 ──それは、今の飛鳥にはすっかりと、できなくなったことだけど。




 だから。

 昔のわたしは、思ってしまったのだ。


 ……ああいいな。

 あの人は、きっと人生を上手くこなしていく側だ。

 呼吸すらも下手なわたしとは、違う人間だ。


 根暗で陰湿で自分に自信がないわたしは、わたしにはできないことをできる人が好きだった。


 わたしは、不器用なはりぼてで出来ていたから。 

 わざと壁を作って高嶺の花を装うことでしか処世ができないわたしなんかより、ずっと器用な彼が。


 羨ましくて。

 憧れて。


 気付けば、いつだって目で追っていた。


 それだけの、仄暗い憧れの感情を抱いているだけだった。

 わたしたちは、ただの同級生として終わるはずの関係だった。



 ──それが変わったのは、夏の終わりの文化祭。


 わたしはその頃、文化祭準備の仕事に追われていた。

 周りにいい顔をするということは普段の積み重ねが大事になる。

 大きな行事の時なんて最たるもので、頼み事を断れやしない。


 そしてわたしは、実行委員に祭り上げられた。

 文月さんなら任せられる、と。


 確かに、そうだろう。

 わたしが作り上げた「文月咲耶」なら完璧に、そつなくこなしただろう。


 問題は、中身のわたしのことなんて誰も知らないということで。

 実際のわたしには人を纏める器なんてなかったし、いつぼろが出るかもわからない中、不相応な仕事を背負って、わたしはゆっくりと心を擦り減らしていた。


 もちろん、周りが悪かったわけではない。

 わたしはわたしの身の程を知っているからきっちりと周りを頼ったし、皆んな手伝ってもくれた。

 祭りの準備は慣用句通りに楽しかった、嘘じゃない。


 けれど、わたしの本性はどうあがいたって根暗だったのだ。


 人と関わりすぎると、脳の回路が焼き切れてしまう。

 どれだけ楽しくても、ひとりの時間がないと心は目減りする。

 誰にも素顔を見せずに生きるというのは、そういうことだった。


 そうして。

 どうしようもない性質のわたしは、文化祭当日に限界を迎えた。

 もう、自分がいなくても。

 状況が回ると判断できたその時に、ぷつりと糸が切れた。


 祭りの当日。

 華々しいすべてから背を向けて、わたしはひとりで逃げ出して。


 がらんどうの教室でひとり、カーテンにくるまって息を潜めていたのだ。

 甘い・・缶コーヒーを、両手に抱えて。



 ──そのわたしを探しに来たのが、日南君あなただった。


『文月、ここにいたんだ』


 あの頃、今よりもずっと柔らかく喋る人だったあなたは、わたしを見つけて。

 わたしの、いつもとは違う様子に何も触れずにいてくれた。


 そして祭りの喧騒から遠く離れた教室で、ふたりきり。

 たわいもない会話に付き合ってくれた。


 日南君には一緒に文化祭を回る友達なんていくらでもいたはずなのに。

 もっと楽しいことなんてあったはずなのに、わたしを案じてくれたのだ。


 ──それはかつて唯一、わたしが、何も演じずに、誰かと話をした時間。

 纏う皮が破れてしまった今とは違って、完璧に取り繕えていた〝昔のわたし〟が、本当に誰にも素顔を見せられなかった時代の〝文月咲耶〟が、限りなく素でいられた僅かな時間。


 ──それが、あなたの前だった。


 それだけの話だ。

 それだけの話、だけど。


 ──恋に落ちるには、十分でしょう?






 その時、彼に差し出された、さして美味しくもない缶コーヒーの味をずっと覚えている。

 二本目・・・の缶コーヒーは、苦かった。


 ブラックなんて飲んだことなかったけれど。

 わたしはその日から、コーヒーに砂糖もミルクも入れることはなくなったのだ。


 まるで、あの日の思い出に縋り付くような振る舞いだ。

 自分の浅ましさに笑えてくる。




 そしてそれは、綺麗な初恋の思い出で……同時に失恋の思い出でもあった。

 当時のわたしには定められた婚約者というものがいて、わたしには恋よりも優先すべき生き方があった。


 それだけではなく、彼がわたしをなんとも思っていないのも知っていた。

 日南飛鳥は誰にでも親切な人だったから、その親切がたまたまわたしに向いただけで、わたしのことをなんとも思っていなかった。

 好意も、敵意も、特別な感情は何も、あなたからはずっと読み取れなかった。


 誰にでも優しいあなたが、わたしにだけ優しかった都合のいい時間は、あの一日だけ。

 わたしはそれだけで、ささやかに救われた。


 だから叶うはずのない恋は、心の箱に仕舞われて、ただの綺麗な思い出になる──はずだった。





 はずだったのだ。




 ──最悪な異世界に落っこちて、最低な出会いを、果たすまでは。




 遠い遠い向こう側で。

 再会の時には誰だかわからなかったほどに、背丈も顔つきも目の色も何もかも、変わってしまった勇者あなたは。

 それでもわたしを助けてくれた。


 あの頃の魔女わたしというのは、本当にどうしようもない女で。

 異世界なんて、わたしの人生ぶち壊しにしてくれた報復に滅ぼしてやろうと、本気で思っていた。


 ──どうせ逃げられないのだから。

 

 ──どうせ帰れないのだから。


 ──どうせ、誰も助けてくれないのだから。


 本当に、それだけの絶望で。





 けれどあなたは、あっけなく。

 わたしが諦めていた願いを、すべて叶えてくれた。


 それに、どれほど救われたか。

 語り尽くせるはずもない。




 だから。

 わたしは、その恩に報いなければならない。


 

 絶対に。


 ──何を、もってしても。

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