第10話 不思議な恵、気になる伊織

 休日の朝。


「よぉ~しっ!」


 エプロンを身に着け気合いを入れる。


 今の時刻は、朝の八時。


 僕の朝は、朝食作りから始まる。

 

 早速、熱したフライパンに油を敷き、ソーセージと卵二つを並べてからコンロの火をつけた。


 実家を出てこの部屋での生活を始めた頃は失敗ばかりしていた朝食作りも、少しずつだがうまくなっていた。


 というのも、朝食を作る人が僕以外にいないのだ。


 いや、正確にはいないわけではない。


 恵、やっぱり今日も起きてこないか……。


 実家からこっちに来る時に一緒に付いて来た義妹こと恵が、朝に弱く起きられない以上、僕が作るしかなかったのだった。


 親の再婚で急にできた妹という存在。


 いきなり、兄妹きょうだいになったとはいえ、最近までは赤の他人だったのだ。


 最初の頃は、それはもう緊張した。


 だが、今となってはこの環境にもすっかり慣れた。


 恵が自分の妹になったと実感したのは、彼女の苗字が、旧姓の『真白井』から『黒瀬』に変わったくらいのときからだろう。


 恵を下の名前で呼べるようになったのも、一緒に生活するようになってからだし。


 とそんなことを考えている間に、今日の朝食が完成した。


 こんがりと焼き色がついたトースト、目玉焼き、ソーセージ、ミニサラダ、コーンスープ。


 うん。今日も完璧だ。


 でも、朝食のレパートリーを少しずつでも増やしていかないと、いつか飽きてしまうはず。


 今度、本屋に料理本でも探しに行こうかな。


 うーん……。


 その後。


 朝食をダイニングテーブルに並び終え、恵を起こしに行こうとしたときだった。


 ガチャリと扉が開く音と共に、恵がやって来た。


 今日は珍しく自分から起きてきたようだ。


「おはよう、恵」

「…………おはよ」


 と恵は小さな声で朝の挨拶を済ませると、僕と目を合わせることなくイスに腰を下ろした。


「?」


 ふと頭の中で、はてなマークが浮かぶ。


 いつもと変わらないように見えるが、今日の彼女は、どこか違うような気がしたのだ。


 なぜそう思ったのかは、自分でもわからない。


 もしかすると、同じ空間で一緒に生活するようになったからなのかもしれない。


「……早く、食べよ」

「! あ、ああ、そうだね」


 恵の言葉に我に返った僕は、彼女に促されるように、テーブルを挟む形でイスに腰を下ろした。


「………………」

「………………」


 そして突然始まった、無言タイム。


 お互い、テーブルに並べられている朝食をじっと見たまま固まっていた。


 まるで、相手が先に動くのを待っているかのような、不思議な時間。


 ………………。


 チラッと恵の方を見たが、依然として目が合うことはない。


 それにしても、今日はなんだかいつもより……


「……き、気まずい……」


 目の前の恵に聞こえないギリギリの声で呟いていると、


「……伊織。私の顔に、なにか付いてるの?」

「え。いや、そういうわけじゃなくて……その……」


 どうやら、最初から気づかれていたようだ。


 ……。

 …………。

 ………………。


 その後はというと、お互いに黙ったまま、静かすぎる朝食が続いたのだった。




 その日の昼。


 天気が良かったのでベランダで洗濯物を干していると、


「…………」


 明らかに自分に向けられている視線が一つ。


 ゆっくり部屋の方を見ると、恵がじーっとした視線で僕を見ていた。


 それは、洗濯かごを持って部屋に入るときも、


「…………」


 トイレから出たときも、


「…………」


 ソファーの上で寛いでいるときも、


「…………」


 続いた。


 スーパーに夕食の買い物に来ているときですら、ずっと恵は僕を見ていた。


 もしかして、僕、なにか悪いことでもしちゃったのかな……。


 頭の中でどれだけ考えても、「これだっ!」という答えを見つけることはできなかった。


 そして時間は過ぎていき、あっという間に夜になった。


 夕食を食べ終え、ソファーの上でスマホをいじっていると、お風呂に行っていた恵がリビングに戻ってきた。


「…………」


 結局、今日はずっと恵を目で追っていた気がする。


 恵が僕を目で追っていたはずが、いつの間にかそれが入れ替わっていた。


 もう何が何だかさっぱりだ。


 うーん……。


「……隣、いい?」

「うん?」


 振り返ると、そこにはお風呂から上がった恵がいた。


 ちなみに今日のTシャツの真ん中には、筆書きで『めろん』と書かれている。


 一体、いくつの種類があるんだ……?


 そんなことを考えている間、恵の視線はじっと僕に向けられる。


「あ、ど、どうぞ」


 唐突な謎の敬語で横にずれると、恵は濡れた髪をタオルで拭きながらソファーに座った。


 そのとき、


「……っ!」


 ふとシャンプーのいい香りが、鼻腔びこうをくすぐる。


 お風呂上がりということもあって、恵の頬はぽっと赤く染まっている。


 思わずドキッとしてしまった僕は、兄として失格なのだろう。


 山のように盛り上がったTシャツと、扇情的な太ももを強調しているショートパンツ。


 意識するなと言う方が無理な話だ。


 兄妹になっていなかったら、今頃、隣の女の子にドキドキしっぱなしになっていたに違いない。


 今の生活に慣れてしまって忘れていたけれど、年頃の男女が一つ屋根の下で生活すること自体が、おかしな話だ。


 と今更感のある話題に触れていると、どんどんおかしな方向に進みそうになったので、一度その場を離れるためにキッキンに向かった。


 ……ふぅ。


 このままだと、気になって夜も眠れそうにない。


 ……こうなったら、なにがなんでも聞き出さねば……っ!


 それから十分後。


「め、恵……」

「……?」


 お盆を持って戻ってきた僕を、恵は不思議な顔で見る。


「こ、紅茶入れたんだけど、飲む?」


 そう。これこそ、温かい飲み物を飲むことで体が温まり、それによって聞き出しやすくなるという作戦だ。


 即興で思いついたにしては、よくできたと言える。


 と心の中で自画自賛する僕の顔を見て、恵はコクッと頷いた。


「はいっ」

「……ありがとう」


 恵に紅茶が入ったカップを渡し、さっきと同じようにソファーに腰を下ろした。


 ……よしっ。作戦開始だっ! 

 

 と意気込んだはいいもの、

 

「………………」

「………………」


 僕たちは無言のまま紅茶を飲んでいた。


 角砂糖を入れたおかげで口の中に優しい甘みが広がる。


 はぁ~落ち着く……じゃなくて!


 このままだと、せっかくの作戦があっという間に終わってしまう……っ!


 現に、今手に持っているカップが、ちょっとずつだが冷め始めていた。


 な、なんとか会話のきっかけを作らないと…――


「ね……伊織」

「!? な、なんですか!?」

「…………」


 ふいの敬語を発した僕に、恵はじーっとした視線を向けてくる。


「……め、恵?」

「……やっぱり、なんでもない。おやすみ」

「え、ああ、おやすみ……」


 恵は飲み終えたカップを流し台に置くと、部屋に行ってしまった。


 あああああぁぁぁぁぁやってしまったぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!


 今確かに恵は僕になにかを言おうとしていた。


 痛恨のミスとはまさにこのこと。


 はぁ……。


 それにしても、結局なんだったんだ? 今日の恵は……。


 頭の中では、今日一日の彼女の行動が指す意味を考えていた。


 しかし、考えるだけで時間は過ぎていった。


(僕も、寝よっかな……)


 今の時刻は夜の十時。


 寝るには早い時間だが、思いつかない以上、今日は早く寝て明日考えよう。


 そう決めて、飲み干したカップを持ってソファーから立ち上がろうとした時、ローテーブルの上に置いていたスマホからピロンッと通知音が鳴った。


「?」


 手に取って画面を見ると、そこには、しー先輩の名前が表示されていた。


「? しー先輩から? なんだろう……」


 急に送られてきたメッセージの内容が気になり、目を通してみると……


「……! こ、これは……」




 それから三十分前のこと。


 乙葉は、ベッドに寝転がって詩織と電話をしながらファッション雑誌を眺めていた。


 と言っても、軽く目を通すだけで、すぐ棚から持ってきた漫画を読み始めるのであった。


『そしたらあいつ、その後なんて言ったと思う……!?』

「なんて言ったんだろうねぇ……」


 今日のしーちゃんは、どうやら御立腹のようだった。


 電話の向こうから、ものすごい怒気が伝わってくる。


 ちなみにしーちゃんが言う『あいつ』とは、悠君のことだ。


 所謂、姉弟喧嘩というやつだ。


 喧嘩するほど仲がいいとはよく言うけれど。


 大学生になった今も喧嘩する仲とは……。


 わたしは姉がいるけれど、喧嘩という喧嘩をしたことがないから、二人がちょっぴり羨ましい。


 ……まぁ、口論であの人に勝てる気はしないけれど。


 そんなことを考えている間に、なぜかわたしが普段着ている下着の話になった。

 

 もぉ……しーちゃんは相変わらず人の下着事情にうるさいんだから。


 と心の中で不満の声を呟いても、しーちゃんの耳に届くことはない。


 しかし、これだけは言っておきたい。


「縞パンこそ、最強で至高なのだと言うことを……っ!!」

『え。乙葉、あんたもしかして、まだあれ履いてんの?』

「え? 履いてるよ?」


 心の中で言ったつもりが、どうやら声が漏れてしまっていたようだ。


 すると、しーちゃんはわたしの返事を聞くなり、「はぁ……」とため息を吐いて、呆れた声で言った。


『やっと、三つ編みと黒縁メガネをやめたっていうのに、まだあれを履いていたっていうの? ……信じられないわ、ほんと』

「……うぅ〜……」


 わかってる。わかってるんだよ。


 でも、縞パンの安定感を知っている身としては、中々他の種類に目を向けにくいのである。


 すると、そんな思いが伝わったのか、しーちゃんが言った。


『はぁ、仕方ないわねぇ。乙葉。明日、空いてる?』

「明日? 空いてるけど」

『そう……。なら、付き合いなさい』

「……はい?」

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