【すでに地獄の釜の底】
【すでに地獄の釜の底】
11月。
無事に採用され、わたしは晴れて豆腐屋さんになった。
自宅から一番近い営業所に配属された。わたしを含めて販売員が10人の営業所だ。
試用期間は3ヶ月。研修は1ヶ月半。
最初は先輩といっしょに行商を行う。先輩が行商車を運転し、新人は助手席に座る。お客さんの前にはふたりで出る。ノウハウや道を直接教えてもらう。この期間は1ヶ月。その期間を終えると、ひとりで行商に出ることになる。
この頃はよかった。
朝の準備も、夜の片付けも、先輩と共同作業である。新人だけあって、ある程度まで仕事を終えれば、「もう帰っていいよ」なんて言われる。ほかの人より早く帰れるわけだ。朝もゆっくりでいい。
1週間目。出勤時間は、7時過ぎ。退社時間は、基本は21時、早いと20時である。なんと20時。夜8時である……!
いやほんと。こんな時間に帰れた時期があったかと思うと、何とも言えない気持ちになってくる。残業時間も4時間程度で……、いやまぁ、十分働いてはいるのだが。あとから思うとこの時期は天国であった。
2週間目~4週間目になってくると、準備や片付けをある程度、任されるようになる。出勤時間は6時半過ぎになってくるし、退社時間も22時を超える日が出てくる。それでも20時に帰れる日もあったし、まだまだ元気だったと思う。
問題は、5週目だ。
この週、新人はひとりで行商に出なければならない。準備、片付けもひとりで行わなければならない。独り立ちの準備だ。
ところで皆さんは、道は覚えられるタイプだろうか。
所長は、道を覚えるのが得意な人だった。一度通れば覚えられる、と言っていた。そういう体質らしい。道に迷ったことがないらしく、心の底から羨ましく思ったものだ。
新人は、先輩からコースをもらう。完成したコースを譲ってもらう。なので、新人はそのコース、道を覚えなくてはならない。
たった4回の相乗りで、だ。
道を覚えるのは5コース分。月曜日から金曜日までの計5つ。時間は9時から18~19時分のおよそ9時間から10時間分。客数は120人前後なので、100件以上は家の特徴や場所を覚えなければならない。
50時間以上、500件以上。
……覚えられるだろうか。4回いっしょに車に乗っただけで。
わたしはてんでダメだった。本当ダメダメ。普段から方向音痴がひどく、ナビや地図アプリに頼りきりだ。道を覚えるのが致命的に苦手なのだ。ぜんぜん上手くいかなかった。
いやもちろん、地図はもらえる。ゼンリンの住宅地図のコピーだが……、紙の地図にルートを直接書き込み、お客さんのメモを書き込むという、非常にアナログなものだ。方向音痴に地図を渡して、「はい、この通り行って!」と言われても無理がある。そもそも、自分が今どこにいるかもわからないわけで……。
結局は自分の目で覚えなければ話にならない。地図は保険だ。そうなってくると、スマホのナビもGPSもほとんど役に立たない。スマホにお客さんの家は入っていない。せいぜい、紙の地図と照らし合わせて、自分がどこにいるのかを確認する程度にしか役立たなかった。
とはいえ、努力はした。
土日を使って、そのコースを自分の車で走ったりもした。もらった地図を片手に。一日に回れるルートは限られるので、何日かに分けて。研修時代、土日は常に車を走らせていた。
しかしまぁ、行商車は軽バンなので狭い道もスイスイ走れる。住宅地のえぐいほど小さな道も平気で走る。いや本当に、写真で見てほしいくらいだ。「ここ自転車が通る道やろ……」というような道でも進み、その先にいるお客さんに会いに行く。
わたしの車は普通車だったので、それはまぁバンバン擦った。小さな曲がり角を曲がり切れず、かといって戻ることもできず、「あ、詰んだ」と思ったこともある。(そのときは無理やり擦りながら前進した)
溝にタイヤを落としたこともある。「豆腐屋で溝にタイヤを落とすとか頭文字Dかよ」なんて思いながらJAFを待った。
そういう努力はしたし、地図も穴が開くほど確認したが、結局道を完全に暗記することはできなかった。(というか、所長が特殊すぎるだけで、普通の新人は覚えられないものらしい)
