第14話 ニヤける乙葉、バレる恵

 その日の夜。


「ふんふんふ〜ん♪」


 わたしは機嫌よく鼻歌を歌いながら、リビングソファーの上でスマホの画面を眺めていた。


 何度見ても……可愛いぃぃぃ♪


 さっきからニヤニヤが止まらないわたしが見ていたのは、仕事から帰って来たお姉ちゃんに無理矢理女装をさせられた伊織くんの写真だった。


 ……いや、正確には伊織ちゃんの写真か。


 伊織くんが伊織ちゃんで、伊織ちゃんが伊織くんで……ああ、幸せ〜……。


 さっきからずっと、画面をスクロールする指が止まらない。


 恥じらいの表情に、わたしの奥底に眠っているSが異常にくすぐられる。


 それにしても、伊織くんってやっぱり肌がとてもキレイだよねぇ。


 お姉ちゃんが言うには、化粧のりが良かったらしい。


 まぁ、今はそれよりも……


(えへへへっ)


 画面いっぱいに並べられた写真の数々を余す事なく眺めていると、ガチャリと扉が開く音と共に誰かが入ってきた。


「乙葉、お風呂いいわよ〜って……なにニヤニヤしてるの?」


 どうやら、お風呂から上がったお姉ちゃんが戻ってきたようだ。


「えへへっ。なんでもないよ〜……んん⁉」


 ソファーから起き上がったわたしは、目の前の光景を見て思わず体が固まった。


「はぁ〜気持ちよかった〜」


 なぜなら、長い髪をタオルで拭いていたお姉ちゃんが、バスタオル一枚を身に纏っただけの格好だったからだ。


 バスタオル一枚という格好によって、スタイルの良さが嫌でも強調されていた。


 伊達にグラビアの仕事をするだけのことはある。


 わたし自身、羨ましいと思ったことは数しれない。


「……お、お姉ちゃん! いい加減お風呂から上がったらちゃんと服着てよっ!!」


 お姉ちゃん曰く、バスタオル姿でダラダラするのが、最高のひと時らしい。


 わからなくもないが、せめて自分の部屋でやってほしいところだ。


 だからなのか、わたしが毎回、お風呂から上がったら服を着てとキツく言っても、毎回スルーされている。


 わたしの注意に対してお姉ちゃんは、


「は〜い、次から気をつけま〜す」


 そう言って、キッチンの冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと、ぐびぐびと喉を鳴らした。


 おいおい、それ以上成長してどうする……。


 どこが、とは言わない。絶対に。


 うぅ〜……。


 あの栄養分が全てあの部分に集まると考えると、悔しさも通り越して諦めがつくものだ。


「……お風呂、入りに行こっかな」


 と、ぼそっと呟いてわたしは、着替えを持って脱衣所へと向かった。

 

 のだけれど……


 わたしの目は、洗濯カゴにぶら下がっていたセクシーなブラに向けられていた。


 ……どうしてわたしの周りには、こうも胸の大きい人が多いの?


 恵ちゃんとお姉ちゃん……この二台巨頭を押し退ける力は、正直ない。


 現実とは、どこまで無慈悲なのか。


「はぁ……」


 と口の中からポツリとため息がこぼれる。


 すると、


「なーに~? 私のブラをじーっと見たりなんかして〜」


 さっきまでキッチンにいたはずのお姉ちゃんが、いたずらっ子な笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「お、お姉ちゃんッ!!? ち、違うからねっ!? たまたまだからね……っ⁉︎」

