第11話『滅鬼 メッキ』


滅鬼の刃 エッセーノベル    


11・『滅鬼 メッキ』   






 滅鬼の刃とは、流行りのアニメに便乗した安直なオヤジギャグのようなタイトルですなあ。


 始めるにあたっては、パクリのそしりを受けるだろうと、思いながら、あえてそのままにしました。


 わたしの人生そのものが、どこかパクリでうさん臭くて、それなら第一印象パクリの『滅鬼の刃』とした次第です。


 滅鬼とはメッキと読みます。


 わたしが、あれこれ考えたり考えの結果としての駄文はメッキであります。本を読んだり人の話を聞いたりして、自分の考えとか感性だとか思い込んでいるものがほとんどであります。


 なんだかいいことめいたことを書いても、ああ、こいつの書いていることは所詮メッキなんだと思っていただいたほうが気楽だという、あらかじめの言い訳であります。


 もう一つの意味は、自分の中に住み着いた鬼を、人目に晒すことで滅ぼす……まではいかなくても、弱らせることができたらという意味があります。


『山月記』という小説があります。戦前、中島敦という人が書いた小説で、自分の中の虎(鬼と同義だと思います)の始末に困って、本当の虎に変身してしまい、あやうく旧友を食い殺しそうになるというお話です。


 中島敦ほどの学識も知恵も無いのですが、まあ、そういうベクトルなのだと思っていただければ幸いです。




 第三回で日の丸について書きました。




 昭和四十年くらいまでは、正月とか祝祭日に日の丸を掲揚する家が多かったように思いますと書きました。日の丸の掲揚をしなくなったのは、日の丸は大日本帝国の象徴であって、国の内外に及ぼした戦争の災禍の反省をしないままに大日本帝国の象徴を掲げるのは間違っているという風潮というか空気が社会に蔓延したからであります。


 当時の大人たちは(MT世代)は日の丸を目の敵にするバカバカしさを肌感覚で知っていましたが、戦後20年。戦後生まれが成人し、戦時中にひどい思いをさせられた軍国少年少女たちは三十歳を超え、日本社会の正面に立つようになってきました。この若者たちが、ザックリ言って、コミンテルン(当時はコミンフォルム)やリベラルの影響で、戦前の日本を丸ごと悪者と断じて、その象徴としての日の丸をまさに親の仇にした観念の現れでした。


 戦後の十年で江戸時代の百姓一揆の数を上回る労働争議がありました。労働争議の場では必ず赤旗が林立しました。組合旗やスローガンの横断幕も、大方は赤地であったように記憶しています。


 通っていた小学校の向かいが府立高校で、年に一二度校門の両脇に赤旗が掲げられ、高校というのは赤組しかおらへんねやろかと、赤と言えば体育の時の赤白帽しか知らない小学生は思いました。


 こういう社会環境の中では、なかなか日の丸は揚げられません。


 でも、日の丸を厭う気持ちは、どこかメッキめいていると感じます。


 職場の学校で卒業式・入学式の日の丸掲揚が問題になった職員会議で、掲揚に反対する意見に反対して、こう発言しました。


「沖縄が復帰する前、当時琉球政府の主席であった屋良朝苗(やらちょうびょう)氏が復帰のことで本土に渡られた時、沖縄には本土復帰に向けて掲げる日章旗が足りなくて困っていると言われ、日本中から日の丸が集まったことがあります。屋良氏は本土で日の丸が粗末に扱われているので驚いたという話もなさっています」


 そう述べますと「屋良さんは、復帰闘争の道具として日章旗を求めておられるのであって、日の丸と、それに象徴される日本を許しているわけではない」と組合の先生から反論をくらいました。


 ちょっと唖然としました。


 わたしの理屈も元はメッキなのですが、組合の先生のはわたしの百倍もありそうなメッキでした。


 天皇制というのは、元来は共産党用語なのですが、当時は普通名詞だと思って使っていましたので、当時の空気感で語りたいので天皇制と書きます。


 天皇制を無くして共和制にしなければ、日本の真の民主化は成し遂げられないという、分厚いメッキがありました。


 日本史を教えていた割には日本史の授業は嫌いでした。授業中は寝ているかノートに落書きをしているかでしたので。テストも欠点ギリギリしか点がとれません。


 日本史は独学でした。


 中央公論の『日本の歴史』から始まって、司馬遼太郎を始めとする歴史小説ばかり読んでいました。岩波歴史講座も全巻持っていましたが、面白くないので、ほとんど読んでいません。


 並の国家なら分裂したり消滅したりする恐れのある危機が何度もありました。


 摂関政治末期 鎌倉幕府の滅亡 室町幕府の滅亡 戦国時代 明治維新 大東亜戦争敗戦……などなど。


 この時、日本が滅んだり分裂しなかったのは天皇制があったからです。世俗の権力(幕府や政府)が力を失ったり滅亡した時、我が国は天皇の元にまとまって、新しく世の支持を受けた権力に正統性を与えます。


 日本史を冷静に見て振り返るなら天皇制、正しくは皇室の存在と皇室にたいする日本人の畏敬が柱だと言えます。


 つまらないメッキが戦後の長きにわたって、この日本人の冷静さを覆ってきましたが、メッキはメッキ、ようやく剥げてきたかと感じる今日この頃です。


 すみません、なんだか硬い話になってしまいました(^_^;)。


 次は、もっと柔らかいメッキの話をしたいと思います。


  

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