第25話 一件落着、なのだけれど……
あれからどれくらい時間が経ったのか、自分でもわからない。
ポケットからスマホを出して調べれば早い話だが、調べたところでなにかあるというわけではないから、まぁいいだろう。
それよりも今は…――。
「そのとき伊織くんが――」
「伊織が――」
「そ、それだけは……」
「へぇー、これは面白い話を聞いちゃったねぇ〜」
さっきまでの重かった空気が噓だったかのように、会話は盛り上がっていた。
興味津々な香さんに、わたしと恵ちゃんは止まることなくこれまでの伊織くんのあれやこれやを話した。
それを慌てた顔で止めようとする伊織くんに、笑みを浮かべるのであった。
はぁ〜……楽しいぃぃぃ。
と心の中で思うままに叫んだ。
(……あ)
そこで、ふとカウンターでコーヒーカップを拭いていたマスターの元へ向かい、
「マスター、協力してくれてありがとうございました」
とお礼の言葉を伝えた。
「ほっほっほ。別に構わんよ。それよりも、うまくいってよかったの」
「……はいっ」
マスターの協力無しでは、今回の作戦はうまくいかなかっただろう。
そう考えると、これからはより一層仕事に力を入れていかねば。
……あ、もしかして。
「マスターは、こうなることがわかっていたんじゃないですか?」
「さあ、どうかの?」
「……はぁ。やっぱり、マスターには敵いませんね」
「ほっほっほー。そんなことより、乙葉ちゃん」
「はい、なんですか?」
わたしが尋ねると、マスターはニコッと微笑んで、
「……そろそろ、仕事に戻ろうか」
「っ! は、はーい……」
……忘れてた。
そういえば、本当はまだ営業時間だったんだ……。
わたしは小さな声で返事をして、店の奥にあるロッカー室へと向かう。
営業時間を利用したのだから、当たり前と言えるだろう。
マスターへの感謝の思いを胸に、店の制服に腕を通したのだった。
――それからはというと。
営業を再開したと同時に来店したお客さんの接客に追われていた。
本当は、今も楽しそうに会話をしているあの輪の中に戻りたいところだけれど、一家団欒の邪魔になってしまうかもしれない。
だがら、あの輪の中に入るのは、今は止めておこう。
そう。今は…――。
いつかは家族として……なんてね、テヘッ♪
……でも。
ううううぅぅぅぅ……っ。
やっぱり、わたしもあの中に入ってお喋りしたいよ~……。
「乙葉ちゃん、ホットコーヒー二つ頼んだよ」
「あ、はーい」
返事をしてからコーヒー二つを受け取り、トレイに乗せた。
仕事はわたしを待ってはくれないらしい。
はぁ……。
口の中でため息を漏らしながら、ホットコーヒーをテーブルに運んだのだった。
仕事に集中している間に、時間は過ぎていった。
「ありがとうございました〜」
最後のお客さんのお見送りして、今日のバイトは終わりを迎えた。
ああ〜疲れたー……。
と心の中で呟きながら、腕をグッと上に伸ばす。
「乙葉ちゃん、おつかれ」
すると、カウンターにいたマスターが声をかけてきた。
「マスター、今日は頑張りましたよ〜」
「ありがとう。じゃがこの頑張りを毎回してくれたら楽なんじゃがのぉ〜」
「あ、あはははは……」
それを言われてしまうと、こちらも返す言葉がない。
「先輩、これからスーパーに夕食の買い出しに行くんですけど、よかったら今日、
「えっ、いいの!?」
「はい、先輩がいいなら」
「行くっ! 行きまーすっ!」
わたしが元気な声を上げているところを見て、伊織くんは笑みを浮かべて言った。
「あはははっ、先輩テンション高いですね」
「………………っ」
わたしは急に恥ずかしくなって、伊織くんに見られないように真っ赤になった顔を逸らした。
そして、わたしは振り返って店の奥にある更衣室へと向かう。
その間、背中越しに伊織くんの視線が向けられていたけれど、構うことなんてできるわけなかった。
「………………」
恥ずかしさと嬉しさが混ざり合ったこの顔を見られたくなかったのだった。
「……えへへっ♪」
……。
…………。
………………。
それから私服に着替えて、リズミカルな鼻歌を口ずさみながら更衣室を出ると、
「……」
廊下の真ん中で、恵ちゃんがこちらを見ていた。
じーっとした視線が、わたしに向けられている。
「? どうしたの、恵ちゃん?」
と尋ねてみたのだけれど、恵ちゃんからこれといった返事はない。
「………………」
ん? なんだろう……?
すると、恵ちゃんはなにも言わずわたしに背を向けると、
「……ありがとうございました」
とポツリと呟いて、二人の元へと戻って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで、わたしはその場に棒立ちで立っていたのだった。
その後。
恵ちゃんの後を追って店内に戻って来ると、香さんが会計の伝票をマスターに渡していた。
慌ててわたしが「払います」と言っても、それを遮ってお釣りを受け取っていた。
「こういうときはね、『お言葉に甘えます』でいいんだよっ♪」
と言って満面の笑みを浮かべる香さん。
「え? えーっと……」
ここまで言われてしまったら仕方ない。
今回は素直にごちそうしてもらうとしよう。
「お、お言葉に甘えます」
「うんうんっ♪」
香さんは二度頷き、財布をカバンに閉まった。
「………………」
……んん?
わたしが香さんとやり取りをしている間も、ずっと、じーっとした視線が向けられていた。
一体、なんなの……?
ここまで来ると、気になってしょうがない。
うーん……。
すると、その様子を見て、香さんは「ふふっ」と不敵な笑みを浮かべて、
「伊織君、わたしたちは先にお店を出ていよっか♪」
「え?」
「いいからいいから♪」
「あ、ちょっ…――」
香さんは、伊織くんの背中を押して店を出ようとしたとき、こちらに振り返ってウインクをした。
どうやらわたしの周りには、察しのいい人が多いようだ。
アイコンタクトで『ありがとうございます』とお礼を伝えると、またニコッと微笑んで、
「行くよ~」
カランカランと鈴の音を鳴らして、二人は店の外に行ってしまった。
すると、
「ほっほっほー」
マスターはいつもように高笑いをして、店の奥へと行ってしまった。
それにより、この場にはわたしと恵ちゃんだけになったのだけれど。
「………………………………」
「………………………………」
しーんとした空気が流れる。
どちらから先に話を切り出すか、お互いに相手の様子を窺っている状況が続いた。
なにかわたしに言いたいことがあったから、更衣室の前で待っていたはずだ。
うーん……。
この際だし……。
このままでは時間だけが過ぎていくので、わたしは、思い切ってあのことについて尋ねることにした。
「一つだけ聞いてもいいかな?」
「……はい」
恵ちゃんは、囁くような小さな声でコクリと頷いた。
ふぅ……。
一度口の中で深呼吸をして心を落ち着かせる。
……よし。
「恵ちゃんは……そのー……えっと……い、伊織くんのこと――どう思ってるの?」
なぜこの質問をしたのか。
これには、ある確信があった。
それは、恵ちゃんが時折見せる伊織くんを見るときの顔が、ただの義理の兄を見るそれとは全く違って見えたのだ。
大学にいるときも、わたしがお家で夕食をごちそうしてもらったときも。
……伊織くんと一緒にいるわたしを見る目が、明らかに『それ』だということも。
――――――――――――。
彼女の……本心が知りたい。
本当に恋のライバルなのか、はっきりしておくために……。
当の恵ちゃんはというと、さっきまでこちらに向けていた視線を下げていて、わたしと目を合わせようとはしない。
「無理にとは言わないけど…――教えて欲しい、な……」
「…………」
すると、
恵ちゃんがゆっくりと歩いて距離を詰めて来て、
「え。め……恵ちゃん?」
鼻先が触れてしまいそうな至近距離に、恵ちゃんの顔があった。
少し視線を下げれば、すぐそこには可愛らしい唇が――
え、なになに!? なんなの……っ!?
我に帰ったのも束の間、恵ちゃんはこっちを真っすぐ見たまま言った。
今まで聞いたことのない、囁くような声で…――
「――内緒、です。少なくとも、先輩には…――」
「え?」
恵ちゃんが言った言葉に、わたしは思わず素っ頓狂な声を上げた。
な、内緒……?
それに、「先輩には」って……。
今の言葉の意味がなんなのか必死に脳をフル回転させていると、
「…………」
そんなわたしを見て、恵ちゃんは店の扉に手を掛けてこちらに振り返り、ゆっくり口を開けた。
「―――――――――――――――――――」
そして、扉の鈴の音と共に、恵ちゃんの姿は見えなくなったのだった。
わたしを含めた四人は、駅へと向かって歩道を歩いていた。
「…………」
「大丈夫ですか、先輩? なんだか顔色悪いですよ?」
「え……な、なんでもないよ!?」
「そうですか?」
明らかにテンパっているわたしに伊織くんは首を傾げてから、前を向いた。
わたしとしたことが、伊織くんに心配を掛けてしまった。
はぁ……。
チラッと、隣を歩く恵ちゃんを見た。
「…………」
恵ちゃんは顔を俯かせたまま、今見られていることに気づいていないようだ。
頭の中は、さっき恵ちゃんが言った言葉で埋め尽くされていた。
………………。
『義妹だから、恋をしてはダメなんですか?』
わからない。わからないよ……。
自分の許容範囲がここまで狭かったことに、反省の言葉しか浮かばない。
こ……これは、恋のライバルで確定ということでいいんだよね?
あの真剣な顔は――本気だ。
まさかとは思っていたけれど、本当に恋心を抱いていたなんて……。
……でも。
社会的にも、倫理的にも、許されることではないのは間違いない。
はぁ……どうしてわたし、自分ではなく相手の心配をしているのだろう。
考え過ぎなのかな。
そんな余裕ないのに……。
わたしは、どうすれば…――
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