第7話 救世主
あれから三年。
十日に一度の休日と年に二回領地に帰る以外、グレースは早朝から深夜まで働き続けた。
定期的な休日を作ったのは主にモリーのため。グレース自身はその日を使って新商品の開発や市場調査などに費やした。定期的に領地に戻るのもそちらで仕事があるからだが、モリーには内緒だ。
(モリ―みたいに若い女の子が働きづめなんて、ぜったいダメからね)
自分もまだ二十一歳ということを完全に棚に上げたグレースは、休日を楽しむモリーを通して青春を味わっていた。最近ボーイフレンドができたらしいモリーの様子に、つい頬が緩んでしまう。
「モリーの花嫁姿を見たら泣いてしまうかもしれないわ」
微笑みながらも思わず本音を漏らしたグレースに、モリーは真っ赤になりながら「気が早いです」と手を振った。
「それに私は、グレース様がお嫁に行くまで絶対結婚なんてしませんよ?」
「あら、それは困ったわね。一日でも早く完済するための目標が増えたわ」
頬に手を当て、こてんと首を傾げたグレースは、頭の中で残りの日数と借金の額を思い浮かべる。頑張っても頑張っても減らない数字に内心唇をかみしめても、けっして
(絶対モリーには、笑顔でお嫁にいってもらうんだから)
カフェは繁盛していた。
客たちは店とは言え貴族の邸宅に入ることを面白がったし、珍しいものに目がない気質も手伝って店は繁盛している。
気楽に、しかも他よりおいしいコーヒーが飲めると言ってくれる客は少なくない。
食事もこの国に馴染みのあるものから少しずつ増やしていった。ここではフォカッチャのようなパンや、おかゆのような米料理が主流だったが、今ではグレースが作るサンドイッチやピラフなど、日本でも作っていたメニューが受け入れられていた。
一般的に貴族の食事でも、ただ茹でたりオーブンでドカンと焼く料理が多い中、グレースの作る煮込みハンバーグやコーンスープはこっそりやって来る上流階級のお客様にも人気商品だ。
中でもポテトサラダは出す日を予告してほしいと言われるほど好評だし、前世でカフェ飯と呼んでいた一皿盛りのメニューも、月に一度のお楽しみとして受け入れられている。
新聞に公告を出す予算などないから、はじめはリフォームをしてくれた業者の方とその家族や友人を招いて、「これから出すメニュー」だとコーヒーと食事を振舞った。彼らの口コミで徐々に客足が伸びた。
教育機関は上流階級のものであるため、中流以下の人々の識字率は低い。それを実感したグレースが、モリーにメニューのイラストを描いてもらったのも効果があったと思う。前世では普通だった写真入りのメニューに近いそれのおかげか、「実はこのカフェのおかげで少し字を覚えたんだよ」とこっそり教えてくれるお客様もいた。
客の要望を受けてカフェで販売を始めたナプキンやランチョンマットも、今ではソリスの特産品として王都内で、それから徐々に他領に受け入れ始めていると、弟のリチャードから嬉しい便りも届いた。
それでも初めは、令嬢と同じ名前ということにしているグレースに向かって皮肉気に名前を呼ぶ客もいた。
本物の令嬢だとは夢にも思ってないだろうが、なぜか完全に見下し、道化の役割を給仕をするグレースに求めたのだ。
世間の給仕同様、尻や胸を触ろうとする客をかわすのはお手の物だが、そんな扱いを受けて傷つかないわけではない。
それでも毎日笑顔で働いていたある日、グレースにとっての救世主が現れた。
「レディ・グレース」
常連客のオズワルドが、冷やかしではない口調でそう呼びはじめたのだ。
オズワルドは近所で働いているらしい男性だ。ぼさぼさの濃い茶色の髪にうっすら色のついたやぼったい眼鏡をかけた姿は、彼を相当老けさせて見せている(モリーは彼を四十代以上だと思ってたらしい)。でも普段の会話や肌の艶を見れば、彼がまだ三十になるかどうかの年らしいことが分かった。
お昼や残業後に立ち寄ってくれていた彼がグレースを呼ぶと、まるで本物の貴婦人を呼ぶような敬いを感じられた。
グレースは尊敬すべき丁寧に扱うべき女性なのだと、彼はごく普通の態度で表してくれ、徐々にそれは他の客にも広がっていったのだ。
開店から三年たった今では以前のような少し荒れた空気は皆無で、客たちも温かい雰囲気を作ることに協力している、そんな店になった。
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