第20話 モリー①
その日、モリーはキッチンカウンターの陰でガタガタ震えていた。グレースから
「モリー隠れて。絶対に見つかってはダメよ。何があっても音を立てないで」
と厳しく指示されているため、口元を抑えて悲鳴をあげまいと懸命に歯を食いしばる。
グレースは今、ガラの悪い男達の相手をしていた。あれは金貸しタナーのところの奴らだ!
(お嬢様、お嬢様!)
本来こちらが主を守らなければならない立場にもかかわらず、モリーは怯え、ただグレースの言いつけを守って隠れていることしかできない。
グレースは風変わりなお嬢様だ。
モリーは代々伯爵家で働かせてもらっている家系なので小さい頃からグレースを知っているのだが、お仕えするお嬢様でありながら姉のように親しい存在でもあった。
以前は体が弱く顔を真っ青にして寝込むことが多かったが、いつも笑顔で使用人にも優しい。中でもモリーはグレースより二歳年下のせいか、随分可愛がられたと自負している。
だから事故で旦那様が亡くなったあと、懸命に行動するお嬢様についていくことはごく自然なことだった。今までの儚い雰囲気から一転したのも興味深く、ますます大好きになった。
「ご両親と引き離してしまってごめんなさい。お給金はできるだけ頑張るし、あなたの嫁入り先も探すから安心してね」
「何をおっしゃいます、グレース様。あたしはただ、面白そうだからついてきてるんですよ」
絶対について行くのだと言い張ったのはモリーのほうなのに、自分一人では無理だったから助かるとモリーに頭を下げたグレース。それにもビックリだったが、面白そうだと思ったのも本当だ。実際お嬢様の側にいると面白いものがたくさん見られる。王都に来て世界が一気に広がったと思うのだ。
このカフェを開くために、ソリス家のコックに頭を下げて料理の手ほどきを受けていたお嬢様。その真剣な姿勢に皆が刺激された。
はじめはたどたどしい手つきだったのに、目覚ましい勢いで料理を覚えたかと思えば、今度は新しい料理をどんどん生み出す。その姿は、コックが
「ご令嬢にしておくのはもったいな――ごほん、いや、さすがグレース様だ」
と絶賛するほどだった。グレースに家事の手ほどきを頼まれた、家事長をしている母も同じだ。使用人の仕事をとる雇い主は疎まれる。それは十分理解していると母を説得したグレースは、表には見せないようこっそり家事を教わっていたという。
「あの真摯な姿勢! 手本として他のメイドに見せてやりたいくらいだわ。あれだけ家事に精通していらっしゃるなら、どこへ嫁いでも使用人に寄り添った采配ができるでしょうね」
遠い目をしていた母は、モリーは覚えていない亡くなった奥様に思いを馳せているようだった。
くるくると笑顔で働きながら、時間があれば、モリーにも読み書きや計算を教えてくれるお嬢様。
これほど尊重されている使用人なんて、この国では自分だけに違いない!
(なのに今、あたしは何もできない)
店にはグレース一人しかいないと思っているのだろう。男たちからモリーを隠してくれてるグレースは、耳が聞くのを拒否するような卑猥な言葉を投げられている。下卑た笑いにモリーの全身が粟立った。
(ウソだ。借金が返せなかったら、あのお嬢様が娼婦にさせられる⁈)
それも時間の問題なのだから自分たちの相手をしろと下卑た笑いが響く。
(カフェはとても人気なのに? 旦那様はどれだけ大きな借金をこさえたの?)
開店前だから帰ってくれと、冷静な声のお嬢様に涙が出てきた。
(動け、あたし。グレース様を守るんだ!)
絶対見つかってはいけないと命令された。
めったにない厳しい口調での、グレースからはほぼ初めてと言えるくらいの強い命令だ。それを破ることに心の一部が抵抗するけれど、ほかの部分はグレースを助けたくて、でも怖くてわけがわからなくなる。
(お願い、あたしの体、動いて)
こわばった体を動かし物陰からどうにか店を見ると、男の一人がグレースの腰に手を回した。そのまま尻をつかむように乱暴に引き寄せたかと思うと、男が唇をお嬢様の唇に押し当てた。
ひっとモリーが息を飲むのと、グレースが男に平手打ちをしたのは同時だった。
次の瞬間、激高した男にグレースは文字通り殴り飛ばされ、テーブルやいすを倒しながら倒れた。
(グレース様!)
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