第7話『MT世代』


滅鬼の刃 エッセーノベル    


7・『MT世代』   






 明治大恋歌(歌:守屋浩 作詩:星野哲郎 作曲:小杉仁三)というのがありました。


 日露の戦争大勝利 まだうら若き父と母……という歌いだしです。


 テレビの歌謡番組で観た記憶があるので、たぶん小学校のころに流行った歌です。


 坊ちゃんみたいなコスの守屋青年が歌っていました。美空ひばりが『やわら』を歌った時に、ああ、守屋青年と同じ衣装だと感じましたから、『やわら』以前なのでしょう。


 すごいですね、父と母が日露戦後……だから、1905年~1910年ぐらいのことでしょう。


 今からだと110年くらい昔の事です。


 1953年生まれのわたしの祖父母がこれくらいの生まれです。歌の二番に『十九歳の母』とありますから、まさにこの世代。


 今は、明治生まれも稀ですね。明治末年の生まれでも112歳を超えてしまいます。


 子どものころは、大正生まれが働き盛りで、明治生まれも人によっては現役で働いておられました。


 よっぽどの年寄りと言うと元治とか慶応とかの年号がつく江戸時代の人間でした。




 で、なにを懐かしんでいるのかと言うと、年寄りのありようなんです。




 グ-タラ人間のわたしは、きちんと就職したのは28の歳でした。


 職場には組合の青年部というのがあって、入ると同時に青年部なんですが、一年後には青年部ではなくなりました。


 高校を四年、大学を五年、そして就職浪人を三年、よく親が許していたものです。


 アルバイトはやっていました。


 運送会社、着ぐるみ、テレビのエキストラ、ビラ撒き、選挙の運動員、学校の賃金職員、非常勤講師などなど……


 言い訳として「学校の先生になる!」と言って、毎年受かりもしない採用試験を受けていました。


 で、明治大正生まれです。略してMTとします。


 MTの人たちは、お節介というか、面倒見がよかったですねえ。


「大橋、こんな仕事があるぞ」「こういう募集があるぞ」「こんなやつが居るから会ってこい」


 いろいろ勧めていただきました。


 大学の四回生の時に母校であるA高校の先生から電話がかかってきました。


「大橋君、郵便外務員の募集があるけど、資料とりにおいでよ」


 教員採用試験を二回落ちていたわたしは「ありがとうございます」と電話に頭を下げて母校の進路指導室に行きました。


 A4のプリントに要項が印刷されていて、一つ下の後輩といっしょに梅田の中央郵便局に申し込みにいきました。


 当時は、まだまだ実験段階だったハイビジョンテレビが展示してあったのを憶えています。受験も仕込みをしたことよりも、試作品のハイビジョンに感動していました。まだ液晶など無かったので、おそらくはブラウン管。どんな造りになっていたんでしょう。


 そして、試験を受けて……落ちました。


 後輩は無事に合格して、数年前定年を迎えました。


 もし、あの試験に受かっていたら、わたしも定年まで郵便屋さんをやっていたでしょう。きっと、その後、カミさんと出会うこともなく、従って、息子も生まれておりません。


 もし、息子が、わたしに似て凡庸を絵に描いたようなニイチャンなのですが、息子の子どもが学者になってすごい発明をしたり、総理大臣とかになったら、わたしが採用試験に落ちたのは、未来人がタイムリープして細工をしたから!?


 アハハ、これは売れない作家の妄想ですなあ(*ノωノ)。


 大学に行きながら母校の部活にはマメに通っていました。


 六時間目の終わりに部室に入って、現役たちが授業が終わるのを待っていました。


 今だと、変な卒業生というので、生徒や先生からも警戒されたでしょう。わたしも後に教師になりましたが、こういう卒業生がいたら――ちょっと危ない奴――と認識して注意したでしょう。


 先生たちは、そんな――ちょっと危ない奴――を放置しておくだけなく、いろいろと声をかけてくださり、産休実習助手の仕事さえ世話してくださいました。


 それが終わると保健の統計員、そして非常勤講師、さらに、採用試験の指導までしていただきました。


 他にも本職の手前まで行ったアルバイトがいくつもありました。


 グータラな、今風に言うとニートのニイチャンを世話してくださり、その人たちの大半がMTでありました。


 


 十数年後、複数の家庭訪問をこなすために職場から自転車を漕ぎ、ショートカットのために四天王寺の境内を走っていました。


 初夏には間がありましたが、もう三十分も走っていたので、自転車を止めてお茶のペットボトルを開けました。


 すると、五十メートルほど離れた回廊の戸から特別な法会でもあったのかキラキラの法衣を身にまとった老僧が従僧を連れて出てこられ、わたしの方を向いてニコニコとしておられます。


 すぐに、高校生のころ部活の連盟の会長をなさっていたS高校のT校長先生であったと思い出しました。


 当時の連盟の会長というのは名誉職というか、対外的な連盟の看板でありました。


 連盟の生徒役員をやっていたわたしは、二三回お会いしたことしかありません。


 噂では四天王寺の管主というかトップにおられることを知っていましたが、まさか二三度しか顔を観ていない他校の生徒を憶えておられるとは思いもしません。


 これは、わたしの近くに居る他の人を見ておられるんだと思い、でも、こちらを見ておられるならご挨拶……思っているうちに、お堂に入ってしまわれました。


 挨拶し損ねてから思い出しました。


 五回生の秋に、そのS高校で働かないかとS高校のF先生から話がありました。いろいろあって実現はしませんでしたが、私学の教師が自分の繋がりで若い教師をとろうとする場合、必ず、管理職や理事に話しを通しています。


 おそらく、S先生もご承知であったことなのでしょう。


 MT世代と言うのは、とにもかくにも若い者の面倒をよく見てくださいました。


 この面倒見の良さというか、人によってはお節介と感じるものが、若い人にはうろんなことのように見えるかもしれませんが、わたしの周囲に居たMT世代は、文句を言うことはあっても見返りを求めるようなことはされませんでした。


 書いているうちに、いろいろMT世代のことを思いだしましたが、また稿を改めて書きたいと思います。


 


 


 

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