「ふーん。たまたまねぇ〜」

「むぅ……」


 このままだと、完全にお姉ちゃんのペースに持っていかれてしまう。


 そ、それだけは……


 わたしは、自分でも気づかないうちに顔が真っ赤になったまま、着ていた服を脱ぎ、急いで浴室に入ったのだった。


「ふふふっ」




 その後。


 お風呂から上がってリビングに戻って来ると、


「乙葉〜」


 リビングソファーで寛いでいたお姉ちゃんがノールックで手を振ってきた。


 服は……ちゃんと着てるみたい。


 流石にあの格好のままだったらもう一度怒らないといけなかったので、ホッと安堵する。


 ……どうしてわたしがお姉ちゃんの格好でこんなに頭を働かさなければいけないのだろう。


 そんなことを考えている間も、お姉ちゃんの手はまるでわたしを誘うように振り続けていた。


 ………………。


 なぜか、ふと嫌な予感が……。


 と思いながら近づくと、突然わたしの顔を見て、ニヤッと不敵な笑みを浮かべた。


 どうやら予想通りのようだ。


「な、なに?」

「ふふふっ、ねぇ〜乙葉〜。いいものがあるんだけど、見たい〜?」

「え、いいもの?」

「ええぇ、そうよ♪」

「…………」


 あ、怪しい……。


 姉があの顔をするときは、大抵ろくなことがない。


 これは鈴峰家にとって常識なのである。


 何度振り回されたことか……。


 すると、


「ねぇーどうする〜?」


 ここまで催促するということは、わたしが食いつくとわかっているのだろう。


 そんなバレバレな誘惑に負けるようなわたしでは……で、でも…――


「……や、やめておこうかな……」


 と言って部屋に戻ろうとしたわたしに、お姉ちゃんは言った。


「ほんとにいいのかな〜。せっかく、私しか持っていないセーラー服姿の伊織君の動画を特別に見せてあげようと――」

「――い、今なんて言ったの……!?」


 わたしは興奮気味に鼻息を荒くしながら問い詰める。


 すると、お姉ちゃんはニヤニヤした顔でこっちを見てきて、


「あれれ? やめておくんじゃなかったの?」


 こみ上げる笑いを抑えるように口の前に手を置いていた。


『プークスクスッ』という単語が頭に浮かぶ。


 ううぅ……。


「……こ、これはこれ、それはそれ!」


 どうにも、慌てるわたしを見て楽しんでいるようにしか見えないのだけれど。


 それよりも今は、超激レアとも言える動画を見たい。記憶に刻みたい。


 わたしは顔の前で手を合わせてから、頭を下げる。


「お願いっ、お姉ちゃん! 見せて頂けないでしょうかっ!!」

「仕方ないな〜、今回だけよー?」

「うんっ!」


 勢いよく頷くわたしを、お姉ちゃんは終始ニヤニヤしながら見ていたのだった。


 それからというもの、こっそり撮ったというその動画を見せてもらったのだけれど。


 ………………。


 いつの間にか、鼻血が出てしまっていた。


 お風呂上がりだから、と言っておこう。


 えへへっ。




 一方その頃。


 場所は変わり、恵の部屋。


「…………ふふっ」


 電気を消した暗い部屋のベッドに横になっていた恵は、約一時間前からずっとスマホの画面を見て頬を緩ませていた。


 乙葉同様、軽く二百枚を超える伊織ちゃんの写真を眺めていたのだ。


 その中で、恵が特にお気に入りしているのは、スカートの下を撮られないように、顔を真っ赤にしてスカートを押さえているときの伊織ちゃんの写真だった。


 同い年ということもあって数ヶ月差で妹になったが、この写真を眺めていると、ふとどうにかして伊織ちゃんに妹になってもらうことはできないだろうかと真剣に考えてしまう。


 もちろん、そんな方法はない。


 伊織が女の子に生まれ変わらない限り、妹になることは永遠にない。


 でも。


 ……一度だけでもなってもらう方法はないだろうか。


 そんなことを思いながら、枕元にあったイヤホンを耳に付けた。


「……♪」


 実は、恵は写真だけでなく動画も撮っていたのだ。


 記録を残すため、一切手を抜かない恵なのであった。


「……」


 早速、恵は画面の再生ボタンを押した。


 すると、画面いっぱいに伊織ちゃんが写し出された。


『と、撮らないでぇ〜!!』


 目を通して伝わってくる、伊織ちゃんの恥ずかしそうな表情と可愛らしい格好。


 イヤホン越しで伝わってくる、伊織ちゃんの慌てた声。


 あまり人前でコロコロ表情を変えない恵も、このときだけは頬が緩んで仕方なかった。


 …………ふっ。


 恵が一つの動画を見終え、次の動画を再生しようとした。


 そのとき、



「恵、ご飯出来たよー」



 夕食ができたことを知らせるために、伊織が扉をコンコンとノックした。


 ………………。


 だが、部屋からの反応はない。


 恵の耳にイヤホンが付けられていて、周りの音が聞こえにくいからだ。


 それを知るはずもない伊織は、部屋の中に向かって声をかけ続けた。


「恵〜。……ん? 恵?」


 ………………。


「?」


 不思議に思った伊織は、ゆっくりと扉を開けた。


「恵……もしかして、寝てる――」



「――ふふふっ。……あ」



 珍しくニヤニヤした顔で画面を見ていた恵と、伊織の目が合った。


「………………」

「………………」


 しーんとした空気の中、二人の間に静寂が流れた。


「ご飯できたから、呼びに来たんだけど……」


 伊織の声が段々小さくなっていく。

 

 恵はニヤニヤした顔から一変して、伊織をじっと見たまま固まってしまった。

 

 そのときの恵の心の内は、言うまでもない。

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