第1部

第1話 始まりの再会

「んっ……」


 懐かしい夢を見ていた。


 思い出したくないような、記憶の奥底に封印しておきたいような。


 ………………。


 それにしても、あれからもう一年か……。


 四月に入って数日が経った、今日。


 わたしの大学生活は、二年目を迎えた。


 最初の一年は、初めてのことばかりで慣れることに少し苦労したけれど、なんとか乗り越えることができた。


 それもこれも、この写真のおかげ、かな。


 わたしは、ぎゅっと手に持っていたスマホの画面を点けた。


 そこには、恥ずかしそうに顔を俯かせているわたしと、伊織くんの2ショットの写真が映し出されていた。


 当時のわたしはというと、三つ編みに黒縁メガネという、なんとも地味な女の子だった。


 しかし!


 そんなわたしも、今年から心機一転、中学の時からかけてきた眼鏡を外し、コンタクトデビューを果たした。


 それと同時に、三つ編みにしていた長い髪も、覚悟を決めた証として、バッサリと切った。


 すべては、今日から始まる新たな大学生活のため……っ!


(何としてでも、あの日のリベンジを――)




 ――間もなく、扉が、閉まります。




 …………ん? 扉?


 周りを見渡すと、スーツを着たサラリーマンや制服を着た学生たちでいっぱいだった。


 あれ……?


 ぼーっとしていた頭が、恐ろしいスピードで今の状況を把握した。


 そこは、見慣れた自分の部屋などではなく、


「……んん⁉︎」

 

