【社長渾身の奇策】3

 さて。


 この大がんも250枚事件。


 ここまで営業所をしっちゃかめっちゃかにしておいて、実際の売上はどうだったかというと。



 結果だけ言うと、わたしに関しては上がった。水~金の三日間だけだが、一日あたり1万円ほど売上がプラスされた。季節限定商品なし、セールなし、で1万円の売上増加はかなりのものだ。



 いや、セールなしと書くのは語弊があるかもしれない。この一週間だけ、セット販売をしていた。



 大がんもの値段は1枚235円。5枚で1175円のところを、特別価格5枚セット千円ぽっきりで販売していた。


 いや、こんなクソでかいがんもを5枚もだれが買うねん。だれもがそう思っていた。


 ただ、これのおかげでわたしの売上は増加した。結果だけ言えば。しかし、わたしの販売テクニックが凄かったから、というわけでは決してない。やる気があったからでもない。


 むしろ、わたしはこの大がんも作戦には消極的だった。


 いやだって。このがんも、おいしくないし。でかいだけだし。クソ高いし。


 例えば、普通のがんもどき。あれは好きだ。おでんでも甘辛煮でもおいしく頂ける。結構好き。


 しかしこの大がんも、おでんにも煮物にも適さない。そもそも固いのだ。あまり煮汁を吸わないせいで味は浸透しないし、具材が多いこともあって歯応えがある。異常に使いづらい。


 じゃあどう食べるのが正解かというと……、うーん? 一応、レシピとしてはこのがんもを崩してご飯に混ぜると炊き込みご飯にできるよ! ってのがあるが……、それくらい……かな……。



 とはいえ、会社からは売るように指示されている。一応、お客さんにはオススメする。


「豆腐屋さん、こんにちは」


「あ、お母さんこんにちは! いやー、今日も寒いですねえ。さ、今日はどうしましょ!」


「今日は木綿とあげ5枚貰おうかな」


「木綿一丁、あげ5枚! ありがとうございます!


(豆腐と油揚げを袋に詰めながら)ところでお母さん、今日こんなお得なセット販売してるんですけど……(大がんも5枚千円のポップを見せる)」


「これって、このおっきながんも? えー、5枚もいらんわあ」


「ですよね~~~~~~~~~! あ、お母さん木綿一丁180円と油揚げ5枚で300円、合計480円です!」


 こんな感じ。一応、話は振る。一応。興味を持ってくれたら、まぁ一応オススメの言葉を並べてみたりもする。


 実際、ほかの人もこんな感じだった。先輩が12枚しか売れなかった、と書いたが、結局はオススメしていないからだ。その人が本気を出せばもっと売れる。売らなかったから売れないだけ。


 いやだって、おいしくないし、使い勝手も悪いし……。


 しかし、なぜこんなモチベのわたしが売上を上げることができたのか。急においしさに目覚めたのか。やる気が吹き出したのか。


 どれも違う。


 隣に、幹部がいたからだ。


 横乗り、という制度がある。


 主に新人相手に行われる。普段、行商というのはひとりでするもの。横乗りと言うのは、隣にベテラン社員に乗ってもらい、接客態度や運転についてアドバイスをもらうことである。


 わたしも何度か幹部に乗ってもらったことがある。しかし、今回はちょっと趣向が違う。大がんもを売るために、幹部が隣に乗り込んだのだ。「新人は幹部についてもらって、売り方を教えてもらえ」とのことだ。


 幹部も接客時は車から降りて、いっしょに接客をする。普段はスーツの彼らも、この日は行商用の制服に袖を通す。


 ちなみに横乗りするときの幹部はいつもめちゃくちゃ楽しそう。普段は社長の隣で無茶ぶりに振り回されるから、こうして離れて行商するのが嬉しいんだそうだ。「やっぱ現場が一番やな!」と言っていた。


 さて、幹部から見るとわたしの大がんもの売り方は言うまでもなく0点である。まぁあまり売る気がないのだから当然だ。



 幹部はとにかく押せ! とわたしに言う。押して押して、多少引かれても押し通せ、と。



 実際、その通りにした。隣で先輩が目を光らせているのだから、そうせざるを得ない。


 お客さんが来れば、挨拶もそこそこに、真っ先に大がんもを勧める。「いや、5枚もいらんし」と言われれば、「大丈夫です、お母さん。これ冷凍できますんで。便利ですよー、おでんに入れてもおいしいし、甘辛く似てもおいしい! 崩して炊飯器に入れれば、炊き込みご飯にもなります! あ、レシピあるんでどうぞ! もちろん、5枚で多いなら1枚でも2枚でも!」。こんな感じでグイグイ行く。



