3の雪 鏡写しのバケモノ
ステラが、戻っていない。
アストレイアもヘレーも、コロニスもフィラデルフィア孤児院に戻っていない。
孤児院に急いで戻ったが、誰も帰っていなかった。
けれど、ステラ達が戻っていないことを知ったエステルとメルク、それとなぜかパーシアスが飛び出していったらしい。それも、ちょうど俺と入れ違いに。
孤児院に残っていた子供達から居場所を聞き出し、メルク達が向かった先を聞き出す。
フィラデルフィア孤児院から南へ走り、帝都管理区域の境界近く、孤児院の子供たちが天体観測に使うニコラスの広場がある。そこにステラ達が来ていると判断したらしい。
新月の夜になれば、満点の夜空が見えるニコラスの広場は、けれど星が見えない昼だとただの休憩所だ。そんなところでステラ達が何を始めるのか、分かったものじゃない。
レダから貰った図書館の本を片手に、ニコラスの広場へ向かう道を一直線に走る。
真正面から来る風が俺の行く先に立ちはだかり、水を吸った粘土が整備された街路向きの靴を執拗に掴んでくる。
けれど、地面を蹴る足は止まらず、身体は風を押し返す。
(二度と失うか、これ以上、家族を失うなんて――――!)
頭の中で鳴り響く警報を振り払うように、足を走らせる。
けれど、時間はかからなかった。行く先を隠していた巨木の間を何十回も抜けていくと、山道の先に光が差し込んでいる。その光の中、3つの人影が立ち、そのうちの1人は金色の髪が風に靡いている。
「パーシアス、エステル……!」
「やめろっ、そいつを呼び出すな――――!」
名前を呼ぶよりも先に、聞き慣れた怒声が森に木霊する。
森を抜け、エステルとパーシアスの間を抜ける。二人は、呆気に取られているが気にしていられない。
「メルク、何があった!」
「なっ、アル……!」
メルクがなぜ俺がここにいるのか分からないと言わんばかりに目を見開いていたが、メルクの隣に立った時には言い返すことなんて忘れてしまった。
普段なら、静寂が座るニコラスの広場。
しかし、広場中央に集まった4人の少女を中心に、空気がいびつに震えていた。
「ステラッ、様子が変っすヨ……!」
「一度やめよう、なんだかヤバイ!」
4人の少女達のうち、栗色の瞳を空を見上げるコロニスと、黒のショートヘアを恐怖で揺らしたヘレーがステラに叫ぶ。
けれど、コロニス達から少し離れたところで本を開いているステラには、コロニス達の悲鳴は届かない。
「でも、もう最終段階に入っているし、これで式もあっているはず……!」
よく見れば、周りに配置されている丸太の上には何冊もの本や紙の束が積み上げられ、巻き起こる風に嫌な羽ばたきを鳴らす。
嫌な予感がしてたまらない。メルクの叫びを無視して、俺は中央にいるステラ達に突進する。その後ろで、エステルも駆け出している。
「お前ら、何やってんだよ!!」
「えっ、アルファルドにエステル……?!」
俺の叫びに気が付いたアストレイアが、薄灰色の目を大きく見開く。
同じくギョッとなったコロニスとヘレーが顔を上げるが、一番変化が大きかったのはやはりステラだった。
もう手の届くところまで近づいている俺達の姿に、一瞬ステラの顏から感情が消え、次の瞬間には口がパクパクと動き出す。手にしていた分厚い本が、ステラの小さな手から離れる。
「エステル、なんであんたが……!」
「お前らこそ、ここで何をやってんだ! ここにあるものは何なんだ!」
ステラ達に囲まれるように地面に置かれた本が奇妙な文字の羅列を見せつけ、中央に置かれた真っ黒な箱が不気味な音を立てている。
その言葉や箱が何を意味しているか分からないが、間違いなく人が手に触れてはいけないものだと直感で理解した。
「アルファルドさん、近づかないで!」
そんなものをどこから引っ張り出したのか、俺が問い詰めようと一歩踏み出した瞬間、コロニスとヘレーが俺の身体を押しとどめる。
アストレイアもまた、硬直しているエステルの隙を突いて後ろから羽交い締めにした。
「エステル、なんでここに来た! あんたは、孤児院にずっといるはずじゃあ!」
「ステラの様子が変だから来たのに!」
