2の雪 スカーレットが呼んでいる

 天高く昇った太陽の真下、血を帯びた凶刃が振り下ろされる。

 危うく陽光で目がくらみかけたが、足で身体を捌いて斬撃をかわし、カウンターで剣の持ち主の顔面に拳を叩き込んで気絶させる。白目を剥いた襲撃者が地面に倒れるが、一息もつけない。


「このっ……、悪魔がぁ!」


 振り返れば、エステルの頭と同じサイズはあろうメイスを振りかぶった男。雄叫びと血走った眼が、獣そのものだ。

 無論、獣の形相に違わず、攻撃も単純かつ直線的だ。


「どっちが悪魔だよ」


 メイスが振り降ろされる直前を狙い、男の鳩尾に右手にもつ鞘を叩き込む。

 一瞬だけ男の動きが止まり、しかし、気絶までは至らずにすぐさまメイスを振り下ろす。けれど、鞘で突き放され、俺の身体がメイスの間合いにいないことに気付かない。

 左手に握りしめた軍刀を振り上げ、迫るメイスの柄を切り飛ばした。宙を飛んでいくメイスの棍棒にギョッとなる男だったが、もう理解する時間も与えない。


「これで〆だ」


 間髪入れずに、鞘を握りしめた拳を男の顔面に叩き込んだ。

 グルリと目を回した男が背中から倒れ込み、四肢を投げたまま動かなくなる。この状態だと、半日は夢の中を彷徨っていることだろう。


「ったく、相変わらずデタラメな強さだな。武装した六人の傭兵をお前だけでのしちゃうなんて」

「ただの偶然だ。こいつらが正気だったら、俺一人で対処できてたかどうか」


 剣を鞘に納めていると、すぐに帝都警備隊の同僚アクベンスが笑みを浮かべながら声をかけてきた。大通りで伸びていた6人の襲撃者たちは、既に展開していた帝都警備隊の手で捕縛されている。このままこの地区の管轄の警備局支部に連行されるだろう。


