【奉仕活動のあとに】
【奉仕活動のあとに】
さて。
神宮できちんと交通安全のお守りを買い、無事、奉仕活動を終えた。
こんな思いは二度としたくない。もう絶対に嫌だ。そう思ったわたしは、運転をさらに慎重に行うようになる。
バックするときは、「バックのときが一番危ない」と一言呟き、時間が遅れて焦っているときは、「焦っているときこそ慎重に」と呟いてから息を吐いた。
こういう決まり事は大事だ。安全に安全を重ねても悪いことはない。例えば所長は、「絶対に必要じゃない限り、バックはしない」という決まり事をもっていた。バックをするか、道をぐるっと一周するか、という選択肢では必ず後者を選ぶ。バックはできる限りしない。研修中は、よくそんな話をしていた。
そして安全に安全を重ね、事故ったばかりで運転が慎重になっている1月のこと。
わたしは事故った。
……待ってほしい。言い訳をさせてほしい。運転に関しては、わたしもそこまでアホではない。
シチュエーションが問題だったのだ。
事故ったのは1月のとある日。
わたしは先週と同じ動きで、普段のコースを回っていた。いつも通り、丘の上にあるお客さんの家に向かおうとしたのだが、ここで問題があった。
丘の上に行くには、車一台しか通れない小さな道を通る。突き当たりで二本の道に分かれるので、そこを右に行く。左は違う住宅街に出る。で、わたしはその道を走るわけだが、左の道がなにやら工事をしているのだ。警備員のおじさんが立っている。
……そのおじさんに向かって、車に乗ったまま怒鳴り散らすおじさんがひとり。
おそらく、その人は左の道に行きたいのだ。だが、工事中で通れない。その怒りを警備員のおじさんにぶつけている。普通に嫌な光景だ。
だが何より、そのクレームのおじさん、分かれ道の手前で車を停めているのだ。一本道を車で塞いでいる。これではわたしが通れない。右手のお客さんの家に行けない。
この状況、今だったらそれなりの対応をすると思う。
まず、さっさと道を戻り、別のお客さんを先に拾いに行く。それで時間を潰す。戻ってきてまだクレーマーおじさんが怒鳴っていたら、まぁラッパをフル音量、「いらっしゃいません、いらっしゃいませ……」とアナウンスしながら近付く。それでもダメならもう声を掛けるしかない。こっちだってお仕事なわけで、どいてくれないと困るのだ。
今ならそんなふうに動けるが、当時は新人もド新人。独り立ちしてから二ヶ月経っていないし、こんなときの対応なんて聞いていない。とにかく後ろで待機していた。ご丁寧にラッパの音を消して。「気付いてどいてくれないかなー……」という期待を込めていたわけだが、気付かないし、気付いてもきっとどかないだろう。そこでどいてくれる人なら、何の罪もない警備員のおじさんに怒鳴り散らしたりしない。
以前よりはマシだが、今も行商に余裕があるわけではない。昼休憩は変わらず取れない。常に焦ってはいる。そのうえ、こんな無為に時間を奪われれば、焦りはさらに加速する。どうしようどうしよう、このままどいてくれなかったら、どうすればいい? 時間の焦りに加え、そんな焦燥感にも襲われる。
しばらく待ってもどいてはくれない。仕方なく、わたしはそこでようやく、別のお客さんのところに向かうことにした。バックして道を戻るわけだ。
そのときに、ずどん、と。
車に独特の衝撃が走り、慌ててブレーキを踏む。すぐに青褪めた。何度か味わった感覚だ。わたしは車を移動させ、慌てて降りる。
そして、確認した。
見ると、ポールのようなものがあった。そこに接触したのだ。死角に入って確認しきれなかった。車を確認する。リアバンパーの真ん中の方……、そこに、ヒビが入っていた。
ぶつけた。事故だ。しっかりと傷が残っている。
このときのショックは筆舌に尽くしがたい。
一気に今までのことが蘇ってくる。前回の事故の現場、「奉仕活動は1月1日」と言われたこと、前日の午後に「明日6時集合ね」とメールを送られたこと、夜中3時に車を走らせたこと、休憩も取らずにノンストップでただ働きしたこと。
それに加え、わたしは「事故会議」というもので本社に呼ばれ、つるし上げを喰らっている。通常の行商を終えたあとに本社での会議だったので、終わったのは23時くらいだった。そこから1時間半かけて家まで帰った。
