【激務の代償】

【激務の代償】




 体調不良で会社を休むか、否か。




 これは本人の責任感の比重で変わってくると思うが、それ以上に重要なことがあると思う。



 それは会社の空気だ。



 休んでいい会社なのか、そうでないのか。その空気によって、従業員が休むかどうかが変わってくると思う。



 そういう意味では、この豆腐屋はぶっちぎりで休める空気はない。欠片もない。「え? 人間って会社休むことあるの?」ぐらいの認識だろう。



 実際、休んだ人をわたしはひとりしか見たことがない。一度、営業所の先輩が体調不良で休んだ。二日続けてだ。裏でボロクソに叩かれていたが、所長がだれよりご立腹だった。




「最悪、会社を休むのは仕方ないにせよ、二日連続はあかんやろ。社会人たるもの、どんな病気でも一日で治すべきとちゃうんか」




 そんなふうにキレていた。しかも、それを「なぁ?」とわたしに同意を求めるのだ。



 わたしはうんこイエスマンなので、「いやぁ本当、その通りだと思います」とベストアンサーを返しはしたが。




 まぁそれくらい休める環境ではない。それに、休んだときの会社のフォローもない。



 その人が休んだら、その人が回るはずだったコースはどうなるのか。待っているお客さんはどうなるのか。



 どうにもならない。完全に無視だ。その人が休んだら、100人以上いるお客様全員をぶっちする。



 責任が重すぎる。




 従業員が全く休まないのは、「一日休んだだけで、半年間給与が下がり続ける可能性がある」というシステムがあるせいでもあるのだが、これは給与の話で語ろう。




 ちなみにうちの会社には、有給なんて洒落たものはない。普通の会社員なら「有給がないってなんだよ」と思うかもしれないが、ないものはないんだ……、社長がないと言ったらないんだ……。




 かといって、社員が全員体調不良にならないストロングマシーンかと言えば、そうではない。我々は人間だ。体調も崩すし、風邪も引く。むしろ、こんな生活をしているのだから、普通の人よりしょっちゅう体調不良になる。



 所長なんかはちょくちょく顔を真っ青にして出勤してきたし、「あったまいってぇ……」と鬼のような顔をして来る先輩もいる。「このコースはここに病院があるから、何かあったら診てもらえばええ」とトリッキーなアドバイスをくれる先輩もいた。



 体調を崩しても鉄の意志で歯を食いしばり、とにかく出勤しているに過ぎない。根性で押し切っているだけだ。よくSNSで時代遅れなおじさまが「会社を休むのは根性が足りないだけ。根性があったらどうとでもなる」と言って炎上をかますのは、都会でカラスを見るくらいには見慣れた日常であるが、ある意味では正しいとは思う。根性があったら出勤はできる。する意味がないだけで。そうさせる会社がおかしいだけで。体調悪い奴に仕事させる、ってどう考えてもおかしいだろってだけで。



 しかし、根性だけではどうにもならないときもある。



 脳がスイッチを切った場合だ。そのときは根性も何も関係がない。その選択に身を委ねるしかない。




 こんな人たちがいる。




・豆腐工場の部長




 ある時期、豆腐工場で働いていた社員が一斉に辞めるという事件が起きた。この事情は後に語る。とにかく社員がおらず、それでも豆腐は作らなくてはならない。部長さんは毎日毎日、遅くまで残業した。人手が足りないのだから、彼が働くしかなかった。毎日遅くまで豆腐を作り続けた。



 そうして限界を迎える。



 ある日、豆腐が入った水槽に顔を付けたまま、動かなくなっていた部長を、ほかの社員が見つけたらしい――。




 ……いや、大丈夫。これは笑い話だ。「豆腐用の水槽に顔をつけたまま動かなくなる部長」というシュールな光景を思い浮かべて笑っていい。ギャグマンガっぽく、社員の「部長ォ――――――ッ!?」っていう吹き出しを付け加えてもいい。



 ちゃんと部長は生きているし、助けられている。このあと退職したが、絶対その方がいい。豆腐を作っていて溺死、だなんて死に方はだれだって嫌だ。




・別営業所の販売員




 彼はひょうきんな性格で、いつも冗談で周りを笑わせるムードメーカー的な若者だった。



 ある日、彼が冷蔵庫で作業をしていると、急に身体が動かなくなった。その場に倒れてしまう。身体は言うことを効かない。起き上がれず、彼は必死に周りの社員に助けを求めた。「たすけて……たすけて……きゅうきゅうしゃ、よんで……」と。



 しかし、ほかの社員は「ええから、さっさと準備せえよー」「お前ええ加減にしとけよー」といつもの冗談として流してしまい、助けてもらうのにかなり時間が掛かったんだそうな。



 現代コメディ版オオカミ少年かな?





