【激務の代償】2

 さて。



 雪が降っていようが槍が降っていようが、わたしたちが出社するのは変わりない。



 わたしも普段通りなら、何も考えずに雪道を走っただろう。



 しかし、わたしは体調を崩していた。ご飯をちゃんと食べたところで、いつもより寝たところで、ぜんぜん治らなかった。



 観念して熱を測ると、39,2度。高熱と言っていい。通りでしんどいと思った。



 だが、ここで会社を休むか、と言ったら当然そういうわけにもいかない。その理由はつらつらと書いたが、まぁ結局のところ休む勇気がないだけだ。「休みます」という一言が言えない。だから、どんなに辛くても出社するしかない。



 わたしの営業所でただひとり休んだ人がいると言ったが、その人はきちんと勇気を出して言えたんだろう。それが正しい在り方だと思う。文句を言う人たちがおかしいだけで。


 ロキソニンを胃の中に放り込み、くらくらしながら車に乗る。



 しかし、散々色んなことを書いておいてなんだが、出社するために車を走らせた瞬間、「あ、これ無理だ」と瞬時に悟った。



 雪道は危ない。そんなことは言うまでもないが、危ないからこそ注意して走るわけだ。普段よりも注意深く、物凄く気を付けて、事故がないようにゆっくりゆっくりと走る。周りの車も同じような動きだ。スタッドレスを履いているからと言っても、過信してはいけない。どれだけ注意しても、注意しすぎってことはないだろう。ワンミスで死ぬ環境だ。



 だからこそ、精神的疲労がえげつない。めちゃくちゃ気を張るから死ぬほどしんどい。



 車のシートに深く腰掛け、頭ふらふらでハンドルを握っていると、「あぁこれ多分どっかで死ぬ」と思った。雪は止まらず、視界は悪い。ブレーキひとつに気を遣う。39度以上の熱を出しながら、細心の注意を払って雪道を走るキツさは筆舌に尽くしがたい。


 それに、この状態で接客ができるとはとても思えなかった。



 大雪の中、お客さんを外に出すわけにはいかない。普段ならラッパを聞いたお客さんが外に出て、車の前まで来てくれるわけだが、今日はそれができない。させられない。こちらが玄関まで走り、欲しい商品を聞いて車に戻り、商品とお金を持って玄関まで走る。この一往復。これが辛い。



「お母さん、こんにちは! すみませんねぇ、こんな大雪の日に来ちゃって。さ、今日はどうしましょう! あ、大丈夫です、言ってくれたら僕が商品持ってきますんで、お母さんはここにいてください!」



 天気が悪いし寒いだけあって、これをテンション高くお客さんに伝えないといけない。いやぁ無理だ。死ぬ。


 行商は無理だ。


 早々に諦めたわたしだが、会社を休むんならその場で電話して休むと伝えればいい。だが、それはしなかった。できなかった。休むなら休むで、どうしてもこの日行ってほしいお客さんがいたので、それの引継ぎをしたかったし(社畜の鑑)、ほかに理由もあった。


 とにかく、わたしは会社までは行ったのである。


 よろよろと車を降りて営業所に入ると、「え、大丈夫?」と速攻で声を掛けられる。この時点でだいぶ満身創痍だったので、見て目からしてボロボロだったんだろう。


「実は……、熱が39度超えてまして……」


 そう伝える。我ながら熱が39度ありそうな見た目をしていたと思う。



 それを伝えるとどうなるか。わたし自身も「行商は無理だ」と早々に諦めたわけだが、ほかの人だってそう思うだろう。外はめちゃくちゃ雪が降ってて、39度の熱を出している新人。今から10時間近く車を運転できるか。100人以上の接客ができるか。


 普通の神経の持ち主なら、させられない。


 となると、「今日は無理やろ。もう帰ったら?」「帰った方がええで」となるわけだ。


 この言葉が欲しかった。わたしはこの会社を休む勇気はない。休めない空気の中で、「休みます」と言えない。電話で「熱出ましたー、休みまーす」なんて以ての外だ。だが、人から「帰った方がいい」と言われれば、「あ、じゃあそういうことなら……」とようやく休める。


 休む選択肢を選んでもらえる。


 自分ではその選択肢をとても選べない。


 メールでの「危険だと判断したら自宅待機」と同じだ。自宅待機する選択を与えられているものの、実質は一択。行く一択。行かない、なんて選択肢は最初からない。存在しない。それと同じで、わたしの選択肢に「休む」というものは存在していなかった。


 だから、ほかの人に選んでほしい。そのためにわざわざ会社まで来たのだ。


 しかし。


 そんなわたしの考えはいともあっさりと見抜かれた。



「君もさぁ、社会人なんやから。休む休まんの選択は自分でしなよ。人任せにしない。もう子供やないんやから、行くのか行かんのかは自分で決めな」


 そう先輩に言われてしまった。


 ドッ正論である。ぐうの音も出ない。こちらの浅い考えを読まれて恥ずかしさ溢れる。


 しかし、しかしだ。電車が止まるような大雪の日に、39度の熱出しながら出社した新人に言うにはちょっと辛辣過ぎない……?



