第19話 あきらめない
オズワルドから受け取ったものを、モリーが鼻歌を歌いながらテーブルに並べていく。白身魚に衣をつけてあげたフライ、数種類の野菜を串にさして焼いた焼き野菜、ひき肉と野菜を包んだパイ、フォカッチャに似た小ぶりのパン。
どれも素朴な定番料理で、モリーの大好物ばかりだ。休日には少しずつ食べ歩いているらしく、昨日オズワルドに「おいしい屋台を教えていた」のだと胸を張っているのが微笑ましい。
「保温魔法もかけてもらってるんですね。店長、ほっかほっかですよ。おいしそう」
「ええ、本当ね」
彼女には内緒にしているけれど、普段節約をしているグレースは、屋台料理は贅沢品のように思えてほとんど食べたことがない。庶民価格だと分かっているし、数回市場調査のつもりで食べたことはあるけれど、いつも食事はさりげなく、できるだけあり合わせで済ませてきたのだ。
(食事を減らしてることがモリーにばれると怒られちゃうし)
ここしばらくはオズワルドと共に食事をしているためか、最近グレースの顔色がいいとモリーがご機嫌だ。たぶん理由はわかっていないだろうけれど。
(ちゃんと食事をしていることもだけど、やっぱり嬉しい気持ちが表に出ちゃうものなのかしら。ちょっと恥ずかしい)
誰にも気づかれてはいけないから、この気持ちだけは綺麗に隠す。絶対隠しきる。
モリーからするとオズワルドはかなり年配の男性扱いだから、グレースの本心になど気づいていないことは幸いだ。
(もちろん一番気づかれてはいけないのは、オズワルドさん)
最近ぐっと距離が近づいたように感じ、そばにいると気持ちがどんどん大きくなってしまう。それでもこれは期限が決まっている自由だから。――グレースは許される限り、心の中に秘めた気持ちを大事にしようと思った。
「レディ・グレース」
低くやわらかなオズワルドの声に、グレースの胸の奥がぱくんとはねる。
今日のオズワルドは、整えた髪をわざと崩したような無造作な雰囲気があり、それが妙にグレースの胸を騒がせる。食前用に、店では出さない紅茶を入れていたグレースが返事をすると、オズワルドは手のひらよりも少し大きな箱を差し出した。
「オズワルドさん、これは?」
「開けてみてください」
テーブルに置かれた箱は固い紙製だ。流通しているとはいえ、ここでの紙は高級品。それだけでその辺で手軽に手に入るものではないと分かる。
グレースは不思議に思いつつ、どこか楽しそうなオズワルドをちらりと見て、箱のリボンをほどいた。
「わぁ。チョコレート」
中に入っていたのは九つに区切られたスペースに、つやつやとしたさいころ型のチョコレートだった。
「最近一部で話題になっている、ミルクチョコレートと言うものだそうです。この艶が今までにないものらしくて。さっき、たまたま手に入ったんで持ってきたんですよ」
食べてほしいと微笑んでくれるオズワルドに、グレースは「嬉しいです」と素直に礼を言った。
一見、とても質素にも見える飾り気のないチョコレートだ。でもグレースにはこれが、とても手間をかけられたものであることがよくわかった。少なくともこのあたりの市場では、まず見ることができないレベルのものだと思う。彼はたまたまなんて言っていたけれど、相当手を尽くして手に入れてくれたのだろう。
心がこもったプレゼントに、このまま時が止まればいいと思うほど幸せな気持ちになった。
「きれいですね。食べるのがもったいないくらい」
「いや、そこは遠慮なく食べてください」
「ふふっ。では食事の後、みんなで頂きましょう」
にぎやかな食卓だった。
モリーが身振り手振りで今日の出来事を話し、オズワルドが律儀に相槌を打つ。
ビバルが役に立ったかと聞かれ、「はい、とっても」とグレースが答えると、少しすねたようにみえたのはきっと気のせい。
楽しい時間はあっという間で、食後のコーヒーを飲み終えてオズワルドが立ち上がると、思わず引き留めたくなってしまった。
「また明日、レディ・グレース、モリーさん」
「はい、オズワルドさん、ごちそうさまでした」
「おやすみなさい」
彼が帰り、後片付けの後モリーが引き上げると、グレースは夕方届いた手紙を改めて読み返した。
差出人は実家の弁護士レッサムだ。
内容は前回帰省した時、美古都の記憶から借り換えというワードを思い出し、それについて相談をした回答だった。利子の少ない機関からお金を借りて、タナーから借金を返すことはできるか――。
レッサムの答えはノーだった。
借金を返すことだけが目的なら可能だ。しかし、父親の借金をその方法で返すと、今爵位を継いでいるリチャードが爵位を放棄したとみなされるという。
『大変申し上げにくいのですが、完済は諦めることを考えたほうがよろしいかもしれません』
白髪の優しい風貌のレッサムが、申し訳なさそうに身を縮める姿が思い浮かぶ。
(どうしたらいいの)
利益を増やすために店を拡大するにも、今のグレースにその余裕はない。
今までのように少しずつ地道に売り上げを伸ばしていく。投資を見極める。それしかできない。
仕込みの時間を夜中にして、昼から夜の間はクレープの販売をしようか。
それとも領地の特産品の売り込みについて、もっと何かできないか考えるべきか。
帰省してタナーに会ったとき、彼に握られた二の腕を思わずさする。
何でもないような風情で胸元に伸びてきた手はかわしたものの、その手はグレースの二の腕を愛撫するかのよう触れてきた。グレースは、表現しようのない不快さで吐き気を催したのを、必死で隠すので精いっぱいだったが、タナーが耳元で「ますます美しくなりましたな」という、ひびの入ったような声が今も聞こえてくるような気がした。
もしあの時、真っ青な顔をしたリチャードが彼から引き離してくれなかったら……。
そう思うと、全身がぶるりと大きく震える。
(まだあきらめない。絶対あきらめない。私があきらめたら、悲しむ人がいる)
自分のためだけではないから頑張れる。頑張らなくちゃいけない。
かすかにチョコの香りが残る箱を丁寧に胸に抱き、グレースは込み上げる嗚咽をぐっとこらえた。
「大丈夫。ぜったいできる。頑張ろう!」
しかし、そんな誓いを打ち砕くような嵐が来たのは、それから間もなくのことだった。
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