第9話 ダイエットは程々に

「わたし、ダイエットを始めますっ!」

「あっそ。がんばってね~」


 大学の食堂でランチ定食を食べていたわたしは、向かい合って席に座っているしーちゃんに高々と宣言した。


 誰かに言わないと、この決意が揺らいでしまいそうになるからだ。


 ……だというのに、しーちゃんは興味なさそうに卵サンドを食べていた。


 あ、美味しそうー……って、もぉ~……せっかく人が大事な話をしているっていうのにぃぃぃ!!


 まぁ今まで、「ダイエットを始めますっ」と言ったはいいもの、三日以上続いたことはないし。


 ついつい間食を止められず、失敗したことは数知れない。


 だけど。


 わたしがダイエットを決断したのには、理由があった。


 それは、恵ちゃんが実はグラマラスなボディの持ち主だったということだ。


 恵ちゃん……恐るべし。


 ………………。


 ふぅ……。


 よ~しっ! 絶対にやり遂げてみせるぞ〜っ!


 その日から、わたしの過酷なダイエットが幕を開けた。




 それから三日後――。


 ぐううぅぅぅ。


「ううぅ……ご飯……ご飯が食べたいよ〜……」

「はぁ……言わんこっちゃない」


 講義が始まる前の教室。


 わたしは、力なく机に項垂れていた。


 大好きなものを我慢することが、限界に近づいていたのだ。


 昨日もお腹が鳴ると、目を瞑ってなんとか耐える始末。


 ま、まぁ結局近くのコンビニに売ってる低カロリーのゼリーで耐えたけどね。


 だけどこの先も、この状況が続くのは流石さすがに……。


「……ねぇ乙葉。ほんとに大丈夫なの?」

「だ、大丈夫だよ、これくらい……」


 しーちゃんは、わたしの覇気のない声を聞いて、呆れたように肩をすくめた。


「はぁ。色々なダイエットを試してきた私から言えることは――ただ食べないだけじゃ絶対に続かないし、なにより体に悪いってことかな」

「うっ……」


 図星を突かれて思わずたじろぐ。


 このままだと、この三日間の努力が……。


「で、でも、ご飯を食べたら逆に太るんじゃないの?」

「あぁ……それはね、量の問題よ。野菜とかささみとか、低カロリーなものと少量のご飯を食べて、きちんと運動をして睡眠を取れば、ある程度体重を減らすことができるわよ」

「へ、へぇー」

「まぁ、ご飯を食べるのが大好きな乙葉には、かなり難しいと思うけどね」

「……ふ、ふんっ!」


 わたしは拗ねた子供のように顔を逸らす。


「はぁ……。こうなったら、一肌脱ぐしかないかな……」

「ん? なにか言った?」

「ううん。なんでもない」


 と言うなり、しーちゃんはカバンからスマホを取り出すと、不敵な笑みを浮かべた。


「?」


 その後。


 講義が始まるまでの間、しーちゃんはスマホの画面をずっと指で滑らせていたのだった。




 次の日の昼休み。


 わたしが今いるのは、いつもの食堂ではなく、キャンパスの中庭だった。


 二コマ目の講義が終わった頃、突然伊織くんからラインで、『昼休みになったら中庭に来てください』と連絡があったのだ。


 一体何の用かと思いを巡らせたが、すぐに止めた。


 伊織くんが『来てください』と言うのなら、どこへでも駆け付ける、それがわたしだ。


 はぁ~なにかな~♪


 わたしがぶらぶらと足を振りながらベンチに座って待っていると、伊織くんが小走りでこっちにやって来た。


「お待たせしました、先輩」


 この声を聞くと、辛いダイエットの日々を忘れることが出来る。


 なのに……お腹が空いて力が出ない……。


「そ、それで、伊織くん、急にどうしたの?」


 わたしは、ここで待っている間に気になっていたことを尋ねた。


 すると、


「あ、それはですね」


 すると、伊織くんは徐に背負っていたリュックをベンチに置くと、中から包みにくるんだ四角形の箱を二つ取り出した。


「先輩。これ、どうぞ」


 そう言って、その内の一つを渡してきた。


 こ、これは…――


「これって……もしかして、お弁当?」

「はい。お弁当です」


 お弁当……お弁当……って、えっ!?


