第四章 強さに軋む拳 #3

 ──和籠高校生徒のみなさん、おはようございます。生徒会長の加成です。

「またぁ……」

 流れ出した放送に、夢向がうんざりとした声を上げる。さっき自らの手で同じことを引き起こしたばかりの笹原は、身につまされる思いをしたのか、シーツの裏側に籠ってしまった。

 ──また今回も生徒のみなさんに、考えて、決めて頂きたい議題があります。和籠高校において、「ティーチング」という制度が必要なのかどうか、ということです。

「は……」

 海瀬の脳裏に夏間先輩の顔と、英語の長文問題が浮かぶ。

 ──僕は、「ティーチング」と言う制度について、長らく疑問を抱いてきました。先輩が後輩の勉強をサポートするという単純な形態、これを伝統と言えばそうなのですが、今の時代に適応しているとは思えないのです。

 進学率の上昇、大学入試制度の変化、教える側と教わる側の機会の不平等、管理する教員の負担に、目に見えるわけではないその効果。塾や予備校に入るのが普通の今、希望制とはいえ、制度として維持する意味はあるのだろうか。

 加成が訴えたのは概ねそんなところだった。夏間先輩が彼に対して私怨があると言ったのは、この辺りのことか。

 ──以上の話を踏まえ、生徒の皆さんに判断を仰ぎたいと思います。「ティーチング」を継続するか、廃止するかを。

 加成は淡々と、しかし、力強く言う。

 ──最も原始的な方法で……。

「なんか、もうわかりきってる気がするけどなあ」

 夢向がつまらなさそうにぼやいた。同じような印象を持っていた海瀬は、すぐ賛意を示して頷く。

「ティーチング廃止論者が勝つな」

「ね。校長の時も思ったけど、これって生徒会が意見押し通してるだけだよね。対立派の演説はないし、関心の薄い生徒の大半は会長の方に流れるもん。かなり不公平」

 夢向のごくごくまっとうな謂いに、海瀬は考える。逆に言えば、この不公平さが何かしら、願いを叶えることに繋がるということ。夏間先輩の願いは、ここに決着するのかも知れない。

 ──「ティーチング」について、生徒による審議を行います。

 前回は、会計の鈴木が喋っていた内容を、今度は加成が喋っている。

 ──ルールを説明します。「ティーチング」の存続を支持する生徒は、廃止を支持する生徒を倒してください。「ティーチング」の廃止を支持する生徒は、存続を支持する生徒を倒してください。審議は、審議の必要性がなくなるまで続きます。

 倒すべき/守るべきイコンがあった前回までとは違い、対立者を殲滅するまで続く戦争。

 ──それでは、八時五五分、始業のチャイムを合図に始めます。

 現時刻は八時五十五分固定。

 もはやお約束のように、ノータイムでチャイム鳴り響いた。

「海瀬はどっちにつくの」

 即刻、夢向が訊ねてくる。笹原もシーツの裏からじっと海瀬を見つめてきていた。

「えっ……俺? 何でだよ」

 意見を求められて、海瀬は思わずたじろぐ。夢向は溜息を吐くと、自身の得物である黒い蝙蝠傘を見せつけてきた。

「何でだよ、って、海瀬と同じ方につくしかないからでしょ! こんなの持って対立してどうすんの、私なんて一撃コロリだよ」

「虫じゃないんだから……」

「というか、海瀬が夏間先輩知ってるのって、ティーチング通ってるからだよね。だとしたら、存続派寄りなの?」

 海瀬は息を呑む。制度的な是非はともかく、夏間先輩との関わりが、ティーチングを否定しようという気持ちを阻むのだ。

「……あぁ、まあ、どちらかといえば」

「でも、数的に有利なのは浮動票を独占してる廃止派。どっちかが全滅するまで戦いが続くって言うなら……言わなくてもわかるでしょ?」

 シーツの隙間から甲羅に籠った亀みたいに覗いてくる笹原も、同意見という風にこくこく頷いている。

「なるほど、それなら俺は廃止派でいい」

 海瀬があっさりと告げたので、夢向は目を丸くした。

「え、ちょっとは葛藤しなよ!」

「いや……実際、ティーチング行ってはいるけどさ、会長の言ってることと、考えてること同じだったし」

「そんなん絶対後付けじゃん! まあ、いいけど……」

 守られヒロイン役が呆れているが、海瀬の言ったことは別に後付けではない。その根拠に、海瀬は校長事変の折、誤解に近い形ではあったものの、夏間先輩とティーチングを理由に対立している。

 実際のところ、海瀬が夏間先輩の側へ与さなくても、何の問題はないのだ。彼女は、自分の問題は自分で解決できる。自分自身の願い、さえも──。

 


 平時から戦闘への移行は速やかだった。既に校舎方面では騒乱のどよめきが響き始めている。一応、立場は定めたものの、いのちだいじにの方針で揺らがない海瀬のパーティは、保健室待機を決め込んでいた。

