第21話 義母と想いと

「………………」

「………………」

「………………」


 えーっと……どうして、こうなった……?


 まさに混沌と言うなのカオスが漂うテーブルを囲う、わたしたち。


 確か、飲み物を運んでいたら二人の会話が聞こえてきて、それから――


 ………………。

 …………。

 ……。


『――えっ。義理の、お、お母さん……!?』

『うん?』

『……あ。お、お待たせしましたっ!! アイスティーと、ほ、ホットコーヒーですっ!!』

『ふふっ、ありがとう』

『…………』

『そういえば、自己紹介がまだ……」

『そ、そうです、ねぇ……』

黒瀬香くろせかおりです。よろしくね』

『す、鈴峰乙葉すずみねおとは、ですっ! 伊織くんの、お、お母様……っ!!』

『ふふっ、香さんでいいわよ』

『え、いや、それは流石に……』

『別に構わないのよ?』

『……ほんとに、い、いいんですか⁉︎』

『えぇ』

『ッ!?』

『…………先輩』

『!? え、えーっと……』


 ……。

 …………。

 ………………。


 急な展開にもほどがある。


 今思い出しただけでも、胸のドキドキが止まらない。


 気がつけば、お昼のピークが過ぎたこともあり、喫茶店の中には、わたし、伊織いおりくん、伊織くんの義理のお母さん、マスターの四人しかいなかった。


 彼此かれこれ、どれくらいの時間が経過したことか。


 そんなことを考えていると、カランカランという音と共に、外に出ていたマスターが店に戻ってきた。


 まだ閉店時間まで時間はあったけれど、どうやらマスターが気を利かせて、CLOSEDの看板を店の前において他の人が入って来ないようにしてくれたらしい。


 ありがとうございます、マスター。


 と心の中でお礼を伝え、顔を前に向ける。


 ふと、香さんと目が合う。


「あ、あの……あ」


 すると、マスターはわたしの前にカプチーノの入ったカップを置いてくれた。


「ほっほっほ」


 マスターは、いつものように高らかに笑ってカウンターへと戻った。


 ああぁ、だから常連の奥様方にモテるんだなぁ……。


「そういえば、さっき家に行ったら恵しかいなかったけど……」

「……友達と一緒に図書館に勉強しに行ってたんです」


 だが、これは咄嗟に思い浮かんだ嘘で、本当は、家で会う気まずさに耐えきれなくて、近くのファストフード店に逃げていたのだった。


「あ、そうだったのね」


 と言って納得した顔で頷く香さん。


 わたしがマスターの凄さに改めて気づかされている間に、伊織くんと香さんは話し始めていた。


 ………………。


 わたしって、ここにいてもいいのかな……。


 緊張以上に気まずさが勝っているこの状況に、わたしのライフはどんどん減っていく。


 は、早く、休憩時間終わって……


「連絡先、知ってたんですね」

「修一さんに教えてもらったの。そういえば聞いてなかったなって思って」

「しゅっ、修一さん……?」

「僕の父の名前です」

「あ、そうなんだ……」


 これまた新しい情報が手に入った。


 伊織くん曰く、サラリーマン一筋の仕事人。また厳格な性格のようで、笑っているところをあまり見たことがないらしい。


 メモメモ……っと。


「………………」

「………………」


 あ、あれ……?


 ふと周りを見ると、自分の内心とは明らかに違う空気が漂っていた。


 毎度のこと、自分の世界に入ってしまって周りが見えなくなっていたようだ。


「………………」


 空気が重くなるほど、段々テンションが落ちていく……


 そのとき、


「……僕、これから夕食の買い出しがあるので、ここで失礼します」


 と言って伊織くんは席を立ち、レジでお会計を済ませると、喫茶店を出て行ってしまった。


「い、伊織くんっ!」


 わたしは、慌てて後を追おうと席を立った。すると、


「待ってください」


 呼び止められて振り返ったわたしが見たのは、こちらを真剣な目で見る香さんだった。


「いいんです。今はこのままで」

「で、でも……」


 わたしは扉の方を見た。だが、そこに伊織くんの姿はなかった。




「………………」

「………………」


 伊織くんがいなくなった後のテーブルは、しーんと空気が流れていた。


 き、気まずい……。


 わたしと香さんは、特になにかを言うこともなく、飲み終わったカップの底を見つめていた。


 ………………。


 こういうときって、どうすればよかったんだっけ……。


 気分転換に飲み物のおかわりでもいかがですか……とか、席を移動しますか……とか、なにかないかな。


 と考えを巡らせていると、


「あの……一つ聞いてもいいかしら?」

「は、はいっ! な、なんでしょうか?」

「特別難しいことではないのだけど……」


 と前置きをしてから、香さんは言った。


「……伊織君と恵は、こっちに来てからどんな感じなのか、教えて欲しいの」

「え。い、いいですけど」


 なにを聞かれるのかわからず身構えるのに必死だったが、どうやらそれは考え込み過ぎだったらしい。


 わたしは、心臓のドキッドキッという鼓動を感じながら、ゆっくりと口を開けた。


 のだが、どうやら気づかないうちに喉がカラカラになってしまっていたらしい。

 

