【社畜の王】 【豆腐屋さんってどんなお仕事?】
【社畜の王】
わたしがこの会社に入ってしばらくしてから、経営がどえらい傾いたことがある。
その際に社長はある対策を取ったのだが、どんなものか予想できるだろうか。
普通の人が予想する範囲で言えば、例えば、人件費を減らすために残業を失くしたり、人を減らしたり、方々にお金を借りたり。この辺りだろうか。
しかし、もうぜんぜん違う。そんな実直なわけがない。おそらくだが、だれも予想できないと思う。
正解はこう。
・残業代を払わずに、残業時間だけを増やす
これだ。
残業代を払わなければ経費は掛からないし、働かせれば働かせるほど売上は上がる。元手がかからないのに売上だけ増える。デメリットがない。無から有を生み出す必勝の策だ。
社員には、「売上が足りないから仕方がない。お前らの努力が足りないからこうなった。責任を取れ」と責任転嫁してしまえばいい。実際、売上が足りないのは社員が頑張らないからだ。むしろ頑張る理由を与えてやるのが、社長の仕事だろう!
こういう悪魔的発想ができるのが、ウチの社長だった。
実際にわたしたちはこれをやらされている。突然、こんなトンデモナイことを言い出しては、社員を振り回す。これらは『社長の思いつき』と呼ばれ、何か言われるたびにビクついたものだった。
『社長の思いつき』はこれに留まらない。バンバン出る。経営が傾いたときにやらされた対策だけでも、ほかにふたつ、計三つあった。そのふたつも実に素晴らしい。ぜひ読んでもらいたい。
この社長に常識は通用しない。彼こそが会社での法律であり、ルールであり、王様だ。だれもおかしいとは言わない。言えない。これが会社の平常だった。
なぜ、この豆腐屋がブラック企業になったのか。
言わなくてももうわかるだろう。経営者が悪い。いわゆるワンマン社長が好き勝手やっているせいだ。それに社員が従うから、やりたい放題の無法地帯になってしまう。
20代半ばで家族から会社を引き継ぎ、三代目になったのが今の社長だ。製造と卸しのみだったところに、移動販売を取り入れたのもこの社長。彼のおかげで会社は大きくなった。
従業員は100名を超えた。営業所は各地に5ヶ所。会社としては小さいが、県内でだれもが知っている会社になった。
しかし、そのせいで社長は自分の手腕に絶対の自信を持っている。人に指図されるのをひどく嫌う。気に入らないことがあれば怒鳴り散らす。社員全員を見下していた。だというのに、根は小心者。
よくドラマや漫画で、「こんな奴おらんやろ」みたいなパワハラ社長が出てくるだろう。ベッタベタなキャラ。あんな感じ。本当にフィクションの世界から飛び出してきたような人だった。
そして、社長の無茶な要求に社員は従ってしまう。社長がやれ、と言えばやる。どんな無茶なことでもだ。労働基準法も何もない。やるしかないから、やる。王様の命令だからだ。
どんな人間かわかりやすいよう、いくつか語録を記そうと思う。
「お前らは本当に頑張らんな。俺やったら『もっと稼いでやろう!』って思うで。俺はお前らにもっとお金をもらってほしい。なのになんで、頑張らへんの?」
「今年のボーナス? ……お前なぁ。これからみんなで頑張って行こう! って言ってるところやろ。なんでそんな空気読めへんこと言うんや」
「何が有給や、お前権利ばっか主張しよって!」
「俺は仕事で一度も疲れたことがない。なぜなら仕事が楽しいからや。楽しいと思てたら、疲れることはないんや。だから仕事を楽しめ!」
「うちの商品は本来やったら倍の価値がある。本当やったら倍の値段でも売れるわ。でも、そうはせん。つまりめっちゃお得な商品なんや」
「お前今日は先週の売上超えるまで帰ってくんなよ」
こんな感じ。少しでも伝わったなら嬉しい。
【豆腐屋さんってどんなお仕事?】
しかし、この会社がブラックだブラックだ、残業時間が110時間越えだ、と言っても伝わりづらいかもしれない。
