第12話 青年、謁見する

「んん……」


 ライラが身支度を整えるおよそ二時間前、シグルは低い声を漏らしながらベッドの中で体を捩った。


 隣国とはいえ何日もかかる長旅。

 思っていた以上に自信に疲労が溜まっていた。

 少し休憩と思ってベッドに潜ったが、そのまま寝入ってしまった。


「もう夕方か……」


 シグルが体を起こして窓の外を見ると、夕日が山の陰に半分隠れている。

 雪山を抱える夕景は温暖な地域に住んでいるシグルには新鮮に感じられた。


「……ん?」


 ふと、シグルは毛布がかかった足の部分に何かがくっついている感覚を覚えた。

 しかし驚きはしない。こういう事態は日常茶飯事だからだ。


「全く。自分の部屋があるだろ」


 シグルはため息を吐きながら毛布をめくった。


「……」


 めくった毛布をもう一度静かに元に戻した。


 知らない子がいる。


 こういう事は初めてだ。誰に相談しよう。

 ロキとリリィはだめだ。間違いなく延々いじられる。

 ミィハはもっとダメだ。根拠はないが間違いなく殺される確信がある。


 シグルがそう思った理由は簡単である。その子供がすっぽんぽんだからだ。


「――んみゅ」


 子供がもそもそと動き始め、のそりとその小さな体を起こし、外見が露わになった。


 リリィより一回り小さな体、空色の癖のある髪、そして細く眠たげな目。


「あの、どちら様で……?」

「私はマリアナ・ネ―レウス。こう見えても結構偉い」


 マリアナと名乗った無表情の少女はふんと鼻を鳴らして平たい体を仰け反らせた。


「というと、君もあの〈八闘将〉だったりする?」

「する」

「ちなみに歳は?」

「ピチピチの十七歳。一番の食べ頃」

「マジか……」


 リリィといいイツキといい、この国は何かがおかしい。

 マリアナと同い年のシグルはそう思いながら片手で顔を覆った。


「私はあなたに興味がある。隅々まで全部知りたい」

「ちょ……っ」

「ちなみにあなたの身長と体重から計算すると、あなたの性器の大きさは最大――」

「はいそこまで! 君はナニを言おうとしているのかな⁉」


 マリアナはシグルに体を密着させながら自身の顔をシグルの顔に近づけ、当の本人は気にしていないのだろうが、シグルは全裸の少女に迫られるという前代未聞の事態に困惑しきっていた。そのとき、