 このままでは口が滑ってなにを言い出すか自分でもわからない。


 ……よし。この気まずい空気を変えるためにも、一度、お冷を取りに行こう。


「あの、話をする前にお冷はいかがですか?」

「そうですね、いただきます」

「わ、わかりましたっ! 少し待っていてくださいっ!!」


 わたしは急いでカウンターからピッチャーを持ってきて、震える手でコップに水を注いだ。


「ど、どうぞ」

「ふふっ。ありがとう」


 香さんにコップを渡して、わたしは、一つの大仕事を終えた後のような疲労感を感じながら、ピッチャーをテーブルに置いて席に着いた。


 ゴクッゴクッゴクッ。


 冷えた水を一気に飲み干し、渇いていた喉を潤す。


 ふぅ……。


 空になったコップをテーブルに置き、顔を前に向ける。


 すると、一口水を飲んでコップをテーブルに置いた香さんと目が合う。



「……そ、それでは――」


 ――――――――――。


 それから、わたしはこれまでの伊織くんと恵ちゃんの、大学、食堂、買い物、帰り道、家などでの様子を話した。


 すると、香さんは楽しそうな顔で話に耳を傾けていた。


 第一印象こそ、包容力のある綺麗な人だったのが、気がつけば伊織くんの義理のお母さんだということを忘れて、話に花が咲いたのだった。




 夕方――。


 今日のバイトを終え、香さんと一緒に最寄りの駅へと並んで歩いていた。


 大好きな人の義母をきちんと駅まで送る。


 このミッションを達成することの意味は大きい。


 と意気込んで喫茶店を出たのだけど。


「………………」

「………………」


 案の定、店で話しきったのか、これといったテーマを思いつけないでいた。


 すると、


「でも、本当によかったの? 乙葉さん、帰りは電車ではないのでしょ?」

「いいんですよ。駅から家まで大した距離じゃないんで」


 流石に香さんも、この静かな空気を察して話を振ってくれた。


 しかし、それからはまた同じように、どちらから声を出すわけでもなく、無言のまま歩道を歩いていた。


 つ、次はこっちから話を――


「――どうして」

「え?」

「どうして私、避けられているのでしょう……」


 そう言ったときの香さんの表情は、悲しそうというより、どこか寂しそうに見えた。


「そ、それは……。わたしにも……わかりません……」


 こういうときに、パッといい言葉が浮かばないのが悔しくてしょうがない。


 ………………。


 それから特に会話が生まれることもなく、気づけば駅前に到着した。


「乙葉さん」

「は、はい」

「……二人のこと、よろしくお願いします」


 そう言って香さんは急に頭を下げた。


「⁉︎ そ、そんな、頭を上げてくださいっ!」


 つい声を上げると、香さんはゆっくりと頭を上げてわたしを見た。


 その瞳は、さっきまでの優しそうなものとは違い、真剣そのものだった。


 ……ゴクリ。


 不意に押し寄せてきた緊張感に、わたしは唾を飲み込む。


「それじゃあ、乙葉さん。またね」


 と言い残して、香さんの背中はゆっくり駅の奥へと消えていった。


 ………………。


 わたしは一人になってから、少しの間その場に立ち止まった。


 なんとかできないかなぁ……。


 あのぎこちない二人をどうにか仲良くさせることはできないかと思いながら、帰路についたのだった。




 その日の夜。


 自室のベッドの上。


『へぇー。そんなことがあったんだー』

「うん……」


 電話の相手はしーちゃん。


『ふーん。それにしても、いきなり伊織君の義母と遭遇するって、乙葉って実はかなりの強運?』

「そうなのかな……」

『そうだよ。……てか、こうやって電話をかけてきたってことは、ただお喋りがしたかったわけじゃないんでしょ?』

「……おっしゃる通りです」


 さすがしーちゃん。感が鋭い。


 あれから、色々と考えてみてもこれといったことが思い浮かばなかった。


 誰かに相談したいと思って最初に頭に浮かんだのが、しーちゃんだったのだ。


「……実は――」


 それから、わたしは今回の電話の目的を説明した。


 ――――――――――。


『――なるほどねぇ。確かに、乙葉の考えは良いと思う。けど』

「……けど?」


 ふと気になって尋ねた。


 すると、しーちゃんは一拍置いてから言った。


『その問題に、赤の他人の乙葉が勝手に口を出していいのかってことかな。それに、伊織君がどうして怒っているのかもわかっていないし』


「………………」


 赤の他人。それはそうだ。


 ……でも。


「わたし……わたしは……あの二人には仲良くなってほしいって思う。たとえこれが、お節介に過ぎなかったとしても」


 なんとも自分らしくない小さな声で呟いた。


『ふーん。なら、すぐにでも行動に移した方がいいね』

「え。しーちゃん……」

『私は、その香さんって人に会ったことはないけど、乙葉の話を聞く限り、伊織君たちのことを想っているいい人だってわかったから』


 ……やっぱり、しーちゃんに相談してよかった。


「うんっ。やれるだけやってみるよっ!」

『頑張りなよ。いい結果を待ってるから』


 その後。何気ない会話を楽しんでからしーちゃんとの電話を切り、画面をスクロールする。


 そして、画面に伊織くんの名前が表示されたところで、一旦手を止めた。


「………………」


 ふぅぅぅー…………。


 ……よしっ。


 一度深く深呼吸をしてから、わたしは電話をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る