第四章 強さに軋む拳 #4
「……」
ホラーゲームの追手クリーチャーよろしく、だらりと下げた二本の戦斧を引き摺りながら、中村田が歩いてきた。二人が近づくにつれて、周りから生徒の気配が消えていく。沈む船から鼠が大挙として逃げ出すように。
海瀬も、中村田に向けて歩を進める。
「……お前の願いは何なんだ」
「俺の願い……」
中村田は海瀬をしつこく睨みつけながら、答えた。
「強くあることだ」
海瀬は戸惑ったように進む足を止めかけたが、持ち直して問いを重ねた。
「質問を変える。どうやったら、中村田の望みは叶うんだ」
「当然」
中村田はやおら床を踏みしめ、戦斧を大きく取り回して毅然と構えると、咽喉限界ボイスで高々と言い放った。
「戦いだ!」
「あーくそ、話をしようぜ!」
海瀬は太刀を一振りし、構えを取る。その姿を見るや中村田は床を蹴り、一気に速度を上げた。海瀬もそれに合わせて、歩幅を広げていく。
二人の距離が一気に縮む。その交点にて、猛然と邁進してきた中村田へと、海瀬は正面から斬りかかった。
中村田は、振り下ろされた太刀に真っ向から突っ込み、真っ向から斬られた。
「は?」
「ぐっ……」
中村田は驚いたように斬られた箇所を抑え、後ろへとよろめく。海瀬は困惑しつつ、二撃目を加える。これまた胴にあっさりと入った。
「ぐおおおお……」
やめろ馬鹿、と言わんばかりに戦斧を縦に振る。海瀬は横に跳んで避けた。
「天井が見えてきたのか……」
『いや……多分、さっき機能棟から落ちた時のエネルギーが海瀬の身体に充填されててるんだ』
「なるほど。対等に戦えるのは、それが尽きるまでってか……」
徹底して中村田は落下エネルギーに弱いらしい。海瀬は戦える気になった。
「どうした、中村田。痛むか?」
「クッソォォォォ!」
中村田の咆哮と共に、もう一本の斧が横に薙がれる。
海瀬は垂直に跳んでそれを躱すと、宙に浮きながら太刀で中村田の横面を切りつける。
「ヴッ」
「効いてるな!」
姿勢が崩れたことをいいことに、海瀬は続々と攻撃を仕掛けていく。いかに俊敏すぎるとはいっても、巨大な戦斧を片手で扱っているのだ。手数はこちらが有利だ。その手応えに背中を押されるように、海瀬は職人のような丁寧さで中村田を攻撃していく。
中村田の方も、決して大人しくやられているわけではなく、何度も戦斧で追い払おうと試みているのだが、海瀬の戦闘センスがそれを許さない。すぐに先回りされ、封じ込められる。
「く、くく、く」
中村田の白い肌が、日に焼けるようにみるみる赤くなり、血管の筋が生々しく隆起していく。血の一滴も出ない環境とはいえ、破裂して流血しないか心配になる。
と思っていたら、爆発の予兆のように、相手の身体がぶるぶる震えだした。それがちょっと普通じゃない感じがして、海瀬は思わず声をかける。
「お、おい、この期に及んで、爆発なんてしないだろうな」
自爆を得物にするなんて、どんな業を積んだらそういう話になるのか。
海瀬の半分心配、半分煽りな言葉を受けてか、中村田の振動が止まる。そこへ攻撃してもびくともしなかった。ゲームっぽく言ってしまえばスーパーアーマー状態で、そんなんできるなら最初からやってろよ、と毒づきたくなる。
そして、憤怒の色で肌を染め上げた中村田は、咽喉限界フルスロットルの大音量で絶叫した。
「邪魔だ──────────────っ!」
全身全霊の怒りを込めて、中村田は両手の戦斧を後方へ放り投げた。海瀬がすっ飛んでいく斧を思わず見届けた一瞬のうちに、中村田の固めた拳がその頬面を殴りつける。凄まじい力で吹っ飛ばされ、視界が明滅しながら回転した。
「そのためのボクシング……なのか」
脳内で呻きつつ、床に手を着いて受け身を取る。衝撃を押し殺した海瀬が再び中村田を捉えた時には、もうガチガチに握り締めた相手の拳が突き出された後だった。
手遅れかと思いきや、海瀬は素早く太刀で防御の姿勢を取り、その刀身でパンチを真っ向から受け止める──が、あっさりと刃は折れ、必死の踏ん張りも虚しく、海瀬の身体は再び宙に浮いた。窓を突き破り、校舎の外へと投げ出される。
何かに受け止められた、と思ったらアスファルトの地面だった。特大の平手で全身を打たれたような痛みに、顔をしかめつつ立ち上がる。