「え、え、伊織くんがわたしに……!?」

「えへへ。最近、先輩があまりご飯を食べてないようだったので、作ってきました」

「……っ!?」


 作ってきたということは、つまり……伊織くんの手作りのお弁当……!!


『手作りのお弁当』という言葉の響きに、心がときめく。


 えへへへっ……。


「誰かにお弁当を作るのは初めてだったんで緊張しました。美味しく出来てたらいいんですけど」

「初めて……」


 それが、本当にわたしでよかったのかなんて気にする余裕は、今の自分にはなく。


 伊織くんは、いつもの優しい笑みを浮かべて言った。


「先輩。またこの前のように体調を崩したら元も子もないんですから、きちんとご飯を食べてくださいね」

「……うんっ。これからは気をつけるようにするね」


 と言ってわたしは、赤くなった顔を見られないように、そっと顔を逸らす。


 な、なんだか……恥ずかしい……っ!!


 ここ最近、お姉さん的ポジションを失いつつあった。


 まぁそんなポジションは元からないのだけれど。


 わたしは、伊織くんの前では形無しなのである。


 そんな自分だけの世界に入り込んでいると、伊織くんはベンチの上に置いていたリュックを横にずらして、わたしの隣に腰を下ろした。


「ね、ねぇ伊織くん。ほ、ほんとにいいんだよねっ!? わたしが……食べても」

「もちろんですよ。そのために作ってきたんですから」

「そ、そうだよね。あははは……」


 乾いた笑い声を上げるわたしを、伊織くんは不思議な顔で見ていたのだった。




「………………」

「………………」

「………………」


 中庭のベンチに座っている二人を、木の陰からこっそりと覗く影が三つ。


「おおぉー。なんだかんだいい感じじゃ〜ん。ちょっ、悠、頭下げてよ。せっかくいいところなのに見えないでしょ!」

「ううぅぅぅ……重いっ! 姉貴、頼むから重心をかけないでくれ」

「あ、ひっどーい。女の子に向かって重いだなんてよく言えたものね」

「うわぁ、メンドクせぇ……」


「伊織……」


 詩織、悠、恵の三人は、さっき生協で買ってきたあんぱんとパックの牛乳を手に持ち、二人の様子を観察していた。


 いや、正確には『覗いていた』の方が正しいだろう。


「ほんと、私に感謝してほしいわね。伊織君に事情を説明してあげたのは、私なんだからっ」


 そう。昨日の朝、乙葉がダイエットで無茶をしていることが心配になった詩織は、彼女が一番大事に思っている男の子・伊織に、『乙葉を助けてあげて欲しい』とお願いをしたのだ。


 私が説得するより彼から言ってもらった方が、効果がある。


 それは間違いない。


 さすが、私ねっ♪


 自画自賛とは、まさにこのこと。


「……姉貴ってさ、昔っから策士なところあるよな……」

「ん? なにか言った?」

「いえ、なにも」


 姉弟きょうだいらしくリズムのいい会話をしていると、乙葉の口元に付いた米粒を伊織が取ってあげていた。


 その行為に顔が真っ赤になる乙葉。


「さすが伊織くん。女の子がドキッとすることを自然とできるなんて……なんて罪な子なの……」

「でも、あいつ鈍いからなぁ。自分に向けられている好意にも気づかないし」

「それが厄介よねぇ」


「伊織……」


 横で会話をする姉弟きょうだいを尻目に、恵の瞳は真っすぐと、ベンチで楽しそうにお弁当を食べている二人に向けられていた。


 すると、その様子に気づいた詩織が声をかけた。


「? どうしたの、恵ちゃん」

「…………」


 詩織の声は、恵の耳には届いていない。


 届いているのは、伊織と乙葉の楽しそうな声。


 自分と話すときとは違う、伊織の満面な笑みに、乙葉の心はザワつく。

 

 だが、この感覚が一体何なのか、わからない恵なのであった。




 伊織……。

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