 …――大学の最寄りの駅に向かう、電車の中だったのだ。


 その事実に気付いた時、


「……!!? おっ、降りまーすっ!!!」


 わたしの声が、車両中に響き渡る。


 すると、周りの人たちの視線が向けられた。


 あ、あはははは……。


 慌ててわたしは太ももの上に乗せていたカバンを手に持ち、席を立った。


 危うく、初日から講義に遅刻する事態になりかけたが、ギリギリ電車から降りることができたのだった。





 最寄り駅を出て十分ほど歩いたところに、わたしが通っている大学がある。


 初めて来た時は道が分からず苦労したものだが、一年も経てば自然と慣れた。


 それから大学の中に入ると、各々の学生が、自分が受ける講義のある教室に向かっていた。


 ここで、ふとスマホの画面を見て今の時間を確認すると、朝の九時を回ろうとしていた。


 …………って、わたしも急がなきゃ。


 講義は九時から始まる。


 せっかく、ギリギリ電車から降りられたというのに、のんびり歩いている場合じゃない。


 わたしは、スマホをポケットに入れ、目的地である教室に向かった。


 ……。

 …………。

 ………………。


「はぁ、はぁ……」


 わたしは息を切らしながら、階段を上っていた。


 こういう時間に迫られている時に限って、教室が四階にあるという現実。


 普段運動をしていなかったことが、まさかこんなところで影響してくるとは……。


「はぁ、はぁ……」


 それから数分後。


 なんとか教室に辿り着くことができた。


 そして中に入ると、ほとんどの席が多数の学生で埋まっていた。


 空いている席がないか見渡していると、


「乙葉~」


 わたしを呼ぶ声が聞こえた。


 声の主は、宮園詩織みやぞのしおり


 同じ高校の時の同級生であり、わたしにとって大切な親友だ。


「あっ、しーちゃん。久しぶり〜」

「久しぶりね。ほら、席空けといてあげたよ」

「ありがとう~♪」


 しーちゃんは、わたしが席に座れるように、席の上に置いていたカバンを足元に移動させた。


 ああ、神様、仏様、しーちゃん様。


 どうやらわたしが座った席が最後だったようで、教室は満席になっていた。


 ホッと安堵して席に着いたわたしの顔を、じーっと見てくるしーちゃん。


「? どしたの?」

「へぇー。乙葉、髪切ったんだね。三つ編み似合ってたのに、もったいない」

「ん? ああぁ、これはねぇ〜。えへへっ」

「な〜に? その幸せそうな顔は〜」

「え? そう見える?」

「見えるわよ。それに女が髪を切る時って、大体ケジメみたいなものをつく時って相場が決まってんのよ」

「そうかな〜。えへへ〜♪」


 どうやら自分で気付かない間に、頬が緩んでしまっていたようだ。


「ふふっ。どうせ、黒瀬君のことなんでしょ」

「あれ、バレちゃった〜?」

「……まぁね」

「えへへへっ」


 ちなみに、今の詩織の胸の内はというと――


 うわぁ……面倒くせぇー。


 乙葉がどれだけ伊織のことが好きなのかは、詩織自身、よくわかっているつもりだった。


 だが、時々、乙葉の高いテンションに付き合うのが面倒くさいと思うようになっていた。


 まぁ、それを言うと本人が可哀想なので、内緒だけど。


「……で、もう黒瀬君には会ったの?」

「……ん?」

「だから、もう会ったのかって聞いてんのよ」

「……んん?」


 素っ頓狂な顔で誤魔化す乙葉。


「乙葉、あんた………もしかして、まだ会ってないの?」

「……イエス」


 その声は、先程のテンションが嘘のように小さかった。


「はぁー、ダメだこりゃ。どうして会わないのよ。せっかく一緒の大学なのに」


 すると、


「あ……会わなくても、離れたところから彼が見られるのなら、わたしは……」


 今言った『離れたところから』という言葉の意味は、乙葉が言うと違う意味に変わる。


「はぁ……。あのねぇ、一歩間違ったら、それはもう立派なストーカーよ」

「えぇーだって……。ぐふっ、ぐふふっ……」

「今の気持ちワルいよー」

「しーちゃん!」

「っ! な、何よ急に」

「……ストーカーに、立派なものなんてないと思うんだけど」

「あんた、急に正論をぶちかましてくるわね」

「わたしはね、ストーカーなんかじゃないの」

「……これって、聞いた方がいい?」

「うん」


 そう言って頷く乙葉。


 正直、とてつもなく面倒くさい。


 早く講義始まらないかな~。


 毎度毎度のことなので、流石にもう慣れたけどね。


「……はぁ、わかったわ。さぁ、言ってみて」


 詩織が促すと、乙葉は待ってましたと言わんばかりにパッと明るい笑顔を見せた。


「わたしはね、ストーカーなんかじゃなくて、伊織くんを母親のような優しい瞳で――」

「――はいっ、終〜了〜」

「ええぇー、ここからがいいところなのに……」


 乙葉が言い出したところで、丁度時間が過ぎ、一つ目の講義が始まった。


 隣では、乙葉がぷくぅと頬を膨らませていたが、敢えてそれに目を向けようとはしなかった。


「はぁ……やれやれ」




 午前の講義も終わり、待ちに待った昼休み。


「ううぅー! やっとお昼休みだぁー!!」

「もぉ、騒がしいなぁ。ほら、他の人たちが見てるでしょ」

「いいのいいの♪」


 朝、息を切らしながら上がった階段を、軽い足取りで下りていく。


 わたしにとって今日の講義は、楽しみの前の前座にしか過ぎない。


 なぜなら……。


「……なぁ〜にソワソワしてんのよ。まぁ、答えは一つしかいないけど」


 わたしは、中庭を歩いている無数の学生を見渡す。


 彼を見つけるために。


 お昼休みは学生の移動が活発になる。


 だから、集中して見ていないと、見逃してしまうのである。




「――あっ」




 わたしの瞳は、一人の男の子を見つけた。


(伊織くん……)


 彼を目で直接見たのは、卒業式の日以来だった。


 遠くから見てもわたしにはすぐわかった。


 この日を、ずっと待っていたのだから――


「い~お〜り〜〜きゅぅぅぅぅーんッ!!!」


 自分では抑えられない思いが、爆発した。


「うわ……また始まったよ。乙葉のいつものやつ……」


 中庭で大声を上げたわたしを訝しげな目で見てくる学生に目もくれず、急いで伊織くんの元に向かった。


「?」

「はぁ、はぁ……。伊織くん!! ひ、ひさ、ひさささ、久しぶりだね!」

「?」


 目の前にいるわたしを、伊織くんは不思議な顔で見ていた。


「……?」


 あれ? なに、この反応? 本当ならもっと『せんぱ~い♪』ってわたしの胸に飛び込んでくるんじゃないの!?