 廊下側の壁には小窓がいくつか誂えられていて、海瀬はそこから校舎の様子を窺う。遠距離武器を扱う生徒は必ず見通しの良い場所へ出てくるし、近接戦闘を利する生徒はそれを追うし、援護してくれる誰かを守るためにまたそれを追う生徒もいる……戦線が拡大するのは時間の問題だった。

「じっとしてろよ」

 夢向は眠りに落ちる生徒たちの合間を、しきりに歩き回っている。

「じっとしてられなくて」

「さっきの戦闘中はできてたんだろ」

「だから、もう飽きたの」

 不貞腐れるように言いながら、ぶんぶんと蝙蝠傘を振り回す。そのありふれた日用品を見ていて、ふと海瀬は思いついたことを口にした。

「なあ、それで俺のこと殺す気で襲ってきてみろよ」

「は?」

「別の機能があるかも知れないし」

 夢向は疑わしそうに目を細めたが、一理あるなと頷いて、寝ている生徒を踏みつけながら、遠慮なく傘で殴りかかってきた。

「うりゃ! おりゃ! そい!」

「うーん……マジで傘」

 ボカスカと叩いてくるのを、上半身の動きだけで躱しながら海瀬は残念そうに呟く。小学生の時、下校の道中でよくやった傘チャンバラを思い出しながら、そのうちに回避すら面倒臭くなって殴られるままになる。全然痛くなかった。

「そんなん、わかっとるんじゃー!」

 夢向は怒り出した。怒りに伴って、少しだけキレが増した。

 合わせるように、海瀬は無造作に太刀を抜く。

 元気に刃へと突っ込んできた傘は、キン、と高い音を立てて、柄の部分でぽっきりと折れてしまった。

「あーっ! あーっ! ちょっとー!」

 夢向が泣く。海瀬は取り合わずに、抜いた太刀を虚空に振り下ろした。

 次の瞬間──ガラスが割れ、同時に高く、弾けるような音が鋭く響いた。

「いぃっ!」

「狙撃だ! 伏せろ!」

 ビビる夢向を、海瀬は有無を言わさず、並べられた生徒たちの上に押し倒す。適当に太刀を振るったように見えたのは、飛来した弾丸を防ぐためだったのだ。

 しかし、相手もただで済ませるぬるい手合いではなかった。

 続けて、二発目が飛来する。ばす、と何かが毀れる音がして、部屋の隅も隅の方で、白いシーツがふわっと舞った。

「笹原!」

 海瀬が鋭く呼びかけたが、返事はない。

 笹原は──白い布に覆われたまま、深い深い眠りに落ちていた。

「ス、スナイパーだ……」

 夢向はなんとか状況を掴めたようだった。海瀬は歯をきつく噛み締める。

「クソ、バレてる……夢向の落ち着きがなくて助かった」

「ひ、ひえ……」

「……ひとまず、ここで伏せてろ」

 海瀬は身を起こすと、周囲で寝転ぶ生徒をどかしてスペースを確保し、そこにパーテーションを持ってきて廊下側の視界を塞いだ。

「逆側の窓から外に出る、なるべく低姿勢で」

 海瀬は一通りの作業を終えると、典型的な死んだふりの格好をした夢向に言う。

「うぃす……」

 従順な返事の後、顔を上げて、先行する海瀬についてきた。

 身を屈めながら生徒の絨毯を超えていく。最初は触るのも抵抗を覚えていたが、今となっては密林の植物のようなもので、顔を踏んづけても何ら呵責も抱かなくなっていた。

 窓の下に辿り着いた海瀬は、手を伸ばして笹原の被っていたシーツを引っぺがす。笹原は全くいつもと同じような姿態で、すやすや眠っていた。実質的なリタイアなのに、安心感を覚えるのは如何なものか。

「ひのちゃん……、ここは悲しくなるべきところなのに……寝てる姿が似合いすぎてて、ほんわかしてしちゃうんだけど……」

「……幸せそうだけど、まあ、一応、仇は取る、つもりだ」

 海瀬は締まらない誓いの言葉を呟いた後、ついてきた夢向の方を振り向いて、

「先に外でてくれ」

「う……わかった。っていうか、ここの窓って開かなくない?」

「ああ、お前が鍵を封印してたんだっけな……」

 昨日、海瀬を閉じ込めるために夢向が細工していたのだ。

 太刀で割るかと手をかけた瞬間、乾いた銃声が遠くで響く。蔽いのパーテーションがぱっと裂け、同時に窓が派手なやかましい音を立てて割れた。夢向は「ひっ」と甲高い悲鳴を上げると、銃弾の飛んできた方角に怒りの声を上げる。