「それにしても、一体何なんだ? 所かまわずお前を襲撃してくるんだ、それも2週間ぶっ続けで」


 哀れな襲撃者達を眺めながら、頭を掻いたアクベンスが俺の疑問を代弁した。

 そう、この襲撃は今に始まったことではない。2週間前、俺の勤めている帝都警備隊の巡回中に襲撃を受けたのが始まり。

 最初こそ警備隊への報復か何かと思っていた。、異常な毎日の始まりだったと気付いた時には、警備隊支給の軍刀を外せない日が続いていた。


「それで、なんで俺が襲撃さ」

「依然不明。襲撃したことすら覚えていないか、いまだ錯乱状態。おかげで支部の留置所は、お前のファンクラブの集会所だ」


 イヤなファンクラブだ。おそらく今日もまた、この襲撃者の件も含めて支部は大忙しだろう。下手に近づけば、頭が痛くなるような書類のサイン会の開催だ。


「……悪い、取り調べは別の日にやってくれないか? 俺は調査で国立中央図書館の第一分館に籠ってるよ。調べ物があるし」

「あー、問題ないって。この事件の担当さんも、アルファルドには後でも大丈夫だって言ってるから」


「お、俺を心配してくれるのか?」とわずかに笑みをこぼしたが、アクベンスの返答は底意地の悪い笑みだった。


「お前の顏と話は、もううんざりだとよ」


 聞かなきゃよかった。頭の中で全力で事件の担当係に謝りながら、踵を返して第一分館のある方向へと足を運ぶ。

 遠巻きに見ていた民衆が羨望の眼差しで俺を見ていたが、大多数の人間の気配なんて俺にはどうでもいい。


「……フカ、お前さえいなければ俺は……!」


 最初に倒した傭兵がもう目を覚ましたのか、歯を剥き出しにしてうめく。ともすれば俺を噛み殺しかねない怨嗟の声が、俺の背後から襲ってくる。

 まるで、俺ではない誰かと俺を重ね、それが自分の未来であるように。

 俺は、その幻から逃れるように歩みを早めた。


 ● / ○


「……そうですか、ステラとエステルが」


 図書館の片隅に並ぶ本棚の間、本が山積みになったカートを押すレダ・ホーキングが、俺が話した昨日の一件を憂いた。

 エステルやステラよりも色は薄いが、ヒマワリのように陽光を浴びたブロンドの髪は艶やかに肩の下まで流れていて、濃い灰色の瞳が俺の不安を隠せない横顔を覗き込む。


「昨日だけじゃないんだ。エステルが一緒に遊ばないか誘っているんだけど、ステラはアストレイア達と図書館で勉強ばかりやってな。レダもよく見てるだろ?」


 カートに乗せられた本を元の本棚に戻す手伝いをしながら、俺は言葉を続ける。寂しげな笑みを浮かべながらも、レダだったら安らぎが得られる。

 襲撃からそのまま国立中央図書館第一分館にたどり着いた俺は、司書補佐だったレダと合流していた。騒ぎが分館に届いていなかったのが幸いで、レダはここ最近の襲撃を心配してくれたけど、今日の件については話さずに済んだ。

 おかげで、昨日の孤児院の一件について深く相談できる。幼なじみのレダだからこその安心感だが、分館の司書達が色めきだっているのは後でどうにかするしかない。


「ほぼ毎日会っています。ステラさんとアストレイアさん……、それとヘレーさんにコロニスさんですね。確か4人とも、一緒の部屋だと思いますが」

「そうだ、どうもステラが同じ部屋になったアストレイア達を誘って勉強会をやってるみたいでな。ただ、昨日みたいにエステルの誘いに喧嘩腰で断ってるところが心配でな」


 自分の背丈より一回り大きい本棚に挟まれて、俺の溜め息が木霊する。すぐさまレダが華奢な人差し指で口に当てたのを見て、二度目の溜め息を呑み込んだ。


「急いでるのではないですか? もうそろそろ、孤児院を出るのですから」

「……かもな。あいつの頭なら、地方貴族の当主でも務められるだろ。前に中央貴族の子供達も参加した教育局主催の官僚登用予備試験、あいつ次席だったから」

「あの時、ステラより下の席だった貴族の子弟方の怒り様といったら、もう……」


 レダが手を抑えて笑いをこらえているけど、あの後の騒動と言ったら面倒でしかなかった。俺が仕事のパイプで色々頭を下げなければ、孤児院に嫌がらせに出る貴族がいてもおかしくなかったのだから。


 帝都南部の郊外に建つフィラデルフィア孤児院は、12歳までは4人1組の部屋で寝起きをする決まりになっている。大抵は、養子に出されるか、自分の力でどこかの宿舎を借りて生計を立てる。

 例外的に、実の兄弟がいるアルファルドや将来孤児院の運営に係る仕事に就くメルクみたいな子供は、成人年齢の15歳まで個別の部屋を借りて生活することができる。

 けれど、大半の子供は10歳ぐらいから将来設計を立て始める。ステラが帝国を動かす中央官僚のために勉強に躍起になっているのも、そんな事情からだ。


(そういえば、1年前の部屋替えの時は、ステラがどうしてもアストレイア達と同じ部屋にしたいって騒いでたな)