 売れればもちろん、売れなくても幹部は車内で褒めてくれた。「今のはよかった」「あれだけ押せるのはお前の長所やで」なんて具合に乗せてくれる。



 これはさすがに強引すぎでは? と思ったものの、わたしの隣には幹部がいる。ベテラン販売員がいる。まずかったら止めるだろうし、褒められるくらいだから大丈夫なんだろう。これでいこう! とわたしは思った。



 わたしはグイグイ押す。そうなると売れる。「じゃあ試しに……、豆腐もないし」と言った具合に1枚2枚、ありがたいことに5枚セットもいくつか売れた。



 そうすると、今度は幹部が煽ってくる。彼は販売員に売上枚数を報告させていたので、ほかの人の売上枚数がわかる。「(わたしと歳が違い販売員の名前を出し)あいつ、もう〇〇枚売ったみたいやぞ。5枚差やな」なんて言ってくる。そう言われれば、わたしも「よーし、じゃあ次のお客さんに5枚セット買ってもらいます!」なんてやる気を出してしまうわけだ。



 結果、売れた。



 そのおかげで売上1万円増加になったわけだ。次の会議では売上枚数が多い順に名前を呼ばれたが、わたしは良い位置に喰いこむことができた。かなりの枚数を売った。


 しかし、そこでおかしいとは思ったのだ。


 普段、売上上位の販売員が、軒並み大がんもの売上枚数が少なかったからだ。


 その理由を知ったのは、翌週だった。


 客が出ない。売上が上がらない。出てきてくれても、「あぁ今日は豆腐一丁だけでええわ」なんて素っ気ない様子で、ぜんぜん商品を買ってくれない。


 客数、売上ともにがくんと落ちた。


 なぜか。


 お客さんの気持ちになれば、簡単に答えが出る。


 例えば、5枚セットを押し付けられたお母さんだ。


 家にいたら、いつも通りにラッパの音が聞こえてくる。でも、まだ冷蔵庫にはあのわけわからないがんもが残ってるし……、使い道困ってるし……。出て行っても、豆腐売ってるかわからないしなぁ。普段のお兄ちゃんともう一人知らない人がいて、なんだか威圧感あったし。また高い商品を押し付けられてもなぁ……。


 今日は、まぁええかぁ。


 そんなふうに思ったお客さんも多いんじゃないだろうか。あまりにも押し売りが過ぎた。そりゃ嫌にもなる。そして、「今日はまぁもうええか」となれば、次は出るのが面倒くさくなる。もうええか、となってしまう。



 ほかの人たちがなぜ大がんもを売らなかったのか。



 この結果が最初から見えていたからだ。



 扱いに困る癖のある商品を、大量に押し付けたらどうなるか。そのまま、お客さんが切れてしまう。それがわかっていた。



 実際、営業所の先輩に言われた。「あんな商品売ってたら、そりゃあかんよ」と。



 じゃあ教えておいてくれよ、と言いたくなるところだが、「大がんもを売れ」いうのは会社の指示だ。後輩に大っぴらに「あれは売るな」とは言えない。



 おかげでひどい目に遭ってしまった。お客さんにも申し訳ないことをした。


 とはいえ、わたしのダメージはそれほどでもない。一年目で歩合は関係ないし、「まぁそういうことならしゃーなしよ。次から気をつけよ」ってなもんだ。


 しかし、先輩としてはこれが結構な大事件だったらしく、数ヶ月後、わたしが辞めることになったとき、この話を持ち出された。


「あんたも可哀想なタイミングで入ってきたと思うよ。大がんも100枚のとき、覚えてるやろ。会社の都合であんなんさせられて、お客さん減らされて……、そりゃ嫌になるわな。あれがなければあんた、もう少し長続きしたと思うよ」


 そう言われた。


 わたしがこの会社を嫌になったのは、社長と長時間労働がクソッタレだったからに他ならないのだが、まぁ先輩にとってはそれくらいの大事件だったわけだ。


 しかし、ここでひとつ疑問が残る。


 大がんも250枚事件のとき、わたしの隣には幹部がいた。ベテラン販売員だ。彼がGOサインを出すから、わたしは安心して押し売りしたわけだ。4ヶ月に満たない自分の経験と、何年も販売員をやって幹部に上がった先輩、どちらを信じるかなんて言うまでもない。


