けんかになった?――ぼくには、その理由が、よくわからなかった。



 もちろん、自分の子どもが殴られたから、だろう。だとしたら、それは、筋の通らない、はなしではないか。親なら、それを甘んじて受けいれて、自分の子どもに、責任をとらせるべきでは、ないのか。


「むかし、不条理な理由で殺人をおかした、少年がいただろう。ほんとに不条理な、理解できないくらいの。三年前くらいに、話題になった。あれ、親は、取材に対して、必死にその子を、かばってて……」


 黒木は、はなしの途中で、だしがしみこんだ大根を、ひとかじりした。


「……そしたら、テレビのコメンテーターも、ネットの人たちも、親なら厳しくあるべきだ……みたいな感じで、あの親子を批判してたよな。あれ、おれには、理解できないんだ」


「……なぜ?」


 ぼくは、反射的に、そうき返していた。


「だってさ……親の仕事って、なんだと思う? 子を守ることなんだよ。それが普通なんだよ。ていうかさ、この世で、だれひとりも、かばってもらえるひとがいない、そんなひとがいる、社会なんて、ぞっとするだろ。そっちの方が、間違ってる」


 ぼくは、黒木の言うことこそ、間違っていると思った。


 しかし、彼の意見に対して、反対する理由なんて、よく言われているものだから、それを口にする意味なんて、なかった。


「ひとを殺したことは、許せないじゃないか。それを肯定するなんて、間違いだよ。殺人を認めるなんてありえない」


 なにも言わない、ぼくのかわりに、この屋台の主人は、黙っていられないとばかりに、少し声をあらげて、口をはさんできた。


「しかしね……おれは、こう思うんですよ。〈許せない〉という感情を、口にしたり、文字にしたりして、他人と共有してしまったとき、ひとりひとりがもつ、〈許せない〉という感情の、個性のようなものが、なくなってしまって、ひとつの意味に、まとめられちゃうんじゃないかって」


 主人は、なにを言っているんだ、という風に、顔をしかめた。しかし、黒木は、話し続けた。


「だれのものでもなくなった、責任の所在のない、その〈許せない〉という感情は、暴力ですよ。だれかが代表して、責任を負うことなんて、ないんだから」


 黒木は、はっきりと、そう言った。そこに、相手への気づかいというものは、なかった。


 ぼくは、どうなるものかと思ったが、主人は、不機嫌な顔をしたものの、もう、なにも、言わなかった。


 ほっとした。しかし、もっと、ふたりのやりとりを、聞いてみたかったというのも、本音のひとつだった。




「行こうか」


 黒木は、ボロボロの財布から、千円札を二枚出して、おつりを受けとった。ぼくもまた、同じことをした。


 同じこと――それは、当然のことなのに、不自然なことのように、感じてしまった。


 それは、黒木がおごるべきだ、ということでは、もちろんなく、ぼくたちは、どのような関係であれ、ある程度は、同じことをして、生きているという、当たり前の事実に対する、〈慣れなさ〉だ。


 ぼくは、黒木と、一緒にいることで、彼との違いと、そうではない、彼と似たようなところを、どんどん、感じとっていた。



 だとしたら、なぜ、ぼくたちは、いじめっ子と、いじめられっ子に、分裂したのだろうか。

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