「――シグル、起きてる?」

「やベ……っ」


 ドアの向こうからミィハの声が聞こえ、シグルは慌ててマリアナに毛布を被せ、何事もなかったかのように平静を装おうとしたと同時にドアがゆっくりと開いた。


「あ、ごめんね。起こしちゃった?」

「い、いや。今丁度起きたんだ」


 優しい笑みを浮かべたミィハにシグルは若干たどたどしく答えた。

 彼女の笑顔がこの後どう変化するのかと思うと、シグルの背筋に寒いものが走った。


「なーんだお兄、起きちゃってたのぉ?つまんなー」

「神よ……」


 ミィハの後に声をかけてきたのはリリィであった。

 シグルは今一番来てほしくない人物を用意した神に心の中で何故と問うた。


「そろそろ準備しないとだけど、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫全然大丈夫です」

「なんかお兄変じゃない? はっ! もしかして夕方も……? これが夕勃(だ)ちか」

「ちょ……、バカ来るな!」


 非常に下品なダジャレを口走りながらリリィはシグルのもとに駆け寄った。


「……お兄、これはちょっとデカ過ぎない?」


 リリィは若干引きながらシグルに冷たい目線を送った。

 それもそのはず、シグルの股間部分がこんもりと小山のように盛り上がっているのだから。

 しかし、その正体が裸の少女などと正直に話すわけにはいかない。


「シ、シグル? 調子が悪いならお医者さんに診てもらった方がいいんじゃないかな……」

「そそそんなことはないし⁉ 男は皆こんなもんだし⁉」


 ミィハが顔を赤くしてもじもじしながら言い、シグルは緊張で既に返答の仕方が致命的になっている。


「そこに何かがいるのはわかってるんだ! 観念しろーっ!」

「らめえええええええっ!」


 勘のいいリリィに無理やり毛布を剥ぎ取られ、シグルは珍妙な声を上げた。

 そして、そこで露わになったのは全裸のマリアナがうつ伏せでシグルの股間に顔を押し付けている決定的な光景だった。


「「……」」

「あ、あの……」


 リリィとミィハの二人は想定外の事態に目を点にしたまま固まってしまった。


「――シグル?」

「は、はいっ!」


 ミィハの低い声を効いたシグルは犬よりも早い反応速度でベッドの上に直立し、気を付けの姿勢をとった。


「この子、誰?」

「あの、これはその……」


 ミィハに無表情で問われ、シグルの全身に脂汗が浮かび上がっていく。


「俺は何も知らない! 起きたらコイツがくっついてたんだ!」

「シグルにこんな趣味があったなんて……」

「誤解だ! 俺は小さい子なんて興味ない! お前俺の幼馴染なんだからわかるだろ⁉ ホントに気づいたらいたんだって!」

「嘘! シグルがこんな小さい子に無理やり如何わしい事をするなんて思わなかったわ! グレンさんに私何て言えばいいの⁉」

「だから俺の話を……って何だそれ⁉」


 シグルの言い分など聞く余地もないミィハの手には、いつの間にか根野菜をすりおろす器具が収まっていた。


「シグルが……シグルがそんな悪い子になっちゃうくらいなら、いっそ――」

「待て待て待て何をする気だ⁉」


 ミィハがこれからしでかすことを想像したシグルは、背筋が一気に寒くなったと同時に自身の最重要部分が生存を確保しようと一気に収縮したのを感じた。


「うわあああああああああああああああっ‼」

「ぎゃあああああああああああああああっ‼」


 ミィハが大声を上げながらシグルに襲い掛かり、シグルは悲鳴を上げながらベッドから飛び降り、部屋を飛び出していった。


「……」


 二人がいなくなった後、リリィはベッドですやすやと眠っている少女を見下ろした。


「何やってんの? マリアナ」

「ん、おはようリリィ。久しぶり」


 冷たい声音で声をかけてきたリリィに、マリアナは目を擦りながら短く挨拶をした。


「次は幼女か、シグル」

「だから違うって言ってんだろ!」


 シグルたちは城内のとある大きな黒い扉の前に来ていた。

 これからシグルたちはヴィングスコルニル共和国代表、ライラ・ブリュンヒルデに謁見をする。

 皆に緊張が走る中、ロキはシグルにジト目を向けながら言った。

 シグルは声を荒げて無実を訴えるが、シグルの腕には一人の水色の癖のある髪の少女が眠そうな目をしながらぶら下がっている。


 その少女の名は、マリアナ・ネーレウス。

 ヴィングスコルニル共和国〈第三位階闘将〉である。

 このリリィよりも頭一つ小さい少女が八闘将の一人だと知った一行はまたもや驚かされた。


「これから、この国の王様に会うんだよね。いいのかしら、私勝手に……」

「もうミィハの事は知られてるし、大丈夫じゃないのか?なあ、リリィ」


 ミィハは自分の場違いさに不安を感じてシグルの服の裾を小さく摘まんだ。

 シグルはミィハと同じことを思っていたので、リリィに問うた。


「うん。まあ、あの人はこのくらいのことで怒る人じゃないし安心していいよ」

「ありがとう、リリィちゃん」


 リリィはシグルたちを見ずに素っ気なくさらっと返事をし、ミィハは強張った顔に笑顔を浮かべて礼を言った。


「じゃあ、行くよ」


 リリィがそう言うと、扉の両脇にいる衛兵が揃って敬礼をし、扉のノブに手を掛けた。


「セント・イスラシオ帝国よりお越しの特使の方々、御到着!」


 衛兵の威勢の良い声と同時に扉が低く重厚な音を響かせながらゆっくりと開いた。

 シグルをはじめ、一行の顔が一気に緊張で強張っていく。

 開いた扉の先には非常に広い空間、謁見の間が広がっていた。

 純白の石の床に一本の赤い絨毯が奥まで伸び、その先の壇上に一つの真っ黒い椅子が置かれている。


 リリィを先頭にシグルたちは黙って歩を進め、横一列になって片膝をついた。

 シグルは周りを見渡した。

 するとシグルたちを挟んで左には笑みを浮かべて小さく手を振っているジュリアと眠そうな顔をしているマリアナ、そして目を丸くしてシグルたちを見ている少女が立っていた。

 全員同じ着丈の長い黒い軍服を纏っている。


「あ、あの子」

「入隊式の時にいた子じゃね?」

「あ……!」


 ジャンヌとロキが小声で言ったのを聞いたシグルも思い出し、なぜこんなところにいるのかと、驚きを隠せず少々声を大きく出してしまった。


 次に右側に顔を向けた瞬間、シグルの頭の中が真っ白になった。

 ロキとミィハも目と口を大きく開いて言葉を失っている。

 リリィの隣に非常に大柄な男がいた。金と茶の角刈りの短髪。見紛うはずがなかった。


 グレン・アトラス。育ての父親がむすっとした顔でシグルたちを見下ろしている。

 そして、壇上の奥から一人の長い銀髪の男と、白と翠玉色が組み合わさった鮮やかなドレスを纏った美しい女性が現れた。シグルたちは黙って二人を見上げていた。


「これよりヴィングスコルニル共和国代表、ライラ・ブリュンヒルデ様との謁見を執り行う」


 男が短く謁見の開始を宣言し、シグルたちは揃って深く頭を垂れた。

 すると壇上の袖から床を打つ靴の音と、衣の擦れる音が聞こえてきた。


「面を上げてください。セント・イスラシオ帝国の特使の方々」


 大人びた女性の高い声が響き渡った。

 シグルたちがゆっくりと頭を上げて声の主へと視線を向けたその瞬間――、


『――――』


 時間が、止まった。

 シグルたちはそのように感じたほどの衝撃に全身を支配されていた。

 絶句。もはやシグルたちは驚いたら声を上げるという概念を失っていた。


 一人の女性が腰かけていた。


 白磁のような白い肌を体の線がはっきりとわかるような黒のドレスで包み、床に着きそうな長い黒髪は流れる川のような、最上級の絹を思わせるほどの艶やかさを纏っていた。

 小さな顔にはすべての不条理を優しく受け入れるかのような包容力のある穏やかな微笑が浮かび、一方で力強さを持つ大きな瞳がシグルたちを見つめている。


 帝国にはヴィングスコルニル共和国の代表は、三百年前に世界を覆った戦争を終結に導いた伝説の存在、〈漆黒の聖女〉の生まれ変わりだという噂があった。

 目の前の女性はあらゆる者にそれを何の疑いもなく信じさせることができるであろう、人間離れした美しさをその身に宿していた。

 シグルだけではない。全員が不敬とも思われかねない、口をポカンと開けて呆然とライラを見つめている。


「ようこそ遠路遥々おいでくださいました。わたくしはこの国の代表を務めさせていただいております、ライラ・ブリュンヒルデと申します」

「……シグル?」


 シグルはミィハの声を聞いて我に返り、大急ぎで挨拶の言葉を脳内で紡いだ。


「あ、わた、私はセント・イスラシオ帝国皇帝シャルル・ローラン・ジン・エマヌエーレの勅命により貴国に参上いたしました、シ、シグル・アトラスと申します!」

「同じく特使のジャンヌ・オステローデと申します!」

「ロキ・イングスです」

「わ、私は……ミィハ・フロストと申します……」


 自らが名乗る番だと遅れて気付いたシグルたちは回らない呂律を必死に稼働さえて自己紹介を行った。ミィハは自らの身分を上手く言えず、名前だけ細々と名乗った。


「代表閣下! 私たちは――」

「王国のフレイヤ・リーリス・エリファーリル王女殿下と王宮侍従長のレイン・エスト様ですね。お話は伺っております。道中大変でございましたようで」

「はっ! 帝国の特使の方々と貴国の八闘将のお一人、リリィ・アトラス様に危ないところをお助けいただきました。心より御礼を申し上げます!」


「あ、ありがとう存じます……!」


 レインが張りのある声でライラに謝意を述べ、緊張で涙目になっていたフレイヤも何とか礼を言った。それを見たライラは静かに頷いてシグルたちに視線を戻した。


「みなさん、例の件で詳しいお話に入る前に、まずは旅の疲れを癒してください。ささやかですが、お食事の席を設けさせていただきますので、まずはお互い親睦を深めるということでいかがでしょう」

「ご、ご厚意感謝いたします!」


 ライラの提案にシグルは噛みながらも、他国の統治者という別格の相手に不快感を与えないよう必死に頭の中から言葉を選びながら言った。

 こうして、ライラへの謁見は無事に果たされ、謁見の間を出たシグルたちはあらゆる驚愕と衝撃にもみくちゃにされ、揃って疲れ切った顔をしていた。

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