【労基】【就業規則はどこいった】
【労基】
労基。労働基準監督署。
この時代、とっくの昔にブラック企業は問題視されていた。ブラック企業が悪だと認められていた。働いてなんぼの時代ではない。しかし、それでも企業が社員を過労死させるという事件は起こり、バッシングが起こる。
過労死ラインが発表されたのもこの辺りだ。月80時間が半年続いた場合、もしくは月の残業が100時間を超えて死亡した場合、過労死が認められる。そこが過労死ライン。わたしの場合、12月は残業199時間だから2回過労死できますね。
時代に沿い、企業もとっくに変化していた。変化できなかった会社は外部から変えられる。労基が監査に入り、会社が劇的に良くなった、という話も耳にする。労基をテーマにしたドラマも放送されていた。ブラック企業だとわかれば、ネットでも散々叩かれる。
うちの会社が労働基準法に反していることは、火を見るより明らかだ。言えばきっと助けてくれる。
さて。
労基にヘルプを出すのを決めたのはいいが、具体的にどうすればいいのかわからない。何が必要なのか。どう行動すればいいのか。
まずはネットで調べたり、労基に電話をしてどうすれば動いてくれるのか、尋ねたりした。
それでわかったことは、対応には優先度があるということ。これは監督官から直接教えてもらった。
労基への申告の仕方で、対応の優先度が変わってしまう。労基は日々多くの救援要請を受けている。いち早く助けてもらいたいなら、申告の仕方に気を付けなければならない。
優先順位は、どう変わるのか。
それは、匿名か記名かで変わる。
実名を晒すかどうかが重要らしい。
最も優先度が高いのは、すべてに実名を晒して申告すること。
労基に対して名を名乗り、会社にも労基に申告したことを隠さない。具体的な問題点を摘発すること。すると、労基から会社へ「□□の問題で、社員の○○さんから申告がありまして。それで問題点を指摘させて頂きたく……」という形で伝えてもらえるのだという。真っ向からのチクり。もはや宣戦布告である。
これが一番話が早い。優先度を高く取り扱えるそうだ。
しかしさすがに、在職中にそんなスーパープレイはできっこない。どうなるかわかったものではない。
一応、労基からは「申告した社員を責めちゃダメだよ!」と釘を刺してくれるらしいが……、言葉でそう言うことしかできない。それ以上のことはできない。会社へ注意したにも関わらず、関係なしにボコボコにされる申告者もいる。そう聞いた。まぁそりゃそうだろ、って話である。
少なくとも、うちの社長が「責めちゃダメ!」と言われて「ならしょうがないなぁ。許す!」となるとは到底思えない。絶対吊るし上げる。ボコボコのサンドバッグにする。
次点で優先度が高いのは、労基には名乗るが、会社には名前を出さない。会社に対してだけ匿名、というもの。
労基から会社には「とある社員の方から告発があったんですが」と言った具合に伝えられる。
最も優先度が低いのは、労基にも会社にも名前を出さず、あくまで匿名で「うちの会社をなんとかしてください!」というもの。
リスクのない完全匿名が理想だったが、電話相談の時点で「それは難しい」とハッキリ言われてしまった。調査の対象にはもちろんするけれど、優先度はほかの申告に比べると著しく低いらしい。まぁ当然と言えば当然だ。どこのだれかもわからないチクリに、そこまで重きを置けない。労基としても、『会社に明らかに異常がある』とわかっていないと踏み込みにくいのだという。「間違いでした」じゃ済まないからだ。
何にせよ、改善を望むのならば、正式に労基へ申告することをおすすめします。監督官にはそう言われた。
きちんと申告すれば動いてくれるそうだ。会社の状況を伝えると、「今すぐにでも申告してもらった方がいいですね……」と言ってもらえた。
わたしは、二番目に優先度が高い申告にしようと思った。会社には匿名、労基には記名、というやつだ。
とはいえ、現状では何も準備ができていない。必要なものは教わった。まずは、それを集めなくてはいけない。
親身に話を聞いてくれた監督官に感謝しつつ、このときはそれで電話を切った。
さぁ、申告の準備だ。
……話は逸れるが。
これから何人かの監督官とお話させて頂くことになるのだが、ひとりおかしな人がいた。いや、悪い人ではないと思うのだが。
申告の準備を進めているときの話だ。もう一度、労基に電話を掛けさせてもらった。正式な申告のやり方を教えてもらいたかったのだ。
そのときの電話の相手が、少し問題のある人だった。
どうされましたか、という問いに、「申告について詳しく教えて頂きたくて」と返す。そして、前回に一度、労基にも相談したことがあると伝えた。
「前に匿名での申告は難しいと言われたので、労基には記名、会社には匿名、という形で申告したいのですが、どうすればよろしいでしょうか」
わたしが言いたかったのはこうだ。しかし、「前に匿名での申告は難しいと言われたので、」と言った瞬間、勢いよく話を遮られてしまった。
「いえ! 難しいなんてことは間違っています。たとえ匿名での申告でもきちんと調査対象に入れています!」
「……あー、いや。匿名だと優先順位が下がると聞いたので、それで……」
「確かにそうかもしれませんが、難しいなんてことはないです。匿名での申告は時間がかかりますが、ひとつ残らず調査に入っています。『公務員は動きが鈍い』なんてことをあなた方は仰いますが、決してそんなことはないんです!」
「………………………………」
何だろう、ストレスが溜まっている方なのだろうか……。全くこちらの意図を汲んでくれなかった。「匿名での申告は難しい」と口を滑らせたわたしも悪いかもしれないが、それを最初に言ったのは監督官だし、わたしも匿名での申告が上手くいくとは思っていない。それに、『公務員は動きが鈍い』なんてことは一言も言っていない……。それ言ったのわたしじゃない……。
そもそもそこは重要ではない。わたしが訊きたいのは申告のやり方だ。
しかし、こちらの状況を伝え、どのように申告したらいいか、ということを尋ねたとき、あちらの対応はなんとも粗末なものだった。
まず、「それは一度、直接近くの監督署に来て申告してもらうのが良いと思います」と言われた。これはわかる。わたしだってそれが手っ取り早いと思う。だが、労働基準監督署が開いているのは平日の8時半から17時15分まで。豆腐屋さんは7時から21時以降まで。豆腐屋さんでは、直接出向くのは無理だ。有給だってないし。(ないってなんだ)
ただ、そういう人用にほかの申告方法があると聞いていた。それを知りたかったのだ。
けれど、それでも彼は「それは直接来てもらった方がよろしいと思います」と繰り返す。
「いや、平日の17時までしか開いてないんですよね?」
「そうですね」
「なら仕事があるから、直接行くのは無理ですよ」
「しかし、直接来てもらった方がよろしいかと思います」
このやり取りを少なくとも3回はした。3回て。ゲームのNPCじゃあるまいし。
そもそも、「その時間は行けないですよ」→「でも、直接来てもらった方がいいと思います」というやり取りが既におかしい。しかもそれを3度も繰り返す。これ、怖い話とかじゃないですよね?