 勝手な妄想が頭の中を飛び交う。


 う~ん……あ。


 ここで、ふとあることを思った。


 伊織くんが大学に入ってくることがわかってからというもの、わたしは、おしゃれについて勉強したり、自分が話下手なのを押し切って美容院に通ったりした。


 その結果、鏡越しでは、パッと見ても昔の頃の自分とは見違えるようになった。


 伊織くんが知っているわたしは、三つ編みに黒縁メガネの地味だった頃だ。


 それなら、イメチェンしたわたしを知らないのも無理はない。


 鈴峰乙葉、一生の不覚…――


 すると、こちらの様子を見て伊織くんがニコッと笑みを浮かべた。


「伊織……くん?」

「ははっ、お久しぶりです、おと先輩」

「え」


 なに? ええ?


「ほんとは最初に見た時から乙先輩だって、気づいていたんです。久しぶりに会うから、少しビックリさせようと思って、すみませんでした」

「そ、そうなんだ……よかった」


 ほっと胸を撫で下ろす。


 あ、いけないいけない。


「久しぶりだね、伊織くんっ!」

「はいっ」


 お互いにそのやり取りに、思わず笑みがこぼれる。


 はぁ………もう、幸せ………。


「……俺は今、何を見せられているんだ?」

「? ……あ。ゆう、居たんだ」


 と言って、しーちゃんは、伊織くんと一緒にいた子に話しかけた。


「いや、最初から居たからなっ!?」


 彼はしーちゃんの弟で、伊織くんの高校からの親友の宮園優みやぞのゆうくん。


 伊織くんと同じ一つ下の後輩にあたる。


「……あ、悠くんも久しぶりだね」

「はい、お久しぶり……てか、絶対今、俺のこと忘れてましたよね!?」

「そうだっけ?」


 わたしは、首を傾げてとぼけた顔を浮かべた。


 すると、伊織くんとしーちゃんがわたしの動きに合わせて、首を傾げた。


 その様子を見て、顔を真っ赤にして怒り出した悠くん。


 これが、高校のときのいつもの流れだ。


 ……懐かしいなぁ。


「……と、ところで、伊織くんたちは、これからお昼?」

「はい。これから悠と一緒に学食に行こうかと」

「へぇー、学食ねぇ」


 ふふふっ。ここで一緒に食堂に行けば、自然と一緒の時間が増えるし、それに伊織くんの新しい情報を知ることができる。


 これを逃すわたしではないのである。


「……? あ、せっかくなら、乙先輩たちも一緒にお昼、食べませんか?」

「ふふふふっ…………って、え、いいの!?」

「もちろんですよ。実は僕たち、まだこの大学の学食に慣れてないんで、できれば色々教えてもらえると助かります」


 こ、これは……!!


