第四章 強さに軋む拳 #2

 海瀬は思わず夢向と顔を見合わせる。笹原は海瀬と幼稚園以来の腐れ縁だから、自然、同じ中学の中村田のことは知っている。二人は視線を戻し、続きを促す。

「なんか、思い切り転んだって言って顔腫らして来て、隠れるようにパーテーション勝手に動かして、奥に引きこもってた。それ見たから、私も今日、そこに隠れてたの」

 すんなりと中村田と土の話が繋がって、海瀬は頭が痛くなりかける。

「ってことは、笹原と同じパターンか? 俺と夢向が待ち合わせしてるのを聞いて……」

「多分……私は石のところでは見なかった、けど……」

「あ~、マジかあ、あいつOMC部員だったらどうしよう……」

 夢向が頭を抱えて嘆くが、今はその心配をする時ではない。

「……笹原、あいつと何か、話したりした?」

 海瀬が訊ねると、笹原は当然のように首を横にふるふると振った。

「ううん。でも……あれ、転んだ傷じゃなかったよ。殴られた……みたいな感じ、だった」

 海瀬は眉根を寄せた。

「そういえばなんか、あいつ最近ボクシング始めたって言ってたな……」

 その情報に夢向が反応して、

「この学校、結構やってる人いるよ。駅前にもジムあってさ」

「だとすると……昼休みに誰かに戦い挑んで、ぶちのめされた、とか」

 高校に入ってイキりだした中村田ならやりかねない。その向こう見ずの結果として、おしるこ騒動の顛末を聞かれていたのだとしたら──最悪が過ぎる。海瀬は何も考えないようにした。

「ま、そしたら何を願ったのかって話だけど、なんか心当たりないの?」

 夢向が言う。何も考えないようにしていようとも、海瀬には答えることができた。

「……中村田は俺に部活へ戻って欲しいと思ってる」

 もちろん、例の叶う願いの法則に従って、それが実現することはないのだが。

 元々、海瀬のその辺りの情報を持っていない夢向は首を傾げた。

「部活……? 海瀬が? 何やってたの?」

「言ってなかったっけ。DTM研だよ」

「でぃ? ……あぁ~、パソコンで作曲するやつ?」

 話が早いのは助かる、と海瀬が思ったところで、笹原がシーツから飛び出てきて、夢向の制服の袖をくいくいと引っ張った。

「瑳来ちゃん、海瀬はすごいよ」

「え、そうなの?」

 海瀬は咄嗟に止めようかと思ったが、状況が状況なのでじっと耐えることにした。笹原は熱っぽく前のめりになって、ぽかんとする夢向に言う。

「海瀬の作った曲、『シンセムジカ』に入ってるよ。『Beyond Past』って曲」

 そうと聞いた瞬間、夢向は弾ける歓声を上げた。

「エェーーーーーーーーッ! マジで! エーーー、すごい! ホントに? えっそれめっちゃ好きな曲なんだけど!」

『シンセムジカ』とは最近のアプリストアのランキングで常に上位をキープするリズムゲームだ。サイバーでシックな世界観、かっこいいキャラデザ、スコアがストーリー展開に影響する斬新さ、まあ、色々と評価される点があって流行っている。

 海瀬は、『シンセムジカ』のアプリアイコンを、夢向のスマホのホーム画面にあるのを見つけていたので、夢向がはしゃぐのを見越して目を閉じていた。

 ──自作品のファンが身近にいたことを嬉しく思うべき場面だが、素直にそんな心境になれないのはお分かりいただけるだろう。海瀬は、今までこの実績を黙ってきた理由は喋らざるを得ないだろう、と腹を括って、瞼を開ける。

