「おでん食おうぜ」


 ぼくたちの目の前には、おでんの屋台があった。


 この時期にも、おでんを食べることができるということを、ぼくは知らなかった。しかし、ひさしぶりに、いのちを宿したあかりを、見ることができた。




 ぼくたちは、横ならびになって、それぞれ好きな具を注文した。


 黒木は、お酒をたのまなかった。ぼくは、少しくらい飲みたい気分だったが、よすことにした。記憶している黒木の性格からして、酒豪になっていてもおかしくないと思っていた。しかし、彼は、お酒はまったく飲めないんだと、申し訳なさそうに、苦笑するのだ。


 大根をかじったとき、そういえば、まだ、夜ごはんを食べていなかったことに気づいた。本当なら、待ち人と一緒に、飲み屋にいくはずだった。しかし、彼はこなかった。なぜ、こなかったのだろうか。ぼくは、いまさら、そんな疑念をいだいた。



「いまさ、もめごとがあってな」


 しばらく黙っていた、黒木が、おもむろに話しはじめた。


「もめごと?」


 黒木には、もめごとのひとつやふたつ、つきまとっていても、おかしくない。しかし、それを受けいれて、なにくそと、はねかえすのが、黒木というおとこだと思っていたが、どうやら、そうとは言いきれないらしい。



「子どもがいるんだけどさ、拓也っていう。今年、小学生になったばかりなんだけど」


 黒木に子どもがいることには、なんの驚きもなかった。ぼくたちは、もう飽きるほど、夏のあつさにうだり、冬のさむさにふるえ……それを繰り返してきたのだから。



「一週間ほど前、拓也が、同級生に怪我をさせてしまったんだよ」



 それを聞いて、ぼくは、なんだか、気分が悪くなってしまった。


 季節とどうように、黒木には、ほかに、繰り返しているものがあるらしい。黒木の子どもは、これから、あのころの黒木のような、いじめっ子に、なってしまうのだろうか。



「でさ、向こうの家族に、謝って、謝って。でもさ、その子の家に、最初に謝りにいったとき、その子の父親が、拓也をひっぱたいたんだよ。妻はそれを見て、ほんとにごめんなさいって、謝るんだぜ。おれは、頭にきた。そこにいる、ぜんいんに」



 ぼくとは反対に、黒木は、こうしたはなしをしているときも、なぜだか、やわらかい表情をしていた。ぼくは、黒木というおとこが、よくわからなくなってしまった。


 屋台の主人は、一言もしゃべらず、菜箸さいばしで、おでんを、おいしくしあげていた。しかし、ぼくたちの話を、聞いていないふりをしているということは、隠せていなかった。



「おれは、その父親とけんかになったよ。口げんかじゃなくて。それで、よけいこじれてるのさ、この件は」

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