第23話 キャロルとリーア

 グレースは目を覚ますと、そこが自分のベッドであることに気づきギョッとした。


「お店!」


 窓の外はもう夕刻の色合いだ。慌てて身を起こすと後頭部がズキリと痛む。手を当ててみると包帯を巻かれていることが分かった。

 何が起こったのか思い出せないままベッドから足をおろしかけた時、キャロルが水差しをもって部屋に入ってきてた。


「キャロルさん? え、どうしてここに……」

「レディ・グレース。目が覚めましたか?」


 ニコニコしているキャロルを見て、グレースはあらためて周囲をぐるりと見まわす。

 間違いなくここは自分の部屋だ。表の玄関は防犯上閉鎖しているため、この部屋に入るには店の奥の階段を上がるしかない。

 混乱しているグレースを安心させるように、キャロルがにっこりと微笑んだ。


「驚かれましたよね。叔父様に頼まれて看病に来ていたんです」

「叔父様、ですか?」

「はい。オズワルドが私の叔父です」

「ああ、そうでしたの。存じませんでした」


 思っても見なかった関係に目を見開く。

 その瞬間、昼間の出来事を思い出した。

 「あ……」と小さく呟いたグレースに、キャロルは店のことを心配しているのだと思ったのだろう。なぜか、えっへんとでもいうように大きく胸を張った。


「大丈夫! お店は開けてますよ。叔父が呼んだ助っ人が、モリーさんの指示でしっかり働いてますから心配しないで」


 面倒をかけた上に、オズワルドにそこまでさせてしまったことに衝撃を受け、グレースはどっと落ち込んだ。

 グレースがかたくなにお店を開けることにこだわっていたせいで、人まで手配してくれるなんて。


(全く覚えていないけれど、まさかとは思うけど、ここまで運んでくれたのももしかして……?)


 赤くなっていいものか青くなるべきか。

 散々迷惑をかけているのに、オズワルドにお姫様抱っこされたのかと考えただけで、はしたない悲鳴をあげそうになった。


(私、どうして覚えてないの。い、いえいえ、そうじゃないわ。そうじゃないんだけど)


 混乱しすぎて頭がショートしそうだ。正直、確認する勇気はない。


 気を取り直してこっそりカフェをのぞくと、店で働いてくれているのは皆、オズワルドとよく来てくれる常連客たちだった。

 後ろからキャロルが、「ね。心配いりませんでしたでしょ?」と自慢げに笑う。

 キッチンは魔石併用でモリーも使えるし、基本作り置きできるメニューが中心になっているとはいえ、あまりにも通常のように見えるカフェの様子に呆然とした。


「あ、あの、お給金は、はずみます」


 混乱した頭でどうにかグレースなりに正解と思われる言葉を漏らしたものの、キャロルはコロコロと笑い、「給金など貰ったら、むしろ彼らの首が飛びますわ」などと物騒なことを言う。


