クロとの距離 ⑤
クロとの穏やかな日々は、続いていく。
私が『救国の乙女』と呼ばれていたことも、クロが『魔王』の側近と呼ばれていることも、嘘のようにただ過ぎていく日々。
クロは此処で過ごしていたら何かやりたくなるかもしれないと言っていた。
けど、まだクロは自分から何かをしたいといった事は口にしていない。それでもいいかなと思っている。
クロは、そのうちきっと何かをしたいと口にしてくれるだろう。クロは少しずつ、表情が豊かになっている気がする。あくまで私が見ている限りだけど……。
クロがこれだけ穏やかに日々を過ごせているのは、此処に人がやってこないからというのもある。私が捨て置かれていて、ほとんど忘れられている存在だからこそ、クロは少しずつ余裕が出てきている。
……誰も訪れることなく、クロが此処で穏やかに過ごせていればって思うのだけど、ずっとそんな暮らしが出来るわけがないという現実もちゃんと分かっている。でも出来るだけ長く、クロが此処で穏やかに過ごしてくれればと思う。
「ねぇ、クロ、何か食べたいものある?」
「……前に食べた奴」
「どれ?」
「ジャンナの故郷の味っていう」
「ふふ、気に入ってくれたの? 嬉しいわ。作るわ」
何を食べたいか聞いた時、教えてくれたりする。
そうやって教えてくれるようになっただけでも、クロが私に食べたいものを教えてくれたりするのもただ、嬉しい。
何というか、クロとこうして穏やかな日々を過ごしていると私も一人で過ごす日々に寂しさを感じていたのだと実感する。
今まで長い間、ずっと一人で此処で過ごしてきた。一人で過ごすことが初めてで、ただ穏やかに生活が出来るだけで満足していたのに、いつの間にか二人で食事をすることが当たり前になって、こうして二人で過ごすのも当たり前になった。
クロと過ごしている時間は、そんなに長いわけでもないのに、私はもうクロが此処にいるのが当たり前だと認識してしまっている。
クロも同じように思ってくれているだろうか。
クロの本当の名前も私は知らないのに、すっかりクロの事を人として気に入ってしまっている。それはもしかしたら寂しさを紛らわせてくれたから――っていう単純な気持ちからかもだけど、クロと過ごす日々を、私は気に入っている。
ある日、いつものように過ごしていて、目を覚まし、クロを呼びに向かった。
けど、部屋の中にはクロがいなくて、私は慌ててしまう。
まさかクロは何処かにいってしまったのだろうか。此処に居たくないと思ったのだろうか。ここでの日々でクロが少しでも穏やかな気持ちになったと思っていたのは、私の驕りだったのだろうか。
そんな沢山の思いが、私の頭の中を駆け巡る。
慌てて、飛び出そうとした私の目に入ってきたのはタオルで汗を拭きながら家の中へと入ってくるクロだった。
「どうしたんだ? そんなに慌てて」
クロは慌てた様子の私を見て、驚いた顔をする。何で私が慌てているのかさっぱり分からないといった様子である。
私はクロが何処かに行ったわけではなく、此処にいてくれている――という事実にほっとしてしまう。
「……何かあったのか?」
ほっとしたように息を吐く私に、クロは心配そうな表情をする。
やっぱりクロは優しいなと思う。
「ふふ、ごめんね。クロ。クロがいなかったからもしかしたらクロが何処かに行ってしまったのかと思ったの。それで慌ててしまったのよ」
「……そうなのか? すまない。ジャンナはまだ起きていないようだったから声をかけなかったんだ」
「いいえ、謝らなくていいわ。私が勝手に早とちりしてしまっただけだもの」
クロがちゃんと此処にいる。何処かに行ったわけではない。——それが嬉しかった。
そう言う気持ちでいっぱいの中で、私はふと気になったことを問いかける。
「クロは、何をしていたの? 汗を拭いているけど、何か運動でもしていたの?」
「ああ。身体を動かしていた。しばらく体を動かしてなかったから」
「まぁ! そうなの」
私はクロの言葉に驚くと同時に、良かったという思いでいっぱいになった。
何もやろうとしていなかったクロが、自分で体を動かしに向かった。クロは見るからに鍛えていて、強そうで、きっとそれだけの強さを手に入れるために努力をしてきたのだろう。
体を動かすことも好きなのだろうと思う。今のクロは、何だか満足気だ。
「クロ、良かったわ。貴方が何かをやろうとしてくれて。それだけでも私は良かったと思うわ。それにしても真っ先にそういうことをしようとするなんて、クロは体を動かすことが好きなのね」
「ああ。ずっと、やってきたから」
「そうなのね。いつからやっていたの?」
そんな会話を交わしながら、朝食の準備を進めていく。
――クロの過去の事を聞いてしまったとはっとなったけれど、クロは気分を害した様子もなく、答えてくれた。
「そうだな……。ずっと昔から、物心がついたころからずっと体を動かすことが好きだった。剣を振るうこともずっとやっていた」
「そうなのね」
ずっと昔からそればかりやっていたのだとそんな風に語るクロは、懐かしそうで、だけど寂しそうだった。
その寂しさの理由までは、聞けなかった。
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