「びっくりすんなあ! 見えないのになんとなく撃ってくんなよ!」

「……俺、あいつ倒しに行くわ」

「えっ」

 夢向はぎょっとしたように海瀬を見る。

「あいつって、スナイパーのこと?」

「ああ。今ので位置の検討がついた」

「そ、そしたらその間、私はどうすれば……」

 夢向は不安を露わにした。海瀬は少し考えて、

「ここから出たすぐのところに、ゴミ捨て場がある。そこに隠れててくれ」

「……ふ、復讐は、何も生まないと思うのですが……」

 今回は、海瀬にキャリーしてもらう気満々だったらしい夢向は、白々しいほどの上目遣いをぶつけてきた。思えば、戦闘の度に一人で逃げ回っていたし、相当に心細かったのだろう。

「大丈夫、秒で終わらせてくる」

 そんな夢向の心情もどこ吹く風で、海瀬は確信に満ちた面差しで告げる。庇護者がその気になってしまったら、夢向としてはどうしようもない。

「ほんと……? 秒で終わらなかったら、私、そっち行くからね」

「いや……マジでそれはやめてくれよ」

 海瀬は立ち上がって窓の桟に飛び乗ると、外側の壁についた排水管を掴んで、器用に壁を上り始める。屋上から飛び降りて平気なら、上るのに何の問題があるのだろうか、と言わんばかりの態度だ。

 地上で夢向がとぼとぼとゴミ捨て場に向っているのを確認してから、海瀬は適当な階に身を滑り込ませる。ちょうど、校長事変の折に夏間先輩と戦った場所だった。未だ傷痕が残るフロアを抜けて、校舎を見下ろせる窓際に立った。

 校舎群はアメリカのアニメーションに出てくるチーズみたいに穴ぼこだらけになり、生徒たちは思い思いの場所で思い思いの戦いを繰り広げていく。大鋏VSヌンチャクがキワモノ感があって面白そうだったが、海瀬に観覧していく気はさらさらないようだった。

「あそこか……」

 目を眇めて、刺客の居場所を見定める。それから窓を飛び終え、宙に身を躍らせた。

 ほんの一瞬後、銃声が響き、窓の縁に五十口径の弾丸が命中、鈍い音が立つ。今の一発を外したのは、相手にとって痛かった。海瀬の視線も軌道も、校舎の内へ引っ込んだ狙撃者に向けて固定されている。

「うらああああああああああああ!」

 大砲から放たれたような勢いで、海瀬の身体はみるみる校舎へ接近、屋上へと着弾する直前、太刀を抜き振り上げると、全てのエネルギーを乗せて床に突き立てた。

 轟音と共に建物が揺れ、海瀬は屋上の床ごと、下の階へと落下する。

 そのまま、土埃が収まらないうちに駆け出して跳躍、着地と同時に太刀を顔の横に翳して、ぴたりと静止した。

 崩壊の残響が遠のいていく。土埃の晴れていくにつれ、いつの間にか海瀬の太刀を喉元に突きつけられ、追いつめられた生徒の輪郭が明瞭になっていく。

「笹原をやったな」

 海瀬が静かに言う。

「ああ、確かにやったけど……その仕返しか?」

 直井は得物である対物ライフルを足元に取り落とし、両手を挙げて苦笑していた。

「……お前がティーチング存続派とは思わなかった」

 友人に刃を突きつけるという非常な状況に、海瀬は即座に止めを刺すことができない。

 直井は顎を引いて、海瀬を正面に見据えながら、

「お前こそ、廃止派とは思わなかった。仲良くしてる先輩いたろ」

「それと意見はまた別だ」

「大人だな。俺はただの私情だよ」

「私情」

 あぁ、と大きな傷痕を見せるような恥じらいと共に、直井は頷いた。

「前の代でもティーチングの廃止論争があったらしくてさ」

「へえ……」

「ゆうこが存続のために尽力したって。ただそれだけだ」

「……なんというか、本当にさ」

 海瀬は苦しげに息を吐いて、言った。

「先に教えてくれ、そういうのは」

 直井が笑う。

「寝返るにはもう遅い」

「悲しいな」

 独り言ちると同時、海瀬の太刀は直井の身体を通過して床を叩き、硬い音を立てた。

 直井は芯を抜かれたようにバランスを崩し、前のめりに倒れる。海瀬は眠りに果てた直井の身体を受け止めると、ゆっくりと床へと寝かせてやった。

『初キルおめでとう』

「そうだったっけ……そうだったな」

 海瀬は太刀を収めながら、自分のしたことの手触りを確かめるように言った。本当に殺したわけではないのに、嫌な感じが掌に糊のように粘りついている。死んだわけではない、と頭の中で必死に反復して、なんとか正気に縋りつくような状態だった。

 やがて、海瀬は何かに気がついたように顔を上げる。そのまま、気を張ったまま頭の中で念を押すように訊ねてきた。

「願いが叶えば、一人残らず目を覚ますんだな?」

『夏間先輩の謂いを信じるならね』

「それなら」

 海瀬は振り返って、近づいてくる生徒と対峙した。

「これで仕舞いにしようぜ、中村田」

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