 あとは笑えない話だが、ほかの営業所で鬱病になってリタイアした販売員もいる。その人も即退職した。



 そんな具合に脳が身体にストップをかける場合は別だが、そこに行くまではアクセルを踏み続ける。身体が動くうちは働き続ける。根性論というよりは奴隷根性かもしれない。会社に身を捧げるのは美談でも何でもなく、思考停止した哀れな奴隷の自殺だろう。



 しかし、奴隷だって無限に働けるわけではない。こんな無茶苦茶な生活をしていたら、身体だって参ってくる。体調を崩す。



 そんなわたしたちの頼れる仲間がロキソニンだ。多少の熱や体調不良ならビクともしないスーパー鎮痛剤で、どれだけキツくてもロキソニンを飲んでおけば何とかなる。超チートアイテムだと思う。社員みんなの常備薬。




「体調悪そうですけど、大丈夫ですか? ロキソニン要りますか?」



「いい……、もう飲んだ……」




 そう言ってニヤリ。そんな会話が成立する会社である。実際、数分もしたらピンピンしている。



 しかし、薬は飲み続けると効かなくもの。ロキソニンが効かなくなるなんて、考えただけで恐ろしい。人生が詰んでしまう。だからわたしの場合、飲まなくていいときは飲まないようにしていた。




 2月13日はまさにそんな日だった。



 行商から営業所に帰る途中、熱っぽく感じた。ちょっと頭痛もある。これは熱出てきたなー、と思うものの、あと2~3時間で帰れる。接客はもうしなくていい。じゃあここは我慢しておくか、となったのだ。



 しかし、意外にも熱はぐんぐん上がっていく。



 仕事を終わらせ、逃げるように帰った。明日も仕事だ。食欲はぜんぜんなかったが、晩御飯を胃の中に押し込み、風呂に入ってさっさと寝た。熱は測らなかった。数字を見るのが怖かったのだ。



 大丈夫、いっぱい食べていつもより眠る。だから、起きたときには治ってくれ……、と祈りを込めて眠った。




 朝になった。



 吹雪になった。




 朝起きて窓を開けると、そこは一面の雪景色。雪がバンバン降っている。吹雪だ。横殴りの雪が窓の外ではしゃいでいる。



 わたしの住んでいる地域は、雪はあまり降らない。積もることは滅多にない。積もったとしても年に1~2回のもので、積もらない年が何年も続くときもある。



 珍しいな、と思いながらもニュースをつけると、全国的に雪が降っているようだった。電車がいくつも止まっている。



 もう少し遅い時間にニュースを見れば、会社員や学生が駅の中で立ち往生していただろう。SNSを見れば、「雪で電車止まった。会社行けない」「会社から出社してくんなって連絡あったから自宅待機」「会社に着いたはいいけど、帰れって言われたわ」などの言葉が並んだ。





 ブラック企業の決まり文句として、大雪や台風のときに来るメールが上げられる。「十分に注意をして、気を付けて出社してきてください」ってやつだ。



 では、この豆腐屋さんはどうなのか。



 バカ言っちゃいけない。ちゃんと安否確認のメールは送られてくるが、「気を付けて出社しろ」なんてことは一切言われない。一応、車に乗る仕事だ。その辺りは人一倍敏感なわけで。



「出社するのが危険と判断した場合は、自宅待機するようにしてください」



 そんなメールが届くのである。




 わたしは外を見る。大雪だ。雪の日はそこかしこで事故がある。危険がどうかで言えばぶっちぎりに危険だ。なまじ雪が降らない地域のせいで、ノーマルタイヤで爆走する車もいる始末。雪の日には外に出ないのが一番の安全策だ。



 つまり、この場合は出社しないのが正しい。




 が。



 まぁ言うまでもなく。



 こんなメールの文面を真に受けるわけにはいかない。真に受けて休もうものなら、翌日袋叩きだろう。社長からもつるし上げを喰らう。「だって! 危険だと思ったから! メールに書いてあったから!」なんて反論すれば、めちゃくちゃでかいため息を吐かれて、「お前さぁ……」と大説教祭りだ。ここまでありありと想像できる。



 こんなメール、言っているだけだ。事実、休む人はひとりもいない。雪の日が危険だという認識はもちろんある。だから、行商車のスタッドレスタイヤにチェーンを巻いてまで走る人もいるくらいだ。




 それに、社長自身が普段からこんなことを言っている。




「大雪や台風の日は、むしろチャンスなんや。そんな日にきちんとお客さんのところに行ったら、『こんな日なのに来てくれるなんて!』って感動するやろ?」




 まぁ言わんとしていることはわかる。わかるが、本当に社員の安全面はどうでもいいんだな、というのがよく伝わる。

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