第4話

 物騒な物音がして男は顔を上げる。間髪をいれず書斎の扉をこじ開けて入ってきたのは、若い青年だった。


「先生!前にも言いましたよ締め切りです!観念して下さい、いい加減にして下さい、怒られるの私なんです!!」


 猛烈な怒声が書斎中に響き渡り、男は強風を前にしたようにのけ反る。


「……ん?兵くん、当初から段々締め切り期間短くなってないかい?僕が押してるから?それとも兵くん、わざと締め切り縮めて僕に伝えてる?嘘はいけないよ。」


「この部屋中のちょこざいなガラクタ、処分しないだけ有難く思ってください!」


 書斎と呼ばれるこの部屋に敷き詰められているのは、無数の盆栽、最新の顕微鏡や流行りの万華鏡、六体に及ぶ狸の置物、大型のくるみ割り人形に、高価なコーヒー豆挽き、土国(トルコ)から取り寄せた鮮やかに輝くランプ、気取って買った虫眼鏡、煙管、探偵帽……等々。


「洗濯物で窓の外が見えなくなるのは嫌だねぇ。兵くん、取り込んでおいてくれよ」


「私は貴方の家政婦じゃないんです!」


「まぁまぁ、その間に原稿完成させておくから」


 青年は顔をしかめる。ゆったりと目を細めて笑う師をどうも信じきれない。悠長に笑う目の前の男と、その机に積まれた白紙の原稿用紙を見比べる。優雅に扇子などあおぎはじめるその右手に、万年筆を握らせて縛り付けてやろうと思った。


「そんなこと言ってまたどこかへ逃げるつもりでしょう!」


「さぁ、そんなことしないよ。ほら、行った行った」


 そう言って、名のある作家は手をひらひらさせる。青年は物干し竿を手に、片時も目を離さないことを心に決めて、硯ガラスの戸に手をかけた。


「本当に終わらせておいてくださいよ」


 ぴしゃりと戸が閉まる。


 青年は黙々と作業に取りかかりながら、まじまじと師を睨みつけていた。硯のガラス越しでよく見えなかったが、師は確かに机に伏せ、席を立たなかった。


 まるで家政婦もとい、手際よく乾いた衣類を取り込んで、青年は不機嫌そうに声をかける。


「はかどりましたか?って何寝てるんですか!!起きろ、怠け大臣!」


 青年は手の物干し竿で、師をばしばし叩く。名作家ともあろう男がふげふげと唸る。


「よしなさいよ、怠け大臣だなんてセンスの欠片もない。あと竿で人を叩くんじゃない。ほれ」


 青年の前に、万年筆で達筆に書き連ねられた紙の束が突きつけられる。見る度感嘆する美しい師の字だ。


「真面目なんだから」


 数々の名作を生む作家は、まだ若い弟子の頭にぽんっと手を置く。


「宜しく頼むね、兵太」


「代々木先生」


 呼ばれて男は気だるげな返事をする。


「もしかして、最初から出来上がってたんじゃないでしょうね?私のことからかってます?」


 一瞬きょとんとして、作家の男はまた、にんまり笑う。


「まっさかぁ」

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