そのあとにようやく、郵送でできる申告方法を教えてもらった。しかし、それでもまだ直接来るように彼は言う。よっぽど「じゃあ休日出勤か残業して待っててくれるんですか?」と言いたくなったが、不毛だからやめた。あっちは「有給取れや」と言いたいのかもしれないが、有給が自由に取れる会社ならそもそも労基に電話をかけていない。
申告後、監督官が担当につくという話を聞いた。この人だけは本当にやめてほしい、と心から思った数十分だった。
【就業規則はどこいった】
話は前後するが、最初に相談した監督官に、「まずは就業規則を確認してくれ」と言われていた。
勢い込んで労基が監査に入っても、「うちは就業規則にこう書かれている。そして社員も同意している。何も問題はない」と言われると、どうしようもない場合がある。第一に訊かれたのは、「『請負契約』を結んでいないか」というものだった。
請負契約とは、非常に大雑把に言うと、会社と社員の関係ではなく、会社と個人事業主として契約を結ぶというもの。雇用ではない。給与ではなく報酬になる。この場合は厄介だ。個人事業主は労働者ではないので、労働基準法は適用されない。労基は守れない。そういうケースをドラマでも一度、観たことがある。
請負契約は結んでないものの、就業規則に厄介なものが書き込まれている可能性はある。それを確認しなくてはならない。
しかし。
それはできなかった。
恥ずかしい話――あぁ、本当に恥ずかしい話だ。
「……あの、すみません。就業規則をもらってないんです」
「へ!? も、もらってないんですか?」
「はい、ないです……」
「じゃあ、会社の見えるところに貼り出されているとか、社員がいつでも見られる場所に保管されているとかは?」
「ないですね……」
あぁ恥ずかしい。就業規則がない会社ってなんだよ。
就業規則はその内容を社員全員に周知させる必要がある。それの写しを渡してません、貼り出しもしてません、では通らない。常に確認できる状態じゃないとダメだからだ。
一応、あとで営業所を確認したが、やはりなかった。ほかの営業所も同じだろう。貼り出してあるのはしょうもない標語だけ。『目指す技術は〝今〟の百倍』、『元が無ければ夢も無い』、感謝がなければ仕事はどうのこうの。うるせ――――ッ! 出たよ! 仕事に感謝がどうのこうの! 好きだなー、お前らそういうの! 流行ってんのか!?
監督官は絶句したあと、恐る恐る話を続けた。
「でも、入社前に同意書とか書きませんでしたか」
それはあった。入社前に本社へ呼び出され、書かされたものが。ほかの社員が忙しなく働く部屋に座らされ、「今読んで。書いて」と渡され、目の前で社員がじっとこちらを眺める中、慌てて読んで書かされた同意書が。
あったことを伝えると、「その写しあるでしょう?」と問われる。
「いえ……、もらってない、です……」と答えると、「えぇ!?」とそれはもう驚かれた。……いやもう、本当申し訳ないです。恥ずかしい。
監督官からは、このときに何度も確認された。「同意書は書いたんですよね? 写しはもらってないんですよね? ……間違いないですか?」と事あるごとに。大丈夫、間違っていない。全部回収された。
さらに、別の監督官にも何度も確認された。後の担当との会話がこうだ。
「えぇと、何度も訊いて大変申し訳ないのですが、もう一度だけお願いしますね。同意書は書かれたんですね? それで、その写しはもらって……?」「「ないです」」「はい、すみません、わかりましたー……」
となる始末。
手元に就業規則はない。しかし、それで「はいそうですか」とはならなかった。必要だからだ。労基からは「会社に就業規則を出してもらえないか」と言われてしまった。
それ自体は可能だろう。本社に願い出れば、手に入れることはそう難しくないと思う。しかし、できればやりたくない。絶対に怪しまれる。突然、就業規則を欲しがる奴がいたと思ったら、そのあとに労基から監査が入った、ではあざとすぎる。だれがチクったか一目瞭然だ。
それは避けたい。チクりがバレるのは非常にまずい。
かといって、このままでは話が進まない。就業規則が必要だ。しかし、わたしは持っていない。会社から取り寄せることもできない。
手詰まりだ。
わたしでは、就業規則を用意することはできない。
しかし、ひとりで無理ならふたりだ。ふたりで無理ならそれ以上。自分ひとりでできないのなら、ほかの人に頼ればいい。
当時、わたしにはふたりの仲間がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます