第12話 フレンチトースト

 カフェ「レディ・グレース」の営業時間は基本昼と夕の二回に分かれているが、開店から一年ちょっと経った頃から、週に二回だけ朝も一時間だけ開店することになった。


 理由は簡単。

 パンの仕入れ先であるバージから、売れ残ったパンについて相談を受けたこと。

 ほぼ同じころ近所の常連客から、「食事は軽いものでいいから、週に二度、朝も営業してもらえないか」と相談を受けたことがきっかけだった。


 人を増やせない中、掃除や仕込みなどを考えると営業時間を増やすのは厳しいものがあったが、グレースは快く引き受けたのだ。


 ***


 慌ただしいモーニングタイムが間もなく終わろうとする頃。

 チリンと可愛いベルの音が客の来訪を告げた。


「すみません、モーニングはもう――――ピアツェさん!」


 せっかくの客だが、人数によってはお断りをするつもりで口を開いたグレースは、扉の前に立っている大柄な老婦人を見てパッと顔を輝かせた。

 年配の女性にしては背が高い。黒に近い茶のドレスの大柄な女性ピアツェは、グレースを受け止めるかのように、杖を持ったまま両手を広げて見せた。


「グレース! グレースッ! さあさあ、このピアツェにその可愛い顔を見せとくれ!」


 よく通るその声に客らが何事かと振り返るが、常連客のほとんどが彼女の姿を見ると何事もなかったかのように、もしくはクスッと笑いながら食事に戻った。

 最近はとんとご無沙汰だったが、ピアツェも常連客の一人であり、この店に牛乳などを卸している農場主であることを皆知っているからだ。


「ピアツェさん、ご無沙汰してます。南部に行っていると聞いてました。いつお帰りに? お元気でしたか?」


 矢継ぎ早に尋ねるグレースをピアツェはむぎゅっと抱きしめ、面白そうに軽やかな笑い声をあげた。


「そんなに一度に聞かれても答えられないよ、お嬢ちゃん。どれどれ、顔を見せなさい。――うんうん、今日もべっぴんさんだね。ただちょいと瘦せすぎだ。もう少し肉をつけないとね。せっかく可愛いんだからさ」


 ピアツェの言葉に何人かの客が賛同するように小さく頷くが、グレースはそれに気づかず、クスクス笑いながら彼女をいつもの席に案内した。ピアツェの指定席はカウンターの右端だ。


「すまないね、グレース。本当はもう少し早く着く予定だったんだけど、マロンがグズグズしてるもんだから遅くなっちまった」


 マロンは彼女の息子の嫁で、いつも製品を届けてくれる青年ミルトの母親だ。


「気にしないで。ピアツェさんならいつでも歓迎よ。あら、そういえばマロンさんは?」

「一緒に来てるよ。まだ手が離せないから、あたしだけ先にこっちに来たんだ。あとで迎えに来るよ」

「そうなのね」


 足が少し不自由なピアツェは、春先に風邪をこじらせた後、療養を兼ねて南部にいる息子のもとに行っていると聞いていた。とはいえミルトいわく、「療養と言っったって、どうせ叔父さんがしっかりやってるか監視しに行ったんじゃないかな」だそうだが。


「じゃあピアツェさん。今日は朝食をとりに来られたってことでいいのかしら。それとも甘いコーヒーだけにする?」

「ふふん、なんのために急いできたと思ってるんだい。もちろんミルクたーっぷりのカフェオレとフレンチトースト! ――まだ、あるよね?」


 勢いよく注文した後心配になったらしいピアツェに、グレースは大丈夫だと請け合い可愛くウィンクして見せた。


「フレンチトーストはあと一人前で終わりだったのよ。さすが、間がいいわ」


 グレースが最初驚いたのは、飲み物にミルクを入れるという発想が全くなかったことだった。このあたりではコーヒーはブラックか砂糖をたっぷり入れるかのどちらかが普通。

 そのためグレースがカフェオレを始めたときは気味悪がっていた客もいたが、取引を始めたばかりのピアツェはミルク入りのコーヒーを非常に喜び、気に入ってくれた。

 彼女はグレースが何の気なしに低温殺菌の方法を教えたことで牛乳の販路が広がったこともあり、グレースのことを血のつながらない孫扱いしている(最初は本気でミルトの嫁にしようと思ってたらしい。しかし彼には結婚を約束した彼女がいて、しぶしぶ諦めたと後に聞いた)。



 新規の客が来ないよう閉店の札をかけた後、グレースは卵液に付け込んだパンを保冷庫から取り出した。それをあたためたフライパンにバター引いて焼き初め、カフェオレの準備をする。

 大きめのカップに入れたカフェオレと、焼けたフレンチトーストを食べやすいよう一口大にして皿に盛り付ける。それにシロップを添えて出すと、ピアツェは子供のように頬を緩めた。


 シロップは砂糖を煮詰めて作ったものだ。

 この世界の砂糖は前世の白砂糖とは少し違い、はちみつやメープルシロップを混ぜたようなコクのある味がする。

 柔らかなフレンチトーストにたっぷりシロップをかけたピアツェは、一切れ口に放り込むと、夢を見るようにうっとりと微笑んだ。


「そうそう。これだよ、これ。このフレンチトーストが食べたくてね。息子のところにいても夢にまで見るようになっちまったから、急いで帰ってきたのさ」


 一口二口と夢中で食べるピアツェに、グレースはクスっと笑った。作り方は教えているので、彼女は家でも食べてるはずなのだ。


「いやいや、笑い事じゃないよ、グレース。同じ材料を使って、教えてもらった通りに作っても、あんたほどおいしく作れる人はいないんだ。―――ああ、本当においしい。帰ってきてよかったねぇ」


「ほんとね。お義母かあさん、何度作ってもこれじゃない、これじゃないって言ってたものね」


 満足そうなピアツェのもとに、少し呆れたような、それでいて楽しそうな表情のマロンがやってきた。小柄なマロンは大きな荷物を空いている椅子に置くと、ピアツェの手元を見て小さく喉を鳴らした。


「ああ、やっぱりおいしそう。レディ・グレース。私にもフレンチトーストを……え、もうないの?」

 わくわくした声のマロンに、グレースは頭を下げた。


「すみません。それが最後だったんです」

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