第22話 ……先輩
それから、数日後。
わたしは、伊織くんたちの家にあるソファーの上にいた。
どうしてわたしがここいるのか。
それは、伊織くんの家にご飯を食べにきたのだ。だけど、ただ美味しいご飯を食べにきたわけではない。
チラッと、キッチンで調理をしている伊織くんを見る。
「………………」
どこか元気のないように見える伊織くんは、包丁で玉ねぎをみじん切りにしていた。
トントントン…――――――――。
リビングにまで響く気持ちのいい音。
……はぁ……。
視線を前に戻してからふと横を見ると、恵ちゃんがスマホの画面を眺めていた。
あのリボンは…………付けてない、か。
横画面にしているところを見るに、恐らくなにかの動画を見ているのだろう。
ここからでは見えないけれど。
ちなみにわたしはというと、さっきからスマホの画面を点けたり消したりしていた。
テレビを点けても、特に今見たい番組があるわけでもないし。
うーん……どうしたものか。って、今はそれよりも、いつあの話を持ち出すかを考えないと。
思い立ったが吉日ということわざがあるように、昨日、しーちゃんとの電話で決意して伊織くんに連絡してからというもの、眠りにつくまでこれといった案はなにも思い浮かばなかった。
でも。
やっぱり、このまま二人を放っておくことはわたしにはできない。
義理とは言っても、親子なのだ。
伊織くんだって、香さんの気持ちを知ればきっとわかってくれるはずっ!
と心の中で気合を入れていると、
「痛っ!」
突然キッチンの方から大きな声が聞こえた。
「!? い、伊織くん!?」
「……!?」
わたしと恵ちゃんが慌ててキッチンに入ると、伊織くんが人差し指を流水で洗っていた。
恐らく包丁で指を切ってしまったのだろう。
切ったところが痛むのか、伊織くんは顔をしかめている。
「伊織くん、大丈夫?」
「これくらい大丈夫です。少し切っただけなんで」
「でも……あ」
わたしは、今日持ってきたカバンの中に小さな絆創膏があったことを思い出した。
外でケガをしてしまったときのために元々入れていたものだ。
急いでリビングに置いていたカバンから絆創膏を取り出す。
「切ったところ見せて」
「え、別に――」
「――お願いだからっ!」
いつもより強い口調で言うと、伊織くんは目を見開いたままわたしを見ていた。
そうしている間も、指の傷口からじんわりと血が出ている。
「……わ、わかりました」
伊織くんの了承を得て、早速わたしは、持っていた絆創膏を傷口に貼った。
……。
…………。
………………。
「これでよしっ!」
「ありがとうございます、先輩」
「いえいえ、どういたしましてっ」
貼る前にきちんと消毒もしたし、すぐに治るよね。
「…………」
その様子を、恵ちゃんは真っ直ぐな瞳で見つめていた。
それから時間は経ち、夕食時。
結局、あれから話を切り出すことはできなかった。
はぁ……。
そんなわたしのため息をよそに、テーブルの上には伊織くんが作った料理が並んだ。
炊き立てのご飯、豆腐のお味噌汁、レタスとプチトマトのサラダ。
そして、メインはなんといっても、和風ハンバーグ。
大葉と大根おろしが乗っていて、その上にポン酢がかけられている。
さすが伊織くん、料理の腕がどんどん上がっている。
これは……早く食べたいっ!
すると、さっきまでキッチンにいた伊織くんが席に着いた。
「「「いただきます」」」
わたしは、ハンバーグをお箸で一口サイズに切り、口に運んだ。
ポン酢のさっぱりとした味とハンバーグの肉汁が、ここまで相まっているとは……。
美味しい……。
目を細めて頬を緩めていると、目の前の伊織くんがハンバーグを食べてリラックスした表情を浮かべていた。
どうやら自分的にも納得の出来だったらしい。
もしかして今なら…………よしっ。
さり気なく、さり気なーく……。
「ね、ねぇ……伊織くん」
すると、伊織くんはハンバーグに向けていた箸を止めてわたしの方を見た。
「はい、なんですか?」
伊織くんの視線を真っ直ぐ受けながら、
「あの、その……」
いざ対面して話そうとすると、急に口から言葉が出なくなる。
今も、心臓がバクバクと高鳴っているのがわかる。
「? なにかあるなら言ってください。気になるじゃないですか」
「えーっと……や、やっぱり、なんでもない……っ!」
ああぁぁぁぁぁーっ。
せっかく言うチャンスだったのに……っ!!