 では、幹部はこの結果を予想できなかったのか。


 そんなわけがない。わかっていた。わかっててやった。


 それがわかる言葉を、わたしは既に聞いていた。


 大がんも250枚事件、最終日。金曜日の朝のことである。


 本社から電話が入った。「あなたのコースの近くで、買ってみたいと言っている新規のお客さんがいるので、その人の家に行ってください」というもの。この指示自体はよくあることだ。わざわざ問い合わせて呼んでくれるのだから、ありがたい話である。


 幹部が横に乗った状態で、わたしは呼ばれた家に車を走らせる。マンションだった。降りて来たのは三十歳くらいの奥様だった。


 新規のお客様なので、普段より丁寧な接客を心掛ける。商品の説明はするが、あまりくどくならないように。最後にはチラシを渡し、「またいつでもお呼びください」と告げてしつこくしない。


 普段通りに接客したあと、わたしは幹部とともに車に戻った。すると、幹部は開口一番、こう言ったのだ。


「お前、なんでさっきのお客さんに5枚セットをオススメしなかったんや」


 するわけがない。


 新規のお客さんへのセオリーは、かなり固まっている。


 新規のお客さんに求めるのは、次も買ってもらうことだ。リピーターになってもらうこと。毎週出てもらうこと。これが何よりの目標だ。単価を上げるのはお客さんが根付いてからでいい。


 そんなお客さん相手への立ち回りだが、大事なことがひとつある。


 この店の豆腐を気に入ってもらわない限り、絶対にリピーターにならない。豆腐を買わないお客さんはいずれ切れる。豆腐ありき。これは口酸っぱく言われている。


 いやもちろん、あげ類を気に入るお客さんもいる。それだけしか買わないお客さんもいる。リピーターになったあとでそうなるならいいが、最初の時点で豆腐を買ってもらわないとどうにもならない。


 あげ類はいずれ飽きる。飽きたらもう出てきてくれない。だから、最初はあまりあげ類を押さない方がいい。


 先輩から何度も言われた言葉だった。


 そして、もうひとつは季節限定商品だ。


 こっちを気に入られると本当に厄介だ。季節限定商品は、前にちらりと言った味付きがんもが代表例だが、これは月に二週間しか販売しない。売ってないときに来られるともう終わりだ。「出て来たけど、がんもが売ってないならいいや」となったら目も当てられない。いずれ絶対出なくなる。



 それに何より、値段が高くなる。1枚200~300円という超絶強気設定なので、数枚買えば必ず値は張る。高いという印象が強くなる。次に買うか迷ったとき、値段を思い浮かべてやめるお客さんもいるだろう。


 だから、味付きがんもがあっても説明しない人もいる。訊かれない限りは何も言わない。レギュラー商品しか説明しない。人によっては、箱を開けずに隠す人もいるくらいだ。それくらい厄介なのだ。わたしはお客さんに対して失礼な気がして見せるようにはしていたが、興味を持たれると「ひゃー!」と悲鳴を上げたくなった。


 一番ありがちなのは、ドカ買いしようとするお客さん。



「せっかく来てくれたから」「次は買えるかわからないから」そんな理由でたくさん買おうとするお客さんがいる。だが、これはダメだ。困るのだ。


 たくさん買えば、それで満足してしまう。もう次はええか、となる。来週も冷蔵庫に残っていることだってある。一回きりになるのだ。そういうときは、「来週も来ますんで、食べきれる分にしましょうよー」なんて言って、買う分を減らしてもらったりする。


 そういう意味では、この大がんも5枚セット1000円というクソ押し売りセットを新規のお客さんに売ることが、どれだけ悪手かわかってもらえるだろうか。


 なぜ5枚セットをオススメしなかったのか。幹部に問われ、わたしは答える。


「いや、だって。新規のお客さんですよ」


 相手はベテランだ。この一言だけで伝わる。


 幹部は苦々しい顔を浮かべながら、わたしにこう返した。


「気持ちはわかるけどな。今は会社の一大事なんや。手段選んどる場合ちゃうやろ」


 そう言ったのだ。


 会社の一大事。


 手段を選んでいる場合ではない。


 確かに、以前から売上が足りないとは言っていた。それは知っている。そのために土曜日出勤の指示があったくらいだ。



 しかし、それで新規の客を潰すのか? 目の前の少ない利益のために?



 ……それほどまでに困窮しているのだろうか。現金が足りないのだろうか。



 困窮していた。



 そう。


 この会社は今、とてもピンチだったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る