【社長と労基】
【社長と労基】
もし、労基に相談するか迷っている人がいたとしたら。わたしはその人にこうアドバイスしたい。
行動するなら早めの方がいい。限界まで我慢してからの行動は、絶対にやめた方がいい。
労働基準監督署は言うまでもなく、個人ではなく組織だ。組織が組織として動くなら、必ず組織の手順を踏んでから行動する。行動までの間がある。タイムラグがある。「さっき申告がありましたんで、今すぐわたし行ってきまーす」とはならない。
そのタイムラグが、何より辛かった。
このとき、わたしたちは〝8時行商〟のせいで完全に限界だった。正直、『年末』より辛かったくらいだ。肉体的にも精神的にも。限界を迎え、耐えられなくなって〝から〟労基に助けを求めた。
これが良くない。
どうも、このときのわたしたちは労基のことを110番や119番、パトカーや救急車と勘違いしていた節がある。呼べばすぐに来てくれる。だって今にも死にそうだから。そんなわけがないのに、そんな簡単なこともわからなくなるほど、限界だったのだ。
労基から最初の連絡が来たのは、資料を郵送したその当日。
そして、実際に動き始めてくれたのはその週の金曜日だった。担当者が決まったと連絡があった。担当の監督官だ。その方に「詳しく話を聞かせてほしい」と言われ、電話で洗いざらい話した。すると、「これからの方針を決めるので、また後日に連絡します」と電話は切れた。
その電話から数日後。方針が決まったらしく、再び電話が掛かってきた。その概要を教えてもらう。
まず、労基が会社に起こしたアクションはこれだ。
会社のいずれかの責任者を監督署に呼び出すこと。
労働環境などの詳しい話を聞くべく、一度、責任者に来てもらうのだという。説明に行くのは、うちの営業所の所長かもしれないし、幹部かもしれないし、社長かもしれない。労基としては話が聞けるならだれでも良いそうだ。
所長は行商を抜けられないし、社長がわざわざ行くとも考えられないから、ここは幹部が妥当だろうか。
とりあえず、うちの営業所に呼び出しの手紙を送る。そう言われた。
労基が動いてくれたのは嬉しい。話が進んだのは素直に喜ぶべきだろう。しかし、しかしだ。呼び出しの手紙は今から作ると言われてしまった。そうして実際に手紙が届いたのは翌週の土曜日。
……これが長かった。本当に長く辛かった。手紙一枚で、二週間以上も掛かるとは思わなかった。申告をしたその日のうちに連絡をくれたため、わたしたちはもっと展開が早いと思っていたのだ。送られた手紙を社長が読み、監督署に行って話を聞かれ、労基がそれに対して指摘をし……、実際に労働環境が良くなるのは一体どれほど先のことだろうか。それまで耐えられるだろうか。この〝8時行商〟に。
あぁ、早く、早く助けてくれ!!
……わたしたちはそんなふうに考えていた。冷静ではなかった。だって、申告からたった19日で会社に呼び出しの手紙が来たのだ。かなりの速度だ。迅速に対応してくれた、と今なら思う。
しかし、繰り返しになるが、わたしたちは限界だった。救急車を19日待てるだろうか? このとき、本気で「まだ助けてくれないのか!?」と憤っていた。正直、まともじゃなかったんだと思う。〝8時行商〟はそれだけダメージが大きかった。
それに加え、3月から定例会議がなくなっていた。会議が行商に変わった。
前に書いたのを覚えているだろうか。幹部から、「会社が金欠なために、土曜日出勤をお願いします」と言われていたのを。あれは任意だったが、今回は強制参加だ。会議の代わりに行商してこい。そう言われたのだ。
会議と行商では、拘束時間が全く違うというのに。
定例会議は本社で9時から行われる。わたしの家からは本社まで1時間半かかるので、いつも7時には家を出ていた。会議は長くても4時間から5時間程度。会議といっても、大半は社長の説教を聞いているだけ。死ぬほどおもんないが身体は楽だ。家に帰る頃には夕方近くになるが、それでも半日の仕事だ。
しかし、行商となると話は別だ。
休日だから道はすいているし、新規開拓だから時間に追われてはいない。空気も緩いので労働時間は短い。せいぜい12時間程度だろうか(短くはないやんけ)。
一日仕事だ。会議の2倍以上の時間は働いている。だというのに、日給は会議と同じ5000円! 完全にふざけている。
それらが重なり、この時期は本当に辛かった。
今すぐに助けてくれ! と悲鳴を上げていたわたしたちにとって、手紙が届くまでの19日間は本当に長かった。
毎日毎日、本当に毎日、「今日労基から連絡くるかな」「来て欲しいな」「労基が動けば、こんな環境も終わりや」「ざまぁみろやで」なんて3人で言い合っていた。それでなんとか耐え凌いでいた。我が事ながら涙を誘う。
だが、わたしたちは「きっと労基が助けに来てくれる」と希望を持っていただけ、まだマシだ。他の人は、どうやってこの環境に折り合いをつけていたのか、本気で疑問だった。
……まぁ先輩は先輩で、疑問だったそうだが。既婚者の先輩にはっきり言われたことがある。
「僕たちみたいに家庭がある人は、家族の為に頑張らなきゃ、って思いがあるから耐えられる。でも独身の君たちが、この環境に耐えられる理由が本当にわからない」。
申告から19日後。
5月の第1土曜日。ゴールデンウィークである。
皆さまの会社では、ゴールデンウィークはどれぐらいの休みがあるだろうか。連休が重なる人は、9連休や10連休なんて人もいるだろう。
さて、この豆腐屋はどれほどだろうか。
わたしの前の会社は、所長がとびっきりの奮発のような顔をして「2連休や!」なんて言っていたが、豆腐屋さんはそんなことはない。何せ、求人票にもしっかりと「GW休暇あり」と書かれているのだ。そんなに少ないはずがない。
3連休や。
ほかに休みはない。3連休と4連休、とかそういうことでもない。孤立した3連休だ。ただの3連休だ。ゴールデンウィークは3連休です。何がゴールデンウィークだよふざけやがって!
本来なら、第1土曜日は会議で半日だが、この日も行商に変わった。日月火の3連休。火曜日が休みになったので、土曜日はそのまま火曜日のコースを回った。がっちり一日仕事だ。あとに残ったのは、本当にただの3連休だった。
しかもこの土曜日の行商、割かし直前で決まった。ギリギリになってから、「土曜日は会議なしで行商にしよか」と連絡が回ってくる。奉仕活動の件を思い出してほしい。朝6時集合を前日の13時に伝えてくるような、ほうれんそう欠落企業である。人の休みを何とも思っていない。
しかし、この直前行商には参った人もいるんじゃないだろうか。半日仕事のあとはゴールデンウィークなので、この日から旅行の計画を立てていた人もいたかもしれない。家庭がある人は特に。「遊びに連れてってくれるって言ったじゃん! なんで無理になったの!?」「しょうがないだろ、仕事なんだから……」「そうよ、お仕事だから仕方ないのよ」なんて会話があったかもしれない。ドラマみたい。まさか、彼らもお父さんが5000円稼ぐために旅行の予定がなくなったとは思うまい。
ちなみに、滝野さんも被害を被った。
彼は元々、その日は地元に用事があり、実家に帰る予定だったそうだ。会議が終わり次第、すぐに電車へ飛び乗る予定だった。それが直前で予定変更を喰らう。それはまずいというので、滝野さんは所長に頭を下げに行った。
「申し訳ないんですが、休日出勤をなしにしてほしいんですが……」
所長は即答した。
「あかんに決まっとるやろ」
大説教祭りの開催や!
というわけで、めちゃくちゃ怒られたらしい。
このときの所長とほかの先輩の怒りっぷりは凄まじく、滝野さんがいないところでもプリプリ怒っていたくらいだ。
「休ませてほしい、ってそんなことできるわけないやろ。何言っとんのやホント」
「うんうん。やっぱ今時の若い子って感じやねぇ。責任感ないっていうか」
「せやろ。社会人としてあり得へんわ」
「まぁあの子も新卒やからなー。やっぱ働いたことない人って、使いにくいよなぁ」
そんなふうに言われる始末である。「休出できないです」と言っただけでこの仕打ち。これだけ意識高いふたりが、日給5000円で働かされていると考えると、本当涙出てくる。
まぁもし所長がOK出しても、社長が通すとはとても思えないのだが。
彼は仕事以外を優先することを決して許さない。
例えば、こんな話がある。会議の話だ。
会議は毎月第一土曜日に行われる。休日にやるだけあって、人によっては用事と重なることがある。
例えば、結婚式だ。ある日、「友達の結婚式に出たいから」という理由で、会議を欠席しようとした若い社員がいた。それを聞いた社長は、その人を本社に呼び出したそうだ。
そっからはもう大説教祭り。
結局、その人は友人の結婚式に参加できなかったらしい……。可哀想に。「定例会議」と呼ぶのもおこがましい、社長の独演会のために結婚式も参加できない。休むことを許さない。そんな社長なのだ。
ちなみに子供の運動会は休んでいいらしい。ええんかい。じゃあ結婚式も別にええやろ。
かなりあとの話になるが、わたしも結婚式と会議が重なったことがある。所長に相談した。すると、「結婚式じゃ休ませてもらえん。体調不良にしとけ。当日の朝、俺の携帯に連絡してこいよ」という答えが返って来た。わざわざ電話をして、着歴という証拠まで作る念入り用。あぁ本当に休めないんだな、と実感した。
話を戻す。ゴールデンウィークの話だ。
結局、出勤させられた滝野さんが「外走っててさ……、楽しそうな家族連れとか見えると……、『何やってんだ俺』って、辛くなるよな……」と切ないことを言っていたが、「悪いことばかりじゃないですよ!」とわたしは励ましていた。
そう、この出勤日は悪いことばかりではない。社長の暴虐を止められる希望が舞い込むからだ。
労基からの、「労働環境等について話し合いましょう。うちに来てください」という呼び出しの手紙が、営業所に届いたのだ。希望の手紙だ。労基から会社への初接触である。
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