と心の中で叫んでいるわたしを、伊織くんは首を傾げながら眺めていた。
「あ、あはははは……」
わたしは勘づかれないように、精一杯の誤魔化し笑いを浮かべたのだった。
それから数十分後。
和風ハンバーグは絶品で、ご飯のおかわりが止まらず、お腹の中が幸せでいっぱいになったのだけれど。
「「ごちそうさまでした」」
「ご、ごちそう……さまでした……」
話を切り出すことに失敗し、気づいた頃には夕食を食べ終えてしまった。
はぁ……どうしよう……。
「先輩」
「は、はいぃぃぃっ!?」
急に呼ばれて体がビクッと反応したわたしは、慌てて伊織くんを見る。
「な、なにかな……?」
恐る恐る言うと、伊織くんは真っ直ぐとわたしを見ていて、
「……先輩がここに来た本当の理由、教えてください」
……え。
予想していなかった言葉に、わたしは思わずポカンと口を開けた。
もしかして、バレちゃった……?
「わ、わたしはただ、夕食をごちそうしてもらおうと思って……」
「誤魔化そうとしても無駄です。先輩がここに来たときからわかってましたから」
言い終わる前にはっきりと言われてしまった。
うううぅぅぅぅ……。
「さ、さすがだね……伊織くん……」
すると、伊織くんは落ち着いた口調で言った。
「……あの人のことで、ここに来たんですよね?」
「ッ!!」
驚くわたしに、伊織くんは口を止めず続けて言った。
「どうせ、僕たちの仲を良くしようとか考えているんでしょ?」
ーーギクッ。
さすが伊織くん、勘が鋭い。
「そ、そ、それは…………」
どうやら、平然を装うとしても無駄のようだ。
助けを求めるようにチラッと隣を見ると、恵ちゃんは口をもぐもぐしながらわたしたちのやり取りをじーっと眺めていた。
………………。
「あのあと、二人でなにか話していたんですよね?」
「え、えっと……うん」
おずおずと頷くわたし。
すると、
「先輩は……」
「え?」
「先輩は、あの人をどう思いましたか?」
「と、とても優しそうな人だな……って」
「…………」
伊織くんは目を合わせないように顔を逸らした。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
ダイニングテーブルを囲んで、沈黙が流れた。
重い空気と言える、この状況。
ある程度予測していたとはいえ……。
ドキッドキッドキッ…――。
でも、今の気持ちを伝えるならここしかない。
そう考えたわたしは、ゆっくりと口を開けた。
「わ、わたしは赤の他人だけど……やっぱり……二人には仲良くなってほしい……というか……」
言葉に詰まりながら、なんとか自分の思いを伝える。
「そのためなら、なんでも力になるというか……。わたしも相談に乗るし、マスターなんか相談相手にばっちりだし……」
震えた声が、嫌でも自分が緊張していることを教えてくれる。
「だから、その…――」
「――先輩には関係ないことですッ!」
「っ!!?」
伊織くんの声がリビングに響き渡る。
今まで見たことのないその姿に、呆然としてしまうわたしと恵ちゃん。
「ごっ……ごめんなさい……」
「……あっ……す、すみません。急に大声なんか出したりして……」
伊織くんの消え入りそうな声が、耳に届く。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
さっきと同様、下手になにかを言えない重い空気がリビングを包んだ。
リビングの時計の針が回る音が、今までで一番はっきりと聞こえる。
すると、突然伊織くんが席を立った。
「…………」
「…………」
じーっと視線を向けているわたしと恵ちゃんを見て、伊織くんは、
「……トイレですよ、トイレ」
そう言い残して、伊織くんはリビングを出て行った。
ガチャリと扉の閉まる音と共に、肩に入っていた力が抜けた。
はぁ……。
それにしても、あんなに怒った伊織くんを見るのは、初めてだった。
……言うタイミング、間違えちゃったかな……。
そんな不安が次々と頭の中に浮かび上がっていると、突然じーっとした視線を感じて、顔を横に向けた。
「? ど、どうしたの?」
恵ちゃんは、席を立ってわたしの目の前に来ると、
「……先輩」
……え。
初めて、『先輩』と呼ばれた。
不意の衝撃に、一瞬思考が停止する。
そんなわたしに恵ちゃんは、小さな、だが信念のある声で言った。
「……一つ、相談があります」
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