「……リリースよりずいぶん前に、楽曲公募コンテストやってたんだ。で、中村田と見つけて、一緒に応募した……そしたら、俺のだけ、たまたま通ったんだ」

「エェェェ、すごすぎ、天才じゃん……え、でもさ、その海瀬をDTM研に連れ戻したいってことは、海瀬──辞めちゃったの?」

 部活を、なのか。音楽を、なのか。

 どちらにせよ、その通りだった。

 理由を話せば、深く、重くなる。

 それこそ──父の死についてはもちろん、海瀬の願った内容にまで踏み込むまでに。

 海瀬は押し黙ってしまった。仲間であった中村田はもちろんのこと、誰にも話していないことだ……この頭の中の声を、除いて。

「……話したくない?」

 決まり悪そうに夢向が聞く。

「……あまり」

「そう。なら、いいよ。なんか、何も知らないで、はしゃいじゃってごめんね」

 殊勝に謝られると弱い。しかも、他でもない、あの夢向に。

 そんなことを言えるやつだったのかと、海瀬は驚くと共に──何故だか、今ここで、洗いざらい吐いてしまうべきなのではないかと、そういう気分になった。

 中村田の願いが自分に掛かっているなら、なおのこと。

「い、いや、話す。ちょっと待って」

 海瀬は深呼吸を繰り返す。夢向と笹原は静かにその口が開くのを待つ。やがて、彼は息を詰めて、言った。

「──今年、父親が病気で死んだんだ」

 夢向は、あ、と言う顔をして押し黙る。そうなるよな、と海瀬は内心苦笑するが、もう戻ることはできない。

「あんまメジャーな病気じゃないんだけど、遺伝する可能性のあるやつでさ。一応、小学生の時に検査は受けたけど、結果知るのにビビってまだ教えてもらってないんだ」

 父と願いの関係は伏せることにした。それには話が長くなりすぎる。

「父親が生きてるうちは良かった。まだ自分の番じゃないっていうか、そういう安心感があったからだろうな。でも、今年の春に父親が死ぬのを目の当たりにして……なんか、突然怖くなったんだ。次はお前の番だぞ、って暗に言われた気がして」

 海瀬は、自分のきつく握った手を見つめる。

「死を自覚した途端、俺は音楽を作れなくなった。曲を作るのは……ハチャメチャに大変で、時間もかかる。その長い作業の間に、色々考えるんだ。いま作っているものをどんなに良くしたところで、世に出す前に死んでしまうかも知れない。父親みたいに。完成系を知ってるのは俺だけだから、俺が死ねば曲も死ぬ。そのあるかも知れない未来を考えた瞬間に……音を積み立てていく過程に、猛烈な無意味を感じるようになったんだ。足元がばらばらと崩れていくような、立っていられないくらいの虚無感……」

 耐えられなくなって、海瀬は去った。

 部活から、音楽から、創ることから。

 言い募りながら、海瀬は自分の弱さをまざまざと実感していく。

 臆病が過ぎるのだろうか。甘えているだけなのでは。俺がもっと強ければ、こんな意味のない無意味に直面することもないんじゃないか……。

 その恐れが海瀬をよりいっそう寡黙に駆り立て、理由を訊きたがる中村田のしつこい態度と相まって、関係を一方的に切る原因となった。

 これが、海瀬と中村田との確執のあらまし。

「そ、そうだったんだ……」

 夢向はその先に何か言おうとして、結局、言葉が出てこない。ただ、なんとなく、その喉の奥に何を引っ込めたのか、わかる気がした。

 そんな海瀬が願って、叶えようとすることは自然なことだと、彼女は感じている。

 確かに、彼に救いがあったとすれば、父の遺した『願いを叶える』話だった。

「それで俺は、音楽から離れた、けど、それで死ななくなるってわけでもない……結局、この不安が和らぐことはなくって」

 手を引かれるように、海瀬は続ける。

「どっちみち、病気になるかならないかは知らないだけでもう決まってるし、父親も難病って言われてたのに、五十過ぎまで生きたし……だから、俺は、健康でいたいと思うよりは、父親みたいに生きたいって思って」

 一つ、息を吸って、言った。

「生き長らえることができれば、それで良いって、モロクロ石に願った」

 ──。

 さあ、いよいよ、わかった。

 海瀬が、最初の頃に、脳内に響くこの声を厭った理由が。

 生き長らえたい、と願った人間に対するソリューションが、頭の中に別の人格を植え付けることだなんて、モロクロ石も随分と耄碌したものだ。利用者も嫌な気分になる。

 いや、もちろん、そんなことはないのだ。

 モロクロ石は立派に役目を果たしている。果たし続けている。

 どうして海瀬の頭の中で、新たな人格として目覚めることとなったのか。

 その鍵は、海瀬の願いそのものにある。

 海瀬はまだ願いを叶えていない。「叶え」の最中にある。

 そして、「叶え」の彼方にあるものは。

 ……。

「……じゃあ、悪いことしたな。追っかけまわしたりして」

 夢向がぽつりと言った。別に父と願いのことは話してないのに、と海瀬は少し混乱したが、すぐに病気の可能性がある身体のことを言っているのだと合点がいった。

「いやいや、昔は病弱だったけど、今は何ともないから平気」

「それなら良いんだけど……願いの叶え方を独占してると思って、許せなかったんだ。みんなOMC部員みたいな奴だと思っちゃってて」

 海瀬の疑問はここでピークに達する。この自他を問わず願いごとを尊重する女子生徒が、最も俗な願いごとをしていることに、どうしても納得がいかなかった。

「いや、もう、それは良いけど……なあ、夢向って本当に」

 金が欲しいだけで願っただけなのか、と訊ねようとした、その瞬間。

 また、それが始まった。

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