「アホバカに強ぇ……」
中村田もこちらを追って窓の外へ飛び出しては、跳び蹴りと洒落こんできた。
海瀬は折れた太刀を捨てると、ミサイルのように飛来する相手の足裏をむんずと掴み、すっ飛んでくるエネルギーを利用してそのまま後方へと放擲する。
「ぬああぁっ──」
ドップラー効果みたいな悲鳴を上げて、中村田は山の手とを隔てる高低差、舗装された斜面に激突──しても尚、運動エネルギーは殺しきれず、そのまま逆再生みたいに斜面を辷り上がっていき、グラウンドへと打ち上げられる。見えない馬車にでも引きずり回されているような、やもするとコメディみたいな光景だった。
海瀬は山の手の斜面に設けられた階段を四段飛ばしで駆け上がる。中村田の飛び道具として哀れな生徒たちが、中世の兵器で射出されたように投げつけられてきたが、そんなことで止まる海瀬ではなかった。
グラウンドに立つと、他の生徒が蜘蛛の子でも散らすように、わらわら山の手から飛び下りていくのが見えた。
海瀬はそんな彼ら彼女らを一瞥すると、突っ立ったまま肩で息をする中村田に言う。
「ティーチング存続派はかなり押され気味のようだが、お前は?」
「俺は……お前をぶちのめす!」
「! そうか……」
やはり、強くありたいのは海瀬を倒すため、なのだ。
──でも、それが成ったとして、お前にとってどうなる。
眉根を寄せる海瀬に、中村田は猪のように立ち向かってくる。と、思えば海瀬の数歩手前で不規則なステップを繰り出し、予測をかき乱した上であらぬ角度から蹴りつけてくる。
身をよじりって回避する海瀬に向けて、中村田は蹴りの遠心力をそのままに、戦斧を投げナイフよろしく投擲してきた。それも、ご丁寧に二本同時。手放した武器は手元にリスポーンするといっても、冗談みたいな光景だ。
海瀬は大きく横に身を投げ出して、二本の軌道上から逃れる。外れた戦斧は地面を穿って、グラウンドの土を大きく跳ね散らかした。
投げてみてから新たな可能性に気がついたらしい中村田は、戦斧をトマホークよろしくバンバカ投げ飛ばし始め、自ら放ったそれに追随するように距離を詰めてくる。
海瀬は一睨み効かせるとタイミングを計り跳躍、飛来する戦斧の刃の横面を左へ蹴飛ばすと、そのまま落ちるに任せて、駆け寄る中村田の頭部に拳の襲撃を仕掛ける。中村田はその落下拳を、腕を交差させて防御し、体幹のずれた海瀬が着地でバランスを崩したところ、その空いた顔面に左ストレートを叩きこんだ。
海瀬の視界がブレて、意識がチラつく。身体が吹っ飛ぶのを感じる。衝撃が収まるのには、しばらくもみくちゃにされる苦痛に耐えなければならなかった。
『もう落下エネルギー出払っちゃったみたいだな……』
海瀬は投げ出された身体を立ち上げながら、駆けてくる中村田を睨む。
「くそ……、素の状態だと、絶対に俺よりあいつの方が強い」
『え、それは困る……』
長いこと展開を引っ張ってきたのに、それではここでお話が終わってしまう。
「うらあああああああああああああ!」
アクセル全開の8トントラックみたいな勢いで、中村田が突っ込んでくる。内臓がナマコになったような気持ち悪さを抱えた海瀬は、それを避けるので精一杯だった。
「終わりだぁぁぁぁぁああああ!」
海瀬の目には、中村田がやけにゆっくりと駆けてきているように見えたが、これは交通事故直前の精神状態である。恐怖に縛り付けられた身体の錯覚。
「……っ」
包帯の撒かれた拳が、海瀬の身体を貫く、その直前、聞いたことのある音がした。
願いが叶った時のあのチャイムなら最高だったが、それに次ぐくらいにベストな音──重厚な発砲音。
「ぐぇ……」
肉薄した中村田の身体が、横へ吹っ飛んだ。
海瀬は音の方を見る。グラウンド側からは、最上階だけがちらりと見える程度の校舎、その窓から見たことのある対物ライフルの銃口──それは直井の持っていた狙撃銃だった。そして、そのグリップを握っているのは……。
ダメージに曇る視界でも、海瀬にはその顔が見えた。
「夢向……!」
「畜生ぉぉぉぉ!」
不意の一撃をもらった中村田が、吼えた。
「邪魔を、するなああああああああああ!」
そして、ピンチ状態の海瀬に見向きもせず、ライフルを構える夢向の方へと、真っ直ぐに突っ走っていく。