 そして何より、そう言われたら選ばざるを得なくなる。自分で選択をしなくてはいけなくなる。



 何度も言うように、こんな会社の環境で「休みます」、なんて言えない。言える空気ではない。だから会社まで来たわけだ。人から言ってもらうために。



 それがないなら、わたしは選ばないといけない。実質一択の選択肢を選ばないといけない。



『行く』という選択しかありえないではないか。


 え、マジ?


 このコンディションで行商行くの? 死にに行くの? ……マジで?


 ……行くしかなかった。


 最悪、本当にやばくなったら田んぼか何かに突っ込んで、気絶しよう……、と思った。(これ割と社畜あるあるだと思うんですけど、いざとなったら大きな事故起こして会社に迷惑かけたれ、って思いません?)



 そうして出発準備を始めたわたしだったが、あとからやってきた所長に「ええから、お前もう帰れ」とあっさり言われ、結局休むことになった。


 とんぼ帰りする。


 寝る。


 この頃になって、ようやくロキソニンが効いてきて、熱が少し下がった。そのおかげですんなりと眠りに落ちることができた。


 寝た。


 寝た。



 物凄く深い眠りで、泥のように眠っていたのだが、夕方くらいに家族に叩き起こされてしまった。病院行って、インフルエンザの検査を受けてこいと言うのだ。もうロキソニンは切れている。再び身体は辛くて仕方がなかったが、インフルエンザを出されると病院に行かざるを得ない。処置は早い方がいい。



 しかし、病院に行きながらも、多分インフルではないよなー、とわたしは思っていた。わたしは三度ほどインフルエンザになったことがあるが、症状が違う。インフルっぽくない。何より、その三回のインフルエンザよりよっぽどこの時の方がしんどくて仕方がなかった。


 待合室でぐったりしているところは、まさしく病人って感じだったと思う。



 結果はやはりインフルエンザではなかった。なんと言われたかもう覚えていないが、病名があれば覚えているだろうから、風邪や疲労とでも言われたんだろう。実際疲労だとは思う。家族からは、今までの疲れが吹き出したんじゃないか、と言われた。


 帰ってまた寝た。眠り続けた。20時間くらい寝たんじゃないだろうか。


 ここまで寝込むなんて小学生以来かもしれない。とにかく眠った。そのおかげで、どうにか翌日には復活することができた。本調子には程遠いが、普通に動ける程度までは快復した。そこから一ヶ月ほど、腹を下し続けるという謎の後遺症が残ったが。


 寝込んだのは金曜日。快復したのは土曜日だったので会社に行くこともない。期せずとも三連休になってしまった。



 そして落ち着いてみると、こうもあっさり休ませてくれたのは意外であった。



 この会社のことだから、休むとなったら社長と問答でもするんじゃないか、と思っていた。


「お前、そんなんで会社休むんか?」「社会人として恥ずかしくないんか?」「ほんまに行けへんのか」「お客様が待っとるのに、お前はそれを裏切るんか」「ほんまに行けへんのか」「ここで頑張ってこそ、お客様に伝えられるものがあるんちゃうんか」」「ほんまに行けへんのか」


 それくらい精神攻撃を喰らって、それでも無理ですと言い続けてようやく休めるものかと。もしくは、「じゃあ土曜日代わりに回れよ」くらい言われてもおかしくないと思っていた。


 どうやらペナルティもなさそうだ。有給はないので(ないってなんだ)欠勤扱いになるが、まぁそれは些細なことだろう。


 そんなふうにのんきに構えていたが、そんなわけがない。ただで休ませるわけがない。


 朝、先輩から電話が掛かってきた。そして、彼はこんなことを言うのだ。



「月曜日の朝に、金曜日行けなかった場所をある程度回っておけよ」



 ……月曜日と金曜日は場所が真逆なのだが……。



 金曜日に売り上げがなかった分、その分月曜日に回収しとけよってことらしい。すげー嫌だったが、逆らえるはずもない。行くしかなかった。



 月曜日、久しぶりに朝6時に出勤して、金曜日のコースを回った。早めに出発したが遅れに遅れ、その日は久しぶりに焦りながら回ることになった。とんだ休み明けだ。こんな面倒なことをするくらいなら、次からは絶対に休まないようにしよう……、と心に誓った。



 幸いだったのは、お客さんに休んだことを詫びると、「いや、あの雪の中来るとは思ってなかったよ」と言ってくれたことだった。

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