第22話 告げられない気持ち

 傷を押さえやすいようにだろう。オズワルドがグレースの頭を抱え込むように自分の胸に押し当てる。まるで抱擁されているような体勢だが、グレースは(罰が当たったんだ)と震えた。


 夕食を一緒に食べるようになってから二週間ちょっと。

 一時的な仕事であるはずのその時間が、今ではグレースの一番幸せなひと時になっていた。


  ――ある日食事中の何気ない会話から、彼はグレースに食事をとらせるために、こうやって来てくれるのでは? ということに気付いてしまった。でも気付かないふりで、これは仕事だと自分に言い訳をした。

 一日の終わりに三人で食事をすると嬉しかったから。幸せだったから……。


 でもそんな幸せを感じてはいけなかった。

 恋をする資格などないのだから、誰かに気付かれてしまう危険を冒してはいけなかった。

 浮かれていたから、タナーがあんな男たちを送り込んできたのかもしれない。


 期限内に借金の完済をすることは無理だ。あきらめたほうがいい。

 顧問弁護士の言葉が大きくのしかかって来る。


(でも娼婦なんて嫌!)


 愛人どころか、グレースを事業に利用する娼婦にしようと考えてることを知って震えが止まらない。男たちの卑猥な言葉の数々に、嫌らしいジェスチャーに、文字通りグレースの目の前が暗くなった。

 ねちゃりとした男の唇の感触を思い出し、ごしごしと乱暴にこする。

 自分が汚れたと思った。どうしようもなく汚い存在になってしまった。

 そう思うからオズワルドから離れようとするのに、彼は離してくれない。


「グレース、よしなさい。そんなにこするから血が出てしまったじゃないですか」


 悲しそうな目をして、指でグレースの唇をぬぐう。その優しい感触に胸が震えた。


 優しくしないでほしいと思うのに、今までで一番近い距離にあるオズワルドから目が離せない。焼き付けるように見つめていたグレースは、初めて見た眼鏡なしの彼の目がとても美しいアイスブルーだということに気づき、しばし見惚れた。


(綺麗な目……)


 冬の青い月や澄んだ湖を思わせる美しい目だと思った。その目に自分が映っていることに気づき、グレースの胸が切り裂かれたように痛む。

 こんな綺麗な目に見られる資格なんてない……。


「グレース……」

 オズワルドのかすれた声に、グレースは両手で彼を押した。

「離して……。汚れて、しまいます」


 どうにか言葉を絞り出すものの、「汚れたりしませんよ」と再び額を胸に押し当てられた。そのまま傷を圧迫してくれるので、小さく嘆息し、抵抗するのを諦めた。

 遠慮がちに背中に回された大きな手に縋ってしまいそうで、息をひそめて目を閉じる。彼の背に手をまわしたい衝動をこらえて、かわりに彼のジャケットの端をそっと掴んだ。

 ショックのせいか、またもや目の前がだんだん暗くなっていく。今更ながら後頭部がずきずき痛み始めた。それでも彼の腕の中は暖かくて、ほっとした。


 借金のせいでこんな目に遭っているのに、彼に会えたのは借金があったから。それだけは幸運だと思える自分の身勝手さに涙が出た。この胸の中にいれば安全だと思ってしまう。これはただの応急処置なのに。彼を面倒ごとに巻き込んでしまっただけなのに。


「オズワルドさん、ごめんなさい」

「グレース?」


(ごめんなさい。あなたが好きです……大好きです)


 声には出せない想いを心の中で告げ、そのままグレースは意識を失った。


 ***


「レディ・グレース?」


 ふっと力の抜けたようにもたれかかってきたグレースに声をかけたオズワルドは、彼女が意識を失ったことに気づいた。


「……すみません、失礼します」


 頭の傷を確認し、彼女を自らの膝の上に乗せて抱えなおす。傷は思ったほど大きくないが二か所に裂傷があった。頭部の傷は出血が多くなる。モリーが医者を連れてくるまで、このまま圧迫していた方がいいだろう。

 魔力も使って傷の具合をはかってみたが、頭の傷は打ったものではなく、何かとがったもので切れたものだと思われた。肩や足にも打撲があるようだが、数日休めば大丈夫だろう。


 王の実子とはいえ、諸事情から王子の称号を持たなかったオズワルドだが、それでも魔力量は国で一、二を争う。普段はそれほど恩恵を感じるものではないが、今日に限っては自分の出自に少しだけ感謝した。


 グレースに伝えることがあって訪れたのだが、倒れていたグレースを見て血の気が引いた。常ならば考えられないことだったが、彼女以外のものが何も見えなくなったのだ。

 状況から見慣れぬ男たちが原因であることも、ましてやそれが客でないこともわかった。

 普段剣は持ち歩いていないが、そんなものがなくてもあの程度なら一瞬で制圧できる。


(後悔させてやる!)


 そう考えた瞬間グレースに止められた。

 従いたくはなかったが、その気丈さと気高さに感銘を受け、オズワルドは男達をいったん見逃したのだ。もちろん許す気はない。


 腕の中にいるグレースは、想像よりも小さく感じられた。力を加えれば壊れてしまうのではないか。そんな風に不安になるほど華奢であることに改めて気づく。


(守ってあげられたらいいのに)


 オズワルドの中で、その気持ちが徐々に膨らんでいく。それは心の奥で抑えていた何かを超えてしまったように感じ、天を仰いで大きく息をついた。それに名前を付けるのは恐ろしかった。




 モリーが連れてきた女医は知人であったため、グレースを抱くオズワルドを見て一瞬眉をあげたが、それには何も触れずてきぱきと処置してくれた。


 その間にオズワルドは姉に事情を話し、看病に誰かよこしてほしいと頼んでおく。女性同士のほうがいいだろうと思ったのだが、これでまたからかわれることになっても甘んじて受けよう。

 店のほうの手伝いも声をかけた以上に人が集まったので、しばらくは問題ないだろう。


「グレース。僕はしばらく留守にします。本当は話してから行くつもりでしたが、詳しいことは帰ってから話します」


 すやすやと眠るグレースに声をかけたオズワルドに、姉のリーアことエミリアがニヤリと笑う。


「しっかりな」

「わかってます」

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