わたしもそうだったが、豆腐屋の移動販売がここまで長時間労働だとはとても思えないのだ。夕方になると、よくお客さんから「あんたもう仕事終わり?」と訊かれたし、何なら午前中に「これ終わったら帰りやろ?」と言われることもあった。それぐらい想像しづらい。拘束時間が長いだけで、実はあんまり仕事してないんじゃないの? なんて思う人もいるかもしれない。ぶっ飛ばすぞ。
忙しいのは、単純に行商時間が長いためだ。そして、準備と後片付けに時間が掛かるから。
出勤してくるのは、大体7時前後。そこから9時まで準備をしたあと、営業所を出発。18時~19時まで行商。そこから営業所に帰って、片付けと売上報告。終わるのは21時~と言った感じである。
外にいる時間が長い。そのせいで、「休憩している時間が長いんじゃないの?」と思われるかもしれない。実際、言われたこともある。すげーむかつく。
だがまぁ、これは人による。
例えば、昼休憩。わたしは不真面目なので、仕事に慣れたあとは意地でも1時間取るようにしていた。「こんだけ働いてんだから、昼くらいちゃんと休憩してもええやろ!」ってことで。ちなみによくない。ほかの先輩がそんなに取ってないからだ。もしバレたら袋叩きだと思う。
ほかの先輩はどれほどか。
研修中は先輩の行商についていく。だから、その人の休憩パターンがわかるわけだが。
所長の場合。昼休憩、30分。本人曰く、「俺は昼休憩はゆっくり取る」。ほかの休憩はトイレ休憩くらい。
先輩の場合。昼休憩、10分。田んぼ道で急に車を停め、「今から昼ご飯食べるから! 10分で食べて!」って言われたときは何事かと思った。タバコ兼トイレ休憩が10分×2。
ほかの人もこんなもんだろう。
例外としては、売上トップの先輩。その人だけは昼休憩を1時間取っていた。まぁ売上がトップなら何をやっても許される。逆に言えば、売上がない我々に人権なんてないのである。
わたしの平均残業時間、110時間は休憩時間1時間で計算している。ド新人時代はトイレ休憩くらいしか取れなかったし、後々、休憩時間は1時間30分で計算しなおす羽目になるのだが……、まぁこれは誤差の範囲だろう。
参考までに、わたしの豆腐屋での一日を詳しく書こうと思う。
読まなくても問題はないので、飛ばして頂いても構わない。
改めて復習しておくと、わたしたちは月曜日~金曜日、回る地域はほとんど固定化されている。
同じ曜日、同じ時間に行商を行うことで、毎週同じお客さんを拾い続ける。ルート販売。9割がリピーター、残り1割が新規ってところだろうか。
このルートをいかに時間通りに走れるか、お客さんを落とさないか。それが何より重要視される仕事である。
・午前7時 出勤
時期によって出勤時間は変わってくるし、仕事の慣れ次第で変化する。わたしの場合は大体7時前後だった。ド新人のときは6時30分前後。
ちなみに始業時間は8時30分である。始業とはいったい。
・午前7時~9時 朝の準備
豆腐が工場から届いているので、それを行商車に積み入れる。積み込む豆腐は150~200丁くらい。それに加え、油揚げ、がんも、厚揚げ、その他もろもろを箱に詰めて車の中へ。
豆腐が3種類、油揚げ3種類、がんも3種類、厚揚げが2種類。ひとつひとつ専用の箱に入れて、ディプレイを整える。量がまぁ多い。積み込みにとにかく時間が掛かる。
あとは備品の補充やレイアウトの変更などの細々とした作業。試食も行う。日によっては洗車も行う。
それに朝礼を加えると、あっという間に出発時間になってしまう。わたしの場合は9時前後だ。
ちなみにここでトラブルが起こると、一日の予定が総崩れなので緊張感が常に付きまとう。車のトラブル、会社からの突然の指示、品物が届かない、社長の来訪、など。朝から「もう終わりや」って気分になる。
8時25分から朝礼。始業時間が8時30分なのに、朝礼が8時25分からという矛盾ロケットスタート。
・午前9時~12時 出発・行商
9時に営業所を出発。
その日に回る地域に車を走らせる。わたしの場合は、大体30分から40分くらいで着く。ひとりになれる上に運転しているだけなので、ほっと一息をつける瞬間である。