「い、いいよっ!! お姉さんに任せなさいっ! しーちゃんも、いいよね!? ねっねっ!?」

「え、ええぇ、別に構わないけど」

「よしっ、それじゃあ決まりだねっ♪ みんな、行くよー!!」

「おぉー」


 息ぴったりな伊織と乙葉であった。




 今日の講義を終え、わたしは今、伊織くんと一緒に帰り道を歩いていた。


 しーちゃんと悠くんは、今日の講義は三コマ目までだったので、先に帰っていた。


 ふふふっ。わたしが、この時をどれほど待ち望んでいたことか。


 わたしは電車通学だけれど、聞いた話によると、伊織くんは実家から離れて駅の近くにある賃貸のマンションで一人暮らしを始めたらしい。


 一人暮らしの男の子の部屋、か……。


 ………………。


 おっと、いけない、いけない。


 つい、いつものように妄想に走ってしまった。


「――あの、先輩。……先輩? 先輩っ!」

「!? は、はいっ!?」


 ふと横を見ると、伊織くんがわたしの顔をじっと見ていた。


「どうしたんですか? さっきからぼーっとして。もしかして、どこか具合でも――」

「――だ、大丈夫よっ!?」

「そうですか?」


 目を泳がせながら言ったわたしを見て、伊織くんは心配そうな表情を浮かべた。


「ほ、ホントだよ!?」


「なら、いいんですけど」


 はぁ、すぐ妄想に走ってしまう癖を直しておかないといけない。


 と心の中で反省の文字を浮かべていると、伊織くんが駅の近くにあるスーパーで買い物をすると言うので、一緒に付いて行くことにした。


 それから数十分後。


 スーパーでの買い物を終え、並んで駅に向かう道を進んだ。


「袋、一つ持とうか?」

「いえ、これくらい大丈夫です。僕だって男なんですから、これくらい持てますよ。……おっとっとっと」


 両手で持っている買い物袋を持ち上げたが、重さに耐え切れていないようだった。


 伊織くんは、最初は断ったものの、やはり重たい袋を二つ持ち続けることがキツかったのか、渋々、二つの内の一つの袋を渡した。


「す、すみません」

「ふふっ」


 表面ズラはできるお姉さん感を出しているが、その内面はというと、


 他の人たちから見れば、買い物帰りの同棲中のカップルに見えていたりするのかな♪


 数日分の食材が入った袋を持つ男女。


 えへっ、えへへへへっ♪


「なんだか、先輩、楽しそうですね。何かいいことでもあったんですか?」

「え? 別にそんなことないよ〜」


 まぁウソだけど、ホントはありすぎだけど。


「そういえば、伊織くんって、料理は得意なの?」


「料理ですか? まぁ、得意な部類ではないですね。本格的に作り始めたのも、大学に入ってからですし」

「へぇー、そうなんだ」




 ――ぐぅぅぅ。




「?」

「……………」


 突然、お腹から可愛らしい音が鳴った。


 それに気づいたのか、伊織くんはわたしの顔をじっと見てきた。


 自分でも分かるほど、顔が真っ赤になっているに違いない。


 こ、ここは、うまく誤魔化さないと……


「あははははっ……」


 誤魔化し笑いが精いっぱいだった。


 恥ずかしい……。


 穴があったらすぐにでも入りたい。


 そんなわたしが、真っ赤な顔を俯かせていると、


「……あ、そうだ。先輩。せっかくなら、今日はうちでご飯を食べていきませんか?」


 ――家でご飯を食べていきませんか? 家でご飯を……家で……ご飯を……家で……




 えっ、えええええぇぇぇぇぇええええええええーっ!!?




 さっきまでの恥ずかしい気持ちを通り越す衝撃が、わたしを貫いた。


「ぜ、是非っ!!」

「あははっ。それじゃあ決まりですね」


 兎にも角にも、どうやらわたしは、これから彼の家にお邪魔する事になったようです。




「――今日は食べて帰るから」


 急遽、伊織くんのお家で晩ご飯を食べることになったので、母親に今日の晩ご飯は要らないことを伝えた。


 まさか一人暮らしをしている男の子の部屋に行くなんて知ったら、びっくりするだろうな。


 それにしても、


(はぁぁぁ、伊織くんのお家かぁ〜♪ 楽しみだな〜)


 自分のテンションが、今までにないくらい高ぶっていた。


 それから数分後。


 早く着いて欲しいと願いながら歩道を歩いていると、五階建てのマンションの前で立ち止まった。


「ここ?」

「はいっ」


 ついに、ついに……やって来た。


 一年ぶりに再会を果たしてまさか初日で、伊織くんの住む部屋に行ける。


 ああ、神様、ありがとう。


 と感謝の言葉を浮かべていると、先導する伊織くんの後に付いて行った。


 ドキッドキッ。


 伊織くんの住んでいる部屋は三階にある。

 

 なので、エレベーターで三階まで昇ると、廊下を進んで目的地である部屋の前に到着した。


「ちょっと待ってくださいね」


 そう言って、伊織くんは持っていた鍵でドアを開けた。


「どうぞ」

「そ、それじゃあ、お邪魔しま――」




「――伊織、お帰り」




 ………ん?


 玄関に入ったわたしの耳に届いたのは、知らない声。


 わたしの耳が確かなら、今のは……女性の声だった。


(だ、誰……?)


 伊織くんの話だと、確か一人暮らしをしていると聞いたのだけど。


 顔をバァッと廊下の方に向けると、そこには、一人の女の子が立っていた。


「……?」

「ただいま。あっ、そういえば、紹介がまだでしたね」

「…………」


 なぜか、急に嫌な予感が……


「紹介します。こちら、僕の義理の妹の、黒瀬恵くろせめぐみです」


 え? ええ?


 義理の……え? 妹って……え? え?


 ――僕の義理の妹の……――




 義理の妹って、えっ、ええぇぇぇええぇぇーっ!!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る