 今回の予備試験では、ステラ以外にもアストレイア達が受験した。結果はコロニスとヘレーは落第、ステラ以外ではアストレイアが合格した。

 部屋替えの時に一緒になりたかったのは、もしかしたら予備試験受験のためだったかもしれない。


「……今日は、ステラさんの姿は見ていませんね。いつもだったら、あのあたりの机にステラ達が座っているはずなのに」


 本棚に返却された本を戻しながら、レダがチラリと奥の方に目を見やる。確か奥の方には、読書用の机が並んでいたはず。


「そうか? 今日も孤児院を朝一で出ていったぞ」

「変ですね……、それならもう来てもいいはずですが。カウンターに戻って、司書長さんに聞いてきます」


 多くの本が載せられたカートを置いて、レダが本棚の向こうに消えていく。

 置いてけぼりにされた俺は、ゆっくりとカートに手を置く。まだ擦れていない本の背表紙に刷られたタイトルが、俺の視界に飛び込んできた。


『ファンデフカ侯爵家興亡記』

『ファンデフカの虐殺における帝国軍・反乱軍の動向』

『ファンデフカ一族の証言―なぜ帝国の名家は滅んだか―』


 ファンデフカ。その言葉を聞くたびに、俺は咄嗟に胸を鷲掴みにしたくなる。


 エステルとステラ、そして俺アルファルド。俺達は、血のつながった兄弟だ。

 正確に言えば、俺とステラが母親が同じで、エステルは母の姉の娘、つまり従妹だ。

 けれど、今は俺達の母親は、この世にはいない。父親も、親戚も、誰も。

 12年前に起きた、ファンデフカの虐殺で殺されたのだから。


 まだ4歳になったばかりだから、うっすらとしか覚えていない。

 肌を食うような灼熱と、耳の奥まで張り付いた怒号と悲鳴だけ。

 当時生まれたばかりだったエステルとステラを抱えて、時計の中に押し込まれていたらしく、帝国の救援隊に助けられたのだ。

 その後、なんやかんやあって俺達3人は、帝都貴族が共同で設立したフィラデルフィア孤児院に入った。既に入っていたメルクや、時折遊びに来ていたレダと知り合ったのは、その時からだ。


 以来、俺はエステルやメルクが行き倒れないように、帝都中央で働いている。

 いつか、俺達三兄妹が平和に暮らせるために、ファンデフカを再興するために――。


「アル、ステラはまだ来ていないって。でも、この本が」


 カウンターから戻って来たレダが、眉をハの字にして駆け寄った。

 けれど、それ以上に気になるのは、レダの胸に抱えられた一冊の本。


「……俺、本なんて取り寄せしてないんだけど」

「昨日、司書長さんがステラから預かったと。お兄さんアルが来たら、この本をアルに渡してくださいって……!」


 息を切らしてレダが渡した本は、何処にでもある研究書。埃が被っているところを見ると、ほとんどの人が見なかった証拠だ。

 けれど、その表紙を目にしたとき、息をすることを一瞬忘れてしまった。




『ドッペルゲンガー伝説の考察』




 昨日もメルクが口にしていた、鏡写しのバケモノ。

 胸のざわめきに動かされるままに、アルファルドはレダから本を奪い取って開く。

 捲るページは、すぐに分かった。分厚い本の間にいくつも紙が挟み込まれていた。開いたページから、本を拾い上げる。


『神聖スフィア帝国……このままだと崩壊?』

『アストレイア・ヘレー・コロニス……結末を変える』

『フィラデルフィア孤児院のみんな……悲劇を止める』


 内容は全く理解できないが、間違いなくステラの文字。

 けれど、崩壊とか悲劇とか、少なくとも12歳の少女が示す言葉の割には、血の臭いがぷんぷんしていた。

 そして、巻末のページを開くと、1枚の畳まれた紙が挟み込まれている。震える指先で紙を取り出し、


『スカーレットが呼んでいる』


 スカーレットとは、何のことだ? 呼んでいるっていうことは、名前だろう。けれど、スカーレットなんて人は孤児院にはいない。

 首を傾げたが、紙を裏返しにしたときには、そんな疑問は頭から吹き飛んでいた。

 他の紙に書かれていた文字とは違う、その文字だけ力が込められていて、




『エステルが死なない方法』




 脳裏に、エステルの寂し毛な瞳と、何かを噛みしめたようなステラの横顔を思いだした俺は、本を抱えたまま走り出した。


「アル、何処に行くのですか!」


 後ろから追いかけるレダの声にも、奇異な視線を向ける司書職員や利用者なんて頭から忘れて、ひたすらに地面の足を蹴る。

 頭の中で、高々と警報が鳴り響く。


「エステルとステラが危ない……!」

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