第17話 クレープ
六日後。
普段なら休業日であるカフェの外に屋台が設置された。開店前に仮営業で使っていたものだ。黒板状のA型ボードにはチョークでクレープの絵が描かれている。
「やっぱりモリーは絵が上手だわ。三色しか色を使ってないのに、どうしてこんなに色彩豊かに描けるのかしら。天才ね!」
絵が全くと言っていいほど描けないグレースが手放しに絶賛すると、モリーは顔を真っ赤にしながら照れた。彼女が小さく首を振ると、おさげにしている赤毛がしっぽのように左右に揺れる。その様子が小型の犬のようで、その可愛らしさにグレースは心の中でこっそり身もだえた。
(可愛い! 本当に可愛い! 照れてるモリーの可愛さはサイコーね)
心の中で何度も可愛いを繰り返すグレースの前で、モリーは頬の熱を冷ますかのようにパタパタと手を振った。
「もう、店長ってば誉めすぎですぅ。クレープがとってもおいしかったから、できるだけそれが伝わるようにって描いただけですよ」
店長とはグレースのことだ。外ではグレースのことを、「お嬢さま」や「グレース様」と呼ぶことを禁じているためだ。でも一般的な「おかみさん」や「亭主」ではグレースに似合わない。モリーが散々考えた結果、この呼び方ににおちついた。
グレースとしては、まるで大きなお店の店主のようだと思ったけれど、ほかにピンとくるものがないということで了承したものだった。
クレープを作ろうと思い立った次の日。
昼と夜の間の仕込み時間を使って、モリーとオズワルド、それからピアツェとマロンにクレープの試食をしてもらった。
生地の材料は簡単なものだ。
薄力粉と牛乳と卵、それに砂糖が入る。
美古都の一番上の姉が得意だったレシピを必死に思い出し、数回試した。存外早く思い描いていたものに近いものができたので、それにホイップした代替クリームを包み、ティユという葉でくるりと巻く。
ティユは日本でいう笹みたいなもので、殺菌効果がある扇形の葉だ。サンドイッチや焼き栗を包むのによく使われるそれは、乾燥させると無臭になる。色も黄色にうっすら緑色が縞になったように見えるため、クレープの包み紙としてもぴったりだと思い、迷わず採用した。
(何より安価で手に入りやすいもの。しかも見た目は思った以上に、本当に、間違いなく、クレープ屋さんのクレープだわ!)
心の中でガッツポーズをとりつつも、皆の反応をうかがう。
クリームだけのシンプルなクレープだが、初めて食べるのはどうだろう。
最初に「おいしい」と、幸せそうににっこり笑ったのはモリーだ。
次に、早々に完食したマロンが同意するようにこくこくと頷く。
その後上品にクレープを食べ終えたオズワルドが、顎を撫でながらゆっくりと頷いた。
「これは新しい食べ物ですね。同じクレープだけど、クレープともケーキとも違うものだ」
そして称賛するようにグレースを見て、「おいしいです。さすがレディ・グレースだ」と微笑んだ。
「恐れ入ります、オズワルドさん。――ピアツェさんはどう?」
じっくり吟味している様子のピアツェにグレースが問うと、彼女は少しだけ沈黙した後、「これは立ってでも食べられるんだね?」と、逆に問い返す。グレースが肯定すると、彼女はニヤリと笑った。
「いいね。でもグレース。あんたが考えてるのはこれだけじゃあないんだろ?」
「ええ、もちろん。他にも味を変えたものがあるのよ」
グレースは、あらかじめ用意していた味見用の小さなクレープ生地を運んできた。
「これは春から秋にかけて仕込んできたジャムを塗ったもの。果物の酸味とクリームの相性は抜群よ」
イチゴやマーマレードなど、季節季節で大量に仕込んで保存しておくのは、ここでは当たり前のことだ。いくらここでは保冷庫が使えると言っても、そのあたりは毎年モリーがきっちり仕込んでくれる。母親仕込みだというモリーのジャムづくりは、グレースよりずっと上手だ。
そうやって試食や調整をし、今日は久々にカフェの屋台販売で人々の反応を確かめる。せっかくの休養日をつぶすなんてと、なぜか皆に半分説教のような雰囲気で反対されたが、(善は急げというしね?)と考えるグレースは、
「昼間だけにします」
と約束して強引に押し切ってしまった。
昼過ぎとはいえ冬とは思えない気持ちの良い陽気のせいか、思ったよりも人通りが多い。
そんななか、めずらしくレディ・グレースが屋台を出したと、準備中からちらほらと様子を見に来る人が出てきた。それを見てモリーも、「少し宣伝してきます」と広場のほうへ歩いて行った。
グレースは手際よくクレープの準備を終えると、たたんでいた看板を広げた。開店の合図だ。ただし、クレープという名前と、看板に書かれた見慣れぬ絵に、客はこちらの様子をうかがっているらしく誰も近づいてこない。それでもグレースがクレープを焼き始めると、マロンが代替クリームの製造者である義弟オウリとその妻を連れてやってきた。
「あの、すみません。このたびはなんだか母が無理を言ったみたいで」
まさかこんな若い娘だと思わなかったと呟いたオウリは、申し訳なさそうに妻と何度も頭を下げた。
「いいえ、とんでもない。とてもおいしいクリームですもの。うちでもぜひ取り扱いと考えてるんですよ」
「本当ですか⁉」
「ええ、もちろん。ですのでこれは、うちのためでもありますね」
茶目っ気たっぷりに笑うグレースに安堵したのか、オウリは財布を取り出して二人分のクレープを注文した。
「クリームだけのと、――イチゴジャム入りを」
ふたりでサクラになる気なのか、それとも単純にクレープが気になるのか。興味津々なことを隠せない顔のオウリ夫妻に、グレースは愛想よく頷いた。
「はい、クリームだけとイチゴジャム入りですね。コーヒーはどうされますか?」
普段はめったにしないけれど、大量に淹れたコーヒーも保温機能を施した大きなポットに準備している。外で飲む温かいコーヒーも格別だ。
「ああ、ここはコーヒーが飲めるんですね。俺、コーヒー好きなんですよ。砂糖たっぷりで二杯お願いします」
甘いコーヒーとクレープをもってベンチコーナーに移動したオウリたちは、まわりから注目されていることに気づいて居心地悪そうにしていたが、やがて恐る恐るといった感じでクレープを一口かじって目を丸くした。
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