本社は駅から徒歩1時間というクソ立地に建てられている。周りに建物はほとんどない。めちゃくちゃに広い駐車場で空を見上げると、異様なまでに星空が綺麗だった。「帰ったら24時超えるよな……」と思いながら見た夜空の趣の深さは尋常じゃない。敗北者の景色だと思う。
そして何より、奉仕活動。この事実がわたしの心を重く潰す。
まただ。また、わたしは土曜日を会社に無料で捧げなければならない。月に110時間以上サビ残をして、なおも休日まで。
あまりのショックに、わたしは人生で初めてあることをした。おそらく、これから生きていても二度としないであろう行為だ。
膝から崩れ落ちたのである。
ぺたんと地べたに座り込み、そのまま前かがみになって地面を手でバンバンと殴った。半泣きになりながら、「なんで……、なんで……!」と何度も呟き、そのたびに地面を殴った。
……いやまぁ。こうして書くと、ドラマティックすぎやしないか、とは思うものの、本人としては真剣だ。それぐらいショックだった。それぐらい嫌だった。また奉仕活動かよ! と呻いていたわけである。
何せ、あまりにも事故と事故が近い。つい先日、ただ働きに行ったばかりではないか。1月3日に。嫌すぎてどうにかなりそうだった。
それに、さすがにこれだけ近い間隔で車をぶつければ、何を言われるかはわからない。営業所ではバカにされ、呆れられ、社長からはド叱りを受けるだろう。嫌すぎる。惨めだし情けないしで、どうしようもなかった。
怒りもある。元はと言えば、あのクレーマーおじさんのせいだ。奴がいなければ、こんなことにならなかったのに。しかし、結局は自分の不注意だし、「あれだけ気を付けていたはずなのにまた事故るだなんて」、という自己嫌悪もある。
めちゃくちゃ色んな感情が入り乱れていた。顔を上げ、未だ怒鳴っているおっさんを睨み、車の傷を見下ろし、また地面をバンバン叩く。めちゃくちゃヤバい奴。つくづく、だれにも見られていなくて良かったと思う。
しかし、いくら喚いても結果は変わらない。事故は事故。傷は消えない。
わたしは諦めて、会社携帯を取り出した。所長に事故の報告をするためだ。そのとき、わたしは改めて車の傷を見た。リアバンパーのひび割れを見た。地べたに座り込んでいるので、傷が目の前にある。
リアバンパーがよく見える。わたしが付けた傷以外にも、細かな傷がちょこちょことあった。この車は全体的に薄汚れていて、傷もそこかしこに付いていた。もちろん綺麗にはしている。週に一度は必ず洗車している。だが、何分古い。どれだけ綺麗にしていても、散々使い倒された車だ。取れない汚れも傷もある。
この行商車は古い。何せ、窓を開けるときは、ハンドルをクルクル回すタイプだ。今時クルクルて君……。見たことない人も多いんじゃないだろうか。わたしもめちゃくちゃ古い代車とこの車でしか見たことがない。
パーキングブレーキもフッドペダルではなく、運転横にあるレバーのやつ。サイドブレーキと呼ばれていた時代だ。ギッ! って引く奴。
キーレスキーじゃないのは仕方ないにしても、集中ドアロック(運転席の鍵を掛ければ、すべての鍵が掛かる)がないのは辛かった。後部座席の部分に豆腐があるので常に扉を開閉するし、リアハッチも開ける。すべて鍵が開いている。
コンビニ等に行くとき、鍵を閉めるのが非常に面倒なのだ。後部座席の両方のドア、リアハッチ、助手席、運転席の鍵を閉めてから車から降り、帰ってきたら同じ動作ですべての鍵を開けなければならない。集中ドアロックがあれば、ワンアクションで全部済むのに……。
……誤解がないように言っておくと。「そんな時代だったんだなぁ」と思わないでほしい。この話の舞台は2010年代で、これほど機能の古い車はほとんどない。キーレスが主流だ。というか、ハンドルクルクルって本当にいつの時代だよって感じだが……。
そんな古い車ではあるものの、走行距離は12万km。この会社にしては走っていない方だ。そのせいで、先輩からは「おいおい今の新人は随分と新しい車に乗せてもらえるんだなぁ~?」と言われたことがある。先輩たちは、ボロボロの廃車寸前のものを回されていたそうだ。
とはいえ、この車も相応に古い。薄汚れている。傷も多い。そして、改めてわたしが付けた傷を見る。
……………………。
これ、言わなきゃバレないのでは?