アストレイアの腕の中で、エステルが嵐のように暴れる。しかし、ほとんど抱き着いているに近いアストレイアは、信じられないまでにエステルを離そうとしない。
俺もコロニスとヘレーを蹴飛ばしてでもステラの方に近づこうとするが、2人共泥のように俺の足に絡みついて離れない。
それは、一瞬の出来事。けれど、俺とエステルの足が一歩も踏み出すこともなく、目と鼻の先にいたステラが突然、胸を抱えて蹲った。
「うっ……!」
「ステラッ!」
「まずい……!」
地面に膝をついたステラに近づこうとするも、俺の足に絡まったコロニス達の力がさらに強くなる。足元を見下ろせば、コロニス達は何故か焦りに満ちていた。
「コロニス、ヘレー! 何が起きてる!」
「お願いだから、早く逃げてッス! アルファルドの兄ちゃん、ステラからなるべく遠くに! 早くしないと……」
顔を上げたヘレーに、俺は言葉を失ってしまう。
目尻から涙が零れ落ち、琥珀色の瞳がカタカタと震えたヘレーの顔は、蒼白そのものだった。
「スカーレットがアルファルドを殺しちゃう!」
けれど、その言葉の意味を呑み込んだ時には、すべてが遅かった。
蹲っていたステラが、ゆらりと身を起こす。けれど、まるで火が消えた後に立ち上った煙のように、ステラの身体に生気がなくなっている。
一瞬動きが止まった俺達は、しばらく様子を窺う。エステルは、ステラを凝視したが、アストレイア達は凍り付いたようにその場から動けずにいる。
「ステラ……?」
「よっし、成功だ……!」
エステルが恐る恐る問いかける手前、両手をじっと見ていたステラが何かを呟く。
その顔を上げた時、ぐにゃりと歪んだ笑みを見た瞬間、俺は目の前にいる少女を、ステラだと思わなかった。
「12年ぶりの身体だ――――!」
叫ぶなり、高らかに笑いを上げる少女。ステラの身体をしているのに、自分達の知っているステラとまるで違う。
まるで、別の誰かに身体を乗っ取られたように、タガが外れた笑いを上げるその者に、エステルは言葉を失ってしまう。
頭の中が真っ白になりながらも、俺はなんとかして言葉を喉から引っ張り出す。
「お前、誰だよ……?」
俺の問いかけが届いたのか、笑いを止めた少女が、首を回してこちらに視線を向ける。ステラと同じ藍色の瞳なのに、瞳の奥に宿る光は、闇夜の捕食者のものと同じだった。
「ああ……、悪かったな。俺自身が、ここに来るとは思わなんだ。まさか、レダのところからここまで来るとは」
(俺自身が……? こいつは……!)
少女の言葉に、妙な引っ掛かりがある。けれど、確認する間もなく「だが」と言葉を続けた少女の出す殺気が、全身の毛を逆立てていく。
「寝起きの準備体操には、うってつけだ」
ニヤリと浮かべた少女――否、ステラの形をした何かが、胸の前で手を合わせる。それは、まるで祈りを捧げるように見えて、
「再転――アルファルド・ファンデフカ」
それが、始まりだった。
何処からともなく顕現した炎が、ステラの身体を包み込む。俺達がアッと声を上げる間もなく、炎はすぐき消え去った。
けれど、次に現れたその者の姿を見て、今度こそ思考が停止してしまう。
地面を踏む身体は、12歳の少女のものではなく、15歳の青年のものに。
風に靡く髪は、麦畑のような金色ではなく、秋の紅葉のような山吹色に。
俺達を睨む瞳は、夜の空のような藍色から、空を映し出す海のようなエメラルドフリーンに。
「う、ウソでしょ……!」
隣で腰を抜かしたエステルが、交互に俺と目の前に現れた男の顔を見比べる。
アストレイア達も、俺やエステルを止めることすら忘れ、男の顏から視線を外せずにいる。
けれど、何故エステルが俺と顔を見比べているのか、アストレイア達がなぜ動けないのか、聞く必要なんてない。だって、目の前にいるその者の顏なんて、俺が毎朝鏡で出会っているのだから。
「お前なら、俺のことを何と呼んでいるか知っているだろ? アルファルド・フィラデルフィア?」
間違いない。今、目の前で俺を見下ろしているのは、俺自身。
そして、その者の名前を、俺は知らないわけがない。
「ドッペルゲンガー……!」
鏡写しのバケモノが、俺を見下ろしていた。
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