なので、独り立ちのときは大いに迷った。ある程度までは進めても、途中でわからなくなる。正しい道がわからない。現在地がわからない。次のお客さんの家がわからない。わかる道まで戻ったり、地図を広げたり、先輩に電話をして確認したり。もちろん、その間、車は停めているが時間は止まってくれない。
それを繰り返していれば、当然時間は遅れていく。元々、コースの時間設定としては「余計なトラブルが起きず、接客に手間取らず、問題なく進んだ」場合、時間通りになる設定だ。だからガンガン遅れる。後半に関しては、2時間遅れなんてザラだった。昼休みなんて取れるはずなく、おにぎりをかじりながら車を走らせた。昼休みを返上して2時間遅れだ。
これがまぁしんどい。焦るばっかりなのに、焦ったところでどうにもならない。必死で走るしかない。そしてまた迷う。本当にこのときは辛かった。大人になってから、迷子で泣きそうになるとは思わなかった。
そして何よりキツいのは、日が落ちたあとだ。夕方から夜にかけての話である。
あてにできるのは自分のおぼろげな記憶と、そして手元のアナログな地図。しかし、日が落ちると一気に頼りなくなる。
何せ目で記憶しているのは、昼間の景色だ。暗くなると記憶と差異が出てくる。ただでさえ頼りないのに、さらにあやふやになってしまう。
地図も同様だ。暗くて見えない。もちろん、車のルームランプはあるが、これはできるだけ使わないように言われていた。使いすぎるとバッテリーが上がるからだ。
わたしは携帯のライトや電池式のランタンを持ち込んでいたが、上手く見えなかった。
結局、何度かルームランプに頼ることになるのだが……、「できるだけ使うな」と先輩たちが言っていた意味をよーく理解することになる。
バッテリーが上がったのだ。
夜20時を過ぎた頃。2時間遅れ。あと数人のお客さんのところに行けば、ようやく終わる――といったところで、バッテリーが上がった。エンジンがかからなくなった。こうなるとどうしようもない。所長に助けを求めると、「今から行くから待っとけ」という大変申し訳ない展開になってしまった。
住宅街の端の方で、道は広いが車通りがほとんどない場所だった。とても静かで、人の気配も感じない。そして何より寒かった。12月の夜は冷える。かといって車のエンジンはかからないし、車を置いて動くわけにもいかない。暗い車内でガタガタ震えながら待つしかなかった。
このとき、見かねたお客さんが味噌汁を差し入れしてくれた。指が痺れるほど温かった。あのときのお母さんには本当に感謝している。
……あと所長にも。20時といえば、営業所で片付けをしている時間だ。そんな時間に部下から「バッテリー上がって動けましぇん……」なんて言われた日には、もう……、わたしだったら向かう途中で怒りのあまり叫んでいるところだ。
この日の退社時間は23時43分。前日は23時14分。翌日はちょっと早く帰れて22時59分。行商が遅れているうえに、慣れない片付けや売上計算でさらに時間が掛かる。独り立ちしたての頃は、23時がデフォルトの退社時間だった。
この時期に一度、21時30分に帰宅できたときがある。家族に「今日は早く帰れた」と嬉しそうに言っていたのだが、我が事ながら戦慄する。21時半帰宅は別に早くはない。
退社時間は遅いが、出社時間は早い。朝の準備に時間が掛かるからだ。この頃は6時過ぎから6時半の間に出社していた。サービス残業時間ばかりが増えていく。睡眠不足でふらふらになりながら、昼休みも取らずに車を走らせながら、会社に一日17時間捧げていたわけだ。
まぁしかし。
こんなひどい目に遭っても当時は「辞めたい」とは思わなかった。
朝5時にのっそり起きてきて、ファンヒーターの前でもそもそ朝ご飯を食べているとき、
23時に外に洗い物をしにいったら、周りに明かりがないせいで異様なほど綺麗な星空を見たとき、
倉庫の冷たい床に座りながら、23時まで行商車のタイヤ交換をしているとき。
「俺は……、何を……、やっているんだ……?」と正気になりかけたが、退職までは考えなかった。おそらく、先輩たちから「今が一番辛い時期だから頑張れ」「1月になったら暇になるから、今は耐え凌ぎなさい」と言われていたからだろう。
あぁしかし。
むしろ、地獄はここから始まるのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます