第6話 図書館と衝撃のJ

 伊織くんがお見舞いに来てから、数日が経ったある日。


 わたしとしーちゃんは、急に空きコマになった時間を利用して、大学の図書館にやって来た。


「今日暑くない?」

「…………」

「後でアイス買いに行こっかなー」

「…………」

「ん?」


 隣のしーちゃんは不思議な顔をわたしに向ける。


「…………」

「はぁ……」


 隣からため息が聞こえたような気がするが、きっと気のせいだろう。


 館内に足を踏み入れると、外とは全く違う空気が流れている気がした。


 三階建ての建物の各階に本棚がずらりと並べられ、さらに、レポート課題や卒業論文をする人たちのために十数台のパソコンが用意されている。


 今も、数人の学生がパソコンを使って各々作業をしていた。


 わたしはまだレポート課題が出されていないので、パソコンを使うのはもう少し先になるだろう。


 またあの地獄の日々が始まるのか……。


 そんなことをぼーっと考えながら、一階の奥にあるテーブル席に向かう。


 ここには、レポート課題を書くときに使う本の他に、週刊誌やファッション雑誌などが置かれている。


 まさに、暇つぶしには打って付けなのである。


「どこのイスに座ろっか」


 隣を歩きながら聞いてくるしーちゃん。


「…………え? なに?」

「……乙葉、ほんとにどうしたの? 最近ずっとそんな感じじゃん」


 ううぅ……やっぱり気づかれてたか……。


 流石さすが、しーちゃん。勘が鋭い。


 ………………。


 あの日。伊織くんがお見舞いに来てから、体調は良くなったけれど、まだ完全に復調したというわけではなかった。


 どこか、心にぽっかりと穴が開いたような。


 そんな状況が、ここ数日間続いていた。


 ご飯が喉を通らない……ということはなかったけれど。


 ……誰かに相談しようとは考えなかった。


 これは、自分の中で解決しなければいけないことだと思ったからだ。


「……わ、わたしは別に、いつも通りだよ?」

「はぁ……。それのどこがいつも通りなのよ、まったく……あ」

「ん? どうしたの、しーちゃ……」


 ふと足を止めたしーちゃんの視線を追って顔を向けると、


「あ、おと先輩」


 そこにいたのは、こっちに気づいて手を振っている伊織くんだった。




『………………』


 えーっと……。


 テーブルを囲んで席に座ったわたしたちの間には、なぜか沈黙が流れていた。


 だ、誰でもいいから、なにか喋って……っ!


 と心の中で叫びを上げていると、


「せ、先輩たちは、今日はどうしてここに?」


 伊織くんが、この空気に耐え切れ無くなって尋ねてきた。


「そ、それは――」

「――次の講義までの暇つぶしってところね」


 答えようとしたわたしを遮って、しーちゃんは言った。


 もぉー、わたしが言おうとしたのに……っ!


 隣を見ると、悔しがるわたしをしーちゃんがニヤニヤした顔で見ていた。


(ふふふっ、油断大敵よ)

(うぬぬ……)


 どうやらわたしが慌てている姿を見て楽しんでいるようだ。


「あ、そうだったんですか」

「なぁ伊織。俺達も次のコマまで暇だしさ、なにか雑誌でも見に行こうぜ」

「そうだな」


 そう言って席を立った伊織くんたちは、雑誌が置いている本棚へと行ってしまった。


 ……ということはつまり……。


 わたしとしーちゃん、そして今も静かに文庫本を読んでいる恵ちゃんが、このテーブルに残されたことになる。


「………………」

「………………」

「………………」


 正直に言って、気まずい……。


 一瞬、話しかけようかなとは思ったけれど、本を読んでいるみたいだから、このままの方がいいだろう。


 すると、


「うわぁ……やっぱり何度見てもほんとおっきい……」


 隣の方からポツリとしーちゃんの声が聞こえた。


 ……わかる。すっごくわかる。


 近くで見ると、改めてその物量に圧倒される。


 整った顔立ち、きめ細やかな肌、そして誰もが必ず二度見してしまう、あの大きな双丘。


 ここまで来ると、不公平にも程がある。


 うぅ…………。


 と心の中で現実逃避に走っていると、


「ねぇねぇ、恵ちゃん。胸のサイズって、ぶっちゃけいくつなの?」

「し、しーちゃんっ!! 急にそんなことを聞くのは良くないよ!」

「ええーだって気になるじゃーん」

「そ、それはそうだけど……」


 とわたしたちがつい声を上げていると、周りの視線が一斉に向けられた。


「「あ……あはははは……。すいません……」」


 図書館の中では、静かに。


 ルールは守ろう。


 おっとっと、話が逸れてしまった。話を戻そう。


 えーっと……あ、いくら同性だからと言っても、デリケートな質問に答えるのは容易ではないのである。


「乙葉だって気になるでしょ?」

「え、まぁ……うん」


 わたしが渋々頷いていると、


「あの」

「ん? どうしたの、恵ちゃん?」

「?」


 真っ直ぐこっちを見ながら声をかけてきた恵ちゃんに、わたしたちは顔を向けた。


 すると、次の瞬間。


 恵ちゃんの口から、とんでもない言葉が発せられた。




「Jです」




「「え」」


 わたしたちは、思わず口をポカンと開けてしまう。


 んん?


 J?


 胸のサイズ……J……胸の……サイズ……J……


「Jって……もしかして……」

「……Jカップ……です」




「「え……えええぇぇぇぇぇーっ!!?」」




 静かな図書館の中で驚いた声を上げていると、近くにいた他の学生の視線を感じて、慌てて自分の口を塞いだ。


 ええぇぇぇ!? う、嘘でしょ!?


 わたしは咄嗟に、しーちゃんにアイコンタクトでメッセージを送った。

『し、しーちゃん! J……Jだよ!?』

『ええぇ、流石に私も驚いたわ』

『す……すごい、ね……』

「そう、ね……』


 ……。

 …………。

 ………………。


 それから少し落ち着いたところで、話を再開した。


 まだ頭は情報の処理に手間取っているけれど。


「えっ、恵ちゃんって、Jカップもあるの……!?」

「……」


 しーちゃんの問いに、恵ちゃんはなにも言わずコクリと頷いた。


 お、おぉ……。


 只々ただただ、呆然と声をこぼすことしかできない。


「A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、のJなの……っ!?」


 両方の指で数えながら、質問を続けるしーちゃん。


「……はい」


 しーちゃんの猛烈な質問攻めに、恵ちゃんは慣れた顔で返事をした。


 もしかすると、今までにこれと同じような質問をされ続けていたのかもしれない。


 でも、やっぱり……


 わたしとしーちゃんは、『Jカップ』という事実を知った上で、改めてあの大きな双丘へと視線を向けた。


 ………………。


「「す、すげぇ……」」


 それからというもの、伊織くんたちが戻って来るまで、再び開いた口が閉まることはなかったのだった。

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