ショート2 恵のお楽しみ
ある日のこと――。
「ん……」
重いまぶたをゆっくり持ち上げて、恵はゆっくりと目を開けた。
最初に目に映ったのは、見慣れた天井。
「…………」
ふと枕元にある時計を見ると、朝の五時を回ろうとしている。
どうりで電気が点いていないのに部屋の中が薄っすらと明るくなっていたわけだ。
だが、今の恵にはそんなことは些細なことで…ーー
「……」
恵の口からフッと笑みがこぼれる。
……時間通り。
すると、恵は徐にベッドから起き上がり、部屋を出た。
それから、電気の点いていない廊下を進んで、恵はある部屋の前へとやって来た。
扉に掛けてある木製のドアプレートの『Iori』の文字。
そう。ここは、伊織の部屋だ。
どうして恵が早朝、ここに来たのかというと…――
「…………」
恵は扉のノブを回し、音を立てないようにゆっくり開けた。
その動きには一切無駄がない。
まるで日頃から同じことを繰り返しているような……。
部屋の中はもちろん電気が消えているので暗かったが、カーテンの隙間から朝陽がお目見えしていた。
「……ふふふっ」
不敵な笑みを浮かべながら、脚は真っ直ぐベッドに向かった。
そして。
恵の瞳が、ベッドの上でぐっすり眠っている伊織を捉えた。
伊織……。
口の中で名前を呟き、覗き込もうとした。そのとき、
「んん〜……」
「!!」
ぐっすり夢の中の伊織が、急に寝返りをしたのだ。
恵は、素早くその場にしゃがんで伊織の様子を窺う。
………………。
「んん……」
伊織は寝返りをしただけで、どうやら起きてはいないようだ。
ふぅ……。
危ない危ない。
手の甲で汗を拭う。
汗はかいてないけれど。
兎にも角にも、伊織が目覚ましで起きるまでは、まだ時間がある。
……ここからが正念場だ。
心臓の鼓動が伝わらないように、一度深呼吸をする。
それから、ギシギシと音が立たないように気をつけながら、ゆっくりベッドに手をつく。
そして、ゆっくり覗き込むと、
「すぅ……すぅ……」
あどけなさの残る寝顔の伊織が静かに寝息を立てていた。
いつものしっかりしているときとのギャップに、恵の心はときめく。
どうやら世の中では『きゅん』が流行っているらしいが、恵が『きゅん』となるものはすぐ目の前にいる。
……至福の時間とはまさにこのこと。
「………………」
恵の優しい眼差しが伊織を捉えて離さない。
こうやって寝顔が見られるのも、一緒に暮らしている恵だけの特権だ。
本人には内緒の、恵の日課だったりする。
それが原因なのか、一度起きてから寝直すため、朝起きるのがとても辛い日があったりする。
貧血で起きれないときもあるけれど。
ふとそんなことを考えていると、
「恵」
伊織が…――自分の名前を呼んだ。
恵は驚いて目を見開くも、また素早く隠れようとしたが、
「……?」
伊織の目は閉じたままだった。
……寝言?
ということは、もしかすると自分が夢の中に登場しているのかもしれない。
一体、どんな夢を見ているのか気になるところだけれど。
(……ふふっ)
目の保養という名の癒しを感じながら、恵の心はポカポカと幸せに満たされるのであった。
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