クロの帰還 ①

「クロ……?」



 私は声のしたほうを見て、不思議な気持ちになる。

 どうして、クロが此処にいるんだろうかと。私の願望が生んだ幻聴だろうかと。





 だけど、確かに私の視界にクロが映っている。





「ああ。貴方のクロだよ、ジャンナ」






 そう言いながらクロは私に近づいてきて、私の涙をその指で拭う。

 どうしてクロが此処にいるのか分からなくて、混乱してしまう。





「誰が、ジャンナを泣かせたの」




 呆けている私に、クロはそう言って続ける。





「陛下? 王城の連中? やっぱりあいつらろくでもないな。ちょっと痛い目を遭わせに――」

「ちょっと待って、違う、違うから!! そんな物騒なこと言わないでいいから、クロ――いや、クラレンス様!!」




 クロが物騒な発言をし始めてしまうので、私は慌ててクロを止めた。

 クロは私が泣いていることに怒っているらしい。でもだからってそんな物騒なことをしようとするなんて駄目に決まっている。






 クロを止めるためにクロの腕を手に取る。

 その感触が本物で、ああ、クロが此処にいるんだと実感する。此処に本当に、私の目の前にクロがいてくれているんだと実感する。





「ジャンナ、クロでいいよ。俺はジャンナのクロだから。そんな他人行儀な呼び方しないで」

「えっと、いや、でも、クラレンス様は――」

「クロって呼んで」

「……クロは、何で、此処に?」






 クラレンス様と、クロの事を呼ぼうとすれば、クロはクロと呼んでほしいなんていう。

 私のクロだと、そんな風に語る。




 これはやっぱり夢なのだろうか。私の願望が見せた幻影なのだろうか。こんな、私が嬉しいことばかり言ってくれるなんて。





 クロは英雄なのに。

 この国で賛美される英雄なのに。







「何でって。俺が帰るところは、ジャンナのところだよ。ただいま、ジャンナ。おかえりっていって」

「お、おかえり」






 クロに促されるままにおかえりと口にすれば、クロはとろけてしまいそうな甘い笑みを、何処までも私を慈しんでいるような優しい笑みを浮かべる。




 そんな笑みを向けられたら、クロの事を好きだと自覚している私は嬉しくて、ただときめいて仕方がなくなってしまう。





「ただいま、ジャンナ。俺の女神におかえりって言ってもらえるだけで、俺は幸せだよ」




 クロはそんな風にいって、当たり前のように私に笑いかける。







「私も、クロが戻ってきて嬉しい……って違う! クロ、貴方、英雄でしょう。この国の!! クラレンス・ロードっていったら周辺諸国にまで名を馳せる英雄じゃない!!」

「うん。それが?」








 私が叫んでもクロはどうして私がそんな風に叫んでいるのか分からないといった態度をする。

 クロが英雄であることなんて全く関係がないといったそんな言い草だ。






 どうしてクロは自分が英雄であることを、そんななんでもないことのように告げるのだろうか。





「いや、それがって……貴方、呪術をかけられてたのよね? 急にクロがクラレンス・ロードだって気づいて、私は混乱したの」

「うん」

「クロにかけられた呪術が解けたってことは、クロのことを誰一人として、『魔王』の側近だなんて思わないってことでしょう?」

「うん。それが?」






 ……クロは、自分の呪術が解けたことをそんなに重要視していないのだろうか。あれだけ絶望して、あれだけ心あらずであったのは、きっと『魔王』の側近だと思われる呪術が行使されていたからだろうに。



 それなのに、どうしてそんなことがどうしたとばかりにそんな風に言えるのだろうか。





「そのね、クロは呪術が解けて、皆がクロへの誤解が解けたわけでしょう。クロは英雄で、国中に求められていて、それで婚約者もいるでしょう。私ね……、クロが私の元へ戻ってくると思ってなかったの」

「何で?」

「……何でって、私は『救国の乙女』にもなれなかったし、何の力もないただの女よ。クロには待っててくれる人がどれだけいると思っているの……。私、クロがもう私の元へ戻ってこないんだってそう思って、悲しくなってたの」

「俺が帰ってこないって思って泣いてたの? ジャンナ」





 そう問いかけて、クロは真っ直ぐに私の事を見る。






 ――何処までも熱を含んだ瞳は、クロの私に対する熱が冷めていないことを知らしめる。

 ああ、でもどうして。クロは私の元へ戻ってきてくれたのだろうか。もう戻ってこないと思っていたのに。









「俺がジャンナの元へ戻ってくるのは当然だよ。寧ろなんで呪術がとけたからって、ジャンナの元へ戻ってこないってことになるのか分からない」








 クロはそう言って続ける。





「さっき泣いていたのって、俺が帰って来ないと思ったから? それで泣いてたの? 可愛い、ジャンナ。泣かなくていいよ。俺はジャンナが嫌がってもジャンナの傍にいるつもりだから」




 クロは私がクロの事を思って泣いてたことが嬉しいのか、笑ってる。

 優しい笑みを浮かべたまま、クロは私に続けるのだ。







「――俺はジャンナのことを愛しているよ。俺の女神。俺のたった一人の、大切な人。だから、俺が此処に帰って来ないわけなんてないんだよ」





 ……そんな愛の告白をクロは私にする。

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