目的地についたら、行商を開始する。
ちなみに朝は踏ん張りどころ。朝はお客さんが多いし、滞在率も高い。売上も多い。遅れないようにしながら、お客さんの元に向かう。
ここで遅れると、自分の昼休みから補てんするしかないので、わたしの場合は本当に必死で走っていた。
・午後12時~13時 昼休み
日によって違うが、大体この時間に休憩時間を取る。わたしの場合は1時間。
遅れた分は昼休みで補てんするしかない。ド新人の頃は遅れまくりで、昼休憩なんて全く取れなかった。おにぎり片手に走っていたくらいだ。仕事に慣れるにつれ、おにぎりが弁当になり、休憩時間が10分から20分、30分と増えていった。
昼休憩は1時間でも忙しない。10分で弁当をかっこみ、5分で豆腐の発注を行い、あとは寝る。寝る。慢性的な睡眠不足であったために、2分もあれば熟睡だ。昼休憩時の仮眠が生命線だった、とほんとに今でも思う。なかったら多分死んでる。
起きたら栄養ドリンクを一本飲んでから、昼の仕事に赴く。
・午後13時~16時 昼から夕方までの行商
冷える時間帯。朝や夕方に比べるとガクンと客数が減る。家から家への移動時間が延びる。売上も相応に下がるので、テンションが沈みがち。まだまだ帰れない、という事実に苦しみながら働く。時間帯としては一番クソ。
・午後16時~19時前後 行商ラストスパート
夕方は稼ぎ時。なので必死に走る。客数、売上ともに多い。
ここで遅れると、そのまま帰宅が遅くなるのでそれこそ必死。パンパンに詰め込んだコースを焦りながら走る。常に時計を見ている時間帯。ちょっとしたことで最高にキレやすい。もちろん客前ではニコニコしているが、車内で一番ブチキレている時間帯である。
17時を越えてから大通りに出ると、帰宅ラッシュで渋滞が凄い。「こんなにも早く帰れる人がいると思うと、死ぬほど憎らしい」と先輩が言っていたが、わたしの場合は逆の感想だった。「こんなにもたくさんの人が定時で帰れるなんて、素晴らしいことじゃないか!」。
夕暮れから夜へと景色が変わる。すっかり暗くなった道を走っていると、何となく心が寒くなってくる。
・午後19時~20時 行商終了
行商を終えて、営業所に帰る時間帯。もうひと踏ん張りで帰れるので、心は幾ばくか穏やかである。
・午後20時~23時 帰社・片付け
営業所に戻り、片付けを行う。洗い物。在庫の管理。豆腐等の廃棄。売上集計。
帰ったらまず商品を冷蔵庫に仕舞う。在庫を確認し、日報に記入していく。
事務所に戻って売上の計算。売上金をまとめる。毎日、売上金は銀行の夜間金庫に持っていくのだが、お金が合ってないとめちゃくちゃ怒られるので、全員で何度もチェックする。
売上を計算したあとは、データをパソコンに打ち込んで本社に送る。
ちなみにこのときに使用する会社サーバー、死ぬほど貧弱なのでめちゃくちゃ重い。信じられないほど重い。数人が同時にアクセスするだけで、落ちそうになる。たまに落ちる。入力が完了しないと帰れないので、殺意を抱きながら変わらない画面を眺めることになる。本当に遅い。
サーバーが落ちて帰れないということも多々あったので、すごくピリピリしている。
売上集計のあとは片付け。
商品を入れていた箱を洗う。商品の補充や車の点検を行う。当番の人は掃除もする。
それらが終われば、やっと退社だ。何事もなければ21時過ぎには会社を出られるが、残念ながらそうじゃないときも多い。
車やサーバーのトラブル、商品関係の問題、当番の仕事、わけわからん会議、もしくはそもそも営業所に帰るのが遅いと、退社時間はどんどん伸びる。全員車通勤で終電もないため、いくらでも会社に残れた。
特に社長がやってくると必ず説教を始めるので、いつまで経っても帰れない。
一番遅かった日は、24時55分だ。この日は確か、わけわからん会議だったと思う。
まぁこんな感じだ。これがこの会社の平凡な一日である。
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