そんな黒い気持ちがムクムクと湧いた。既にこの車は傷だらけだ。ひとつふたつ増えたくらいで、劇的に変わるわけではない。気付かれるとはとても思えない。
レンタカーじゃあるまいし、社員や社長だって毎回チェックしているわけではない。写真があるわけでもない。それにバレたとしても、「え? 前からありましたけどねぇ?」でごまかせるのではないか、と思ったのだ。
それに、実は所長からあることを言われている。
最初に事故ったときだ。所長に電話で報告したあと、こんな会話をしている。
「傷はどんなもんや? 結構でかいんか」
「あ、いえ。擦っただけなんで、それほど傷はついてないです」
「あぁそうなんか。なら俺がごまかしたるわ。営業所帰ったら見せてみぃ」
そんなあまりにも頼れることを言ってくれたのだ。痺れる。格好良すぎる。
ただ、わたしがこのとき乗っていたのは代車だった。それも新しい。走行距離1万kmという、この会社で言ったら「ほぼ新車」を乗っていた。もうピカピカ。傷もついていない。それを伝えると、「……じゃあ無理やなぁ」と匙を投げられてしまった。
ちなみに代車に乗っている理由は、今の車が「ライトがハイビームにしかならない」というクソほど迷惑な故障の仕方をして、修理中だったから。
実際にわたしが今の古い車だったのなら、所長はごまかしてくれたと思う。
何せ、ほかの人の話だと、「所長はポコポコ車をぶつける」らしい。ポコポコて。そのたびに自分でごまかしているとのこと。確かに倉庫の中には、コンパウンドやらスプレーやらが一通り揃っている箱が置いてあって、だれの持ち物なんだろう、とは思っていたのだが。
ごまかすことに決めたわたしだが、それなりの覚悟を持って帰った割にはいともあっさり成功した。バレる気配もなかった。まぁ人の車なんてまじまじ見ないし、傷があったかどうかなんて覚えているわけもない。何なら前回の事故もごまかせたんじゃないかとすら思う。
それに、万が一傷に気付いても、ほかの人は黙ってくれたんじゃないだろうか。こういう隠蔽はみんなやってると思う。事故もみんなやってる。うちの営業所でも、10人中9人が奉仕活動経験者という状況であるし。
しかしまぁ一度隠蔽に成功すると、人間悪いもので。そのあと、わたしは二度ぶつけて、二度ごまかした。地面をバンバン叩いていた男が、「あぁまぁ。しゃーなししゃーなし」くらいで素通りするようになったのは、成長なのかどうなのか。
……ちなみに。『チェックされてないし、ごまかせるだろう』……、と思っていたわたしだが、これは結構危ない橋だった。
あとから聞いた話では、本社にある配送トラックは社長チェックが入っていたらしい。しかも、ぶつけた覚えがない傷を指摘され、「お前ここぶつけとるやないか! 給料2万マイナスや!」なんてイチャモンをつけられたそうな。やり口がチンピラ。
さて、1月の話だ。
11月、12月の激務中、先輩たちから「1月に入ったら落ち着くから」と度々言われていたが、本当に驚くほど落ち着いた。
というのも、客数が以前に比べてぐっと落ちているのだ。単純に寒いから人が外に出ない。もうひとつ大きな理由があるが、これは後述する。
客数が減れば、接客する時間が減る。接客時間が減れば、今までカツカツだった時間に余裕が出てくる。遅れが減る。仕事や道に慣れたこともあり、「全く休憩が取れない」という状況から、徐々に休憩が取れるようになった。
そして何より、帰る時間が劇的に早くなったのだ。
20日の出勤日の中で、21時以前に帰れたのはなんと16日! 最も早く退社した時間は、なんと20時30分! 恐ろしい速度だ。まるで韋駄天。20時台に帰れるなんて、なんと素敵だろうか!
そう思うのも無理はない。12月は22時23時が当たり前だった。21時30分に帰って、「今日は早く帰れたよ」と家族にニコニコと報告して、「今日は何でもできるなー」と思っていたくらいだ。その時期に比べたら、21時以前に帰れるなんて天国だし、20時30分はこの会社では本当に早かった。
残念ながら、これ以上早く帰れることはこの先一度もないし、後々地獄に叩き落される。束の間の休息と言ってもよかった。
準備にも慣れてきて、出勤も7時前で間に合うようになっていた。『お祭り』の最終日は出勤6時の退勤23時だった。それに比べれば、出勤7時の退勤20時30分がいかに楽かわかってもらえるだろう。
この天国のような環境はしばらく続く。2ヶ月以上続いた。それどころか、行商に慣れてくると昼休みが取れるようになる。車を走らせながらおにぎりを食べる環境から、車を停めて食べられるようになった。次はおかずもいっしょに食べられるようになる。いつしか、わたしは弁当を持ち込んでお箸を使ってゆっくりと食事を摂るようになった。文明開化である。わたしは箸が使える。
以前のように、パンパンに気を張り詰めないでいい。ある程度は余裕を持っていい。
そんな環境になって気が緩んだのだと思う。
忘れもしない2月14日。全国バレンタインデイ。
わたしは倒れた。
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