第壱章

第壱話

 壁には蔦や汚れが目立ち、不気味な雰囲気を醸し出しているビルに一人の青年が迷いもせずスタスタと中へ入っていく。

 耳より少し長い金色の髪の毛を揺らしながら安倍は階段を上がり、最上階のとある扉を開けた。


 中央に簡素な事務机が4つ並べられ、その一つの机突っ伏しながらだらだらとショートケーキを食べている灰色の髪の青年が安倍に気が付くと気の抜けた声で「安倍ちゃんおはよ~」と声を掛けてくる。

「おはようございます、桐ケ谷さん……書類汚しますよ、せめてソファーで食べてください」


 安倍の上司に当たるこの桐ケ谷きりがや さとるが仕事中に甘いケーキを食べることは最早日常となっていた。所属された当初は「仕事中にも関わらず、休日のように過ごすなんて」と若干イライラしていた安倍であったが、他の同僚に「何を言っても無駄だし気にしたら負けだよ」と言われ、諦めた……いや、呆れて何も言えなくなったのだ。

 桐ケ谷は現地に出向く事よりも、報告書を纏め本部に提出する事を主な職務としている為、一応このように声掛けはするのだが


「今日はそもそも書類にまだ触ってすらいないから平気、平気! 」


 ……と、返されてしまう事が大半だった。

 またか、と眉間にしわを寄せてしまうが気にしたら負けと自分に言い聞かせるように心の中で唱えながら自分の椅子に腰掛けたが、続けて発せられた桐ケ谷の「それに、今は芦屋くんがソファーで寝ているからねぇ、譲ってあげたんだよ」という言葉に思わず頭を抱えてしまった。


 いつからかこの事務所に住み着いていた芦屋あしや 新弦しんげんは幽霊である。

 見た目は普通の人間に見えるのだが、浮く事が出来るし頑張れば壁もすり抜けられる……らしい。

 そして何より芦屋は普通の人には見えない、所謂霊感と呼ばれるものがある人にだけ見える辺り本当に幽霊なのだと信じざるを得なかった。

 幽霊である以上睡眠は必要ない筈だが……何故寝ているのだろうか。元人間だからか?

 安倍は考える事を辞め、先日解決した事件の報告書を作成しようとパソコンを起動させた。



 カタカタとキーボードの打つ音と、時折響く食器のカチャという音しか聞こえなかった部屋に突如プルルルと電話のコールが響く。桐ケ谷の携帯電話から鳴っているようだ。

 面倒そうに立ちあがり、電話するために部屋の外に出た桐ケ谷を横目に見ながら一度作業を止め、荷物を纏める。部屋にある電話ではなく、桐ケ谷に直接連絡が来るのは同僚が応援を求めているか、緊急の案件だからだ。


 暫くして、桐ケ谷が部屋のドアを開けると「安倍ちゃ~ん、緊急のお仕事ですよ~」とまた気の抜けた声で話しかけながら入ってくる。

どう考えても緊急の様には見えないがそれも“いつものこと”なので気にしない。

返事をし、彼のデスクに向かうと詳細のメールが届いたのかパソコンを見ながら話し始める。




「集団発狂……ですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る