「ねえ、レディ・グレース。元気になったらむしろ、美味しいコーヒーと食事を振舞ってやってくださいませ。この前のクレープならなお大喜びですよ。もちろん私もです」


 キャロルの弾むような口調に、グレースは涙がにじむのを我慢しながらこくこくと頷いた。


「喜んで。ええ、喜んで振舞わせてもらいます」


 こっそりのぞいていることに気づいたらしいモリーに(上に戻ってください)とジェスチャーで叱られ、グレースたちは部屋に戻った。


「そういえばオズワルドさんは」


 まだまともに礼も伝えてないが店にはいなかった。仕事中だろうか。


「叔父様は仕事で、しばらく王都を留守にするんです。それで私が代わりに」


 そもそも大の男が独身の女性についているわけにもいきませんしねと、キャロルは可愛らしく、ふふっと笑う。

 あの時彼はそのことを伝えに来ていたのかもしれないと思い、グレースは寂しく思いながら微笑んだ。


「帰っていらしたら、たくさん謝らないといけませんね」

「え、どうして謝るんですか?」

「ご迷惑をおかけしましたから」


 当たり前のことを言ったつもりが、キャロルはそれでなくても大きな目をさらに見開いた。目がこぼれないか心配になるほどだ。


「むしろそこは、ニッコリ笑ってありがとうと言ったほうが喜ぶと思いますわ」


 そりゃあ、キャロルのような十五歳の美少女だったらそうだろう。


 曖昧に微笑むグレースの側にキャロルは椅子を持ってくると、そこに座ってズイッと身を乗り出した。


「レディ・グレース?」

「はい」

「恋人はいらっしゃるの? もしくは結婚を約束されてる方とか」


 予想外の質問に、今度はグレースが目を見開く番だ。


「いえ、まさか。いません」

「そう? よかったぁ」


 語尾にハートがつくように弾むキャロルの声。突然どうしたというのだろう?


「それじゃあ、金髪はお好き?」

「特に好きでも嫌いでもないです」

「じゃあじゃあ、冷たくて怖~いアイスブルーの目なんてどう? 目つきが悪いせいで怖いお顔とか」


 アイスブルーの目で思い浮かぶのはオズワルドだが、彼の目は優しいし、綺麗で温かい。だからキャロルの言う人物が誰を指しているのかさっぱりわからず、グレースは首を傾げた。


「さあ、どうでしょう。見てみないことには何とも言えませんが、アイスブルーの目は綺麗だと思います」


 その答えにキャロルは「まあ」と頬を染めた。


「あのね、グレースさんは今二十一歳でしょう」

「はい」

「叔父様はね、二十八歳なの。驚いた?」

「いえ、それくらいかと薄々思ってました」

「ええ、残念。驚く顔が見られると思ったのに」


 本気で残念がっているキャロルが可愛くて微笑むと、ココンとドアがノックされ、彼女の母親であるリーアが、「はいはい、そこまで」と言いながら入ってきた。


「怪我人を休ませなきゃダメじゃないか」


 そんなことを言いながらも、リーアの目には笑いが滲んでいる。


「勝手に入ってきてすまなかったね。モリーには許可をもらったんだけど」

「いえ、とんでもないです。ありがとうございます」


 まるで騎士のように凛々しいリーアに頭を下げると、慈愛にあふれた顔で「怖かったね」と言われ、ふいに涙が浮かぶ。

 怖かった。そう、震えるのを必死でこらえなければならないほど怖かった。

 しっかりしよう、頑張ろう戦おうと思っていたのに、周りの人たちの優しさに胸が震える。一人で立つことが難しくなりそうで困ってしまう。


 怖くないと強がっても、リーアたちは分かっているという風に微笑むだけだ。しかも、「しばらく護衛に何人か寄こすよ」と言われ慌てて首を振り、傷が痛んでうめいた。


「そんなに頭を振るから。大丈夫、女性だけにするけど、腕っぷしの強いのを厳選するから」

「でもそんな」


 確かに夜は怖い。あの男たちがまた来るかもしれない。でもそこまでしてもらう理由はないのだ。


「あー、レディ・グレース。この話はもう少し後にするつもりだったんだけど、これは礼の一つだと思ってくれ」


 リーアの言葉に戸惑う。


「あなたの考案した下着でキャロルは元気になっただろう。あれを私は今度事業展開するつもりなんだ」

「まあ!」


 新たなランジェリーショップが生まれることにグレースは顔を輝かせた。

 自然に健康な体をサポートする柔らかいコルセットや、体に合うブラやショーツ。それが簡単に手に入れば、世の女性たちに喜ばれるに違いない!


「だからこれから、色々なアイデアを提供してもらうことへの前払いってことでどうかな?」


 リーアがいたずらっぽい顔で右手を差し出すので、グレースはにっこり笑ってその手を握り返した。


「ではお言葉に甘えます。ありがとう、リーアさん!」

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