「やばい」
海瀬は身体に鞭を打って立ち上がると、すぐにその後を追った。
二度目の銃声。また命中して中村田がすっ転ぶ。高速で動く人間に命中させるとは、尋常の芸当ではない。夢向自身は傘しか持たないが、能力的には何物も扱うポテンシャルがあるということ、なのか。
中村田は撃たれながらも減速は全くしない。転んだ勢いでゴロゴロと回転しながら速度を維持すると、その勢いのまま山の手の端に到達し、勢いよく跳んだ。綺麗な弧を描いて、夢向のいる校舎上階へと着地する。
海瀬は歯噛みしながら、少し遅れて山の手の端から跳躍した。
中村田は拳を振り上げ、夢向は咄嗟に銃を盾にする。直井のライフルはワンパンでおもちゃのように破壊されてしまったが、そうして生まれた隙のお陰で、海瀬は何とか追いすがることができた。
校舎に飛び込みつつ、太刀を一閃、中村田の肩口を斬りつける。
「ぐっ……!」
怯んだ隙に二人の間に入り込み、夢向を背に庇うように、中村田と対峙した。
「女子を全力で襲うなんて、男らしくないんじゃないか」
「お、お前……」
「ねえ、中村田くん、一体何を願ったの……」
海瀬の挑発にギラつく中村田に、夢向が問いかける。身の安全などどうでもいい、ただ願いについて問い質したいという一心だった。
「聞いてどうする! 何も知らないのに口を出すな!」
反応は予想通り険しかったが、夢向は物怖じしなかった。
「知ってるよ! 海瀬に部活に戻ってきて欲しいんでしょ!」
中村田はぐぁん、と音がしそうなほどの勢いで、目を見開いた。
「……お前ェ!」
「でも、それがどうして戦うってことになっちゃうの! 海瀬をぶちのめしたって、何にもならないよ!」
海瀬を創作から隔てるものは、死への恐怖だ。
中村田の極悪なパワーで海瀬を押してくるやり口は、海瀬の傷ついた心を直に刺激する。それでは、却って中村田の本来の望みを遠ざけることになるだろう。
と、夢向の声を聞きながら、海瀬はそこまで客観的に考えることができていた。
そう、自分は死ぬのが怖くて──いや、死んで無意味になることを恐れて、結果として音楽を辞め、中村田と疎遠になったのだった。とてもシンプルな理路、だが、目を逸らし続けてきた海瀬にとって、それは黒雲のような感情に隠されていた事実だった。
それを見出した今、海瀬は気がつくことができる。
中村田が、海瀬を取り戻すために何をしようとしてきたのか。
「……ああ」
そう、人間が何かを辞めるのは、そこに恐れがあるからだ。
何故、恐れに負けてしまうのか。
それは──弱いから、だ。
「意味はある!」
夢向に反駁して、中村田が吼える。
こいつの願いは、確かに海瀬が部活に戻ることなのだろう。だが、モロクロ石はその願いを理解しない。もっと簡単で、原始的な願いだけを聞き届ける。
つまり、中村田が、願いを叶えるために何をしようとしていたか。
願いを叶えるために、何を願ったのか。
海瀬は自分の愚鈍さに笑いそうになる。何だ、最初から奴は、全て言っていたではないか。
中村田は言う。
「海瀬をぶちのめして、それで、強さを見せつけんだよ!」
──中村田は強くなりたいと願ったのだ。
その強さで、海瀬の恐れを取り除くために。
そうすれば、再び、海瀬が音楽を創り始めると信じて。
「馬鹿だな……」
海瀬は、太刀の柄を強く握り締めた。
高校デビューしたのは、弱っちそうな見た目を強く見せるためか。なよなよした姿では、海瀬が安心できないから? ボクシングなんて始めたのは、質実に強くなるため? その強さを証明するために格上に挑んだのか?
──いや、結局わけはわからないが、それは中村田の立場でも同じだったはずだ。コンペも通って、さあこれから黄金時代だという時に、海瀬はふっと音楽を辞めたのだ。何も告げず、何の相談もせず。
それでも、わけのわからないまま離れていった海瀬とのよりを戻すために、わけもわからないなりの努力を中村田はしてきたのだ。
そのがむしゃらな気持ちを、海瀬は──嬉しいと思った。
自分のために、願ってくれたことも。
武器を持つ手が、熱く、震えた。
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