第三章 息を詰めて落ちていくこと #6

 彼女が味方であることを知って、海瀬の脳内に安心感が分泌されていく。

「こ、今回は味方なんですね!」

「うん。授かった命は、何が何でも、天寿まで全うすべき、だから」

 どっかで聞いた言い回しだ。知らないところで、本当にイデオロギーガチンコ勝負をしていたらしい。

 夏間先輩は、どこからともなく射られた矢を剣で叩き落とすと、冷えた目で加成の方を見やって、

「それと、私怨」

「何かあったんですか……」

「生徒会引き継ぎの時、色々……それより、ここも危なくなってきた。発案者を他の場所に」

「そうですね……剣、貸してもらってもいいですか」

 海瀬はゴールリングに収まる笹原を見上げる。

 夏間先輩は「ん」と応え、そのスリムな剣の腹を上に見せる形で、水平に構えた。海瀬が床を蹴って跳躍し、その面に足を載せるや、跳ね上げる。打ち上げられた海瀬は、綺麗な軌道を描いてゴールリングの付け根に着地した。

「移動するぞ」

「……死にたい理由がまた増えた」

 浮輪で海を漂っているような恰好で、無表情の笹原は言った。目立つのが極苦手な笹原には、耐えがたい羞恥だっただろう。

「ちょっと余裕がないから、適当に持っていくぞ」

「わぅ」

 海瀬は笹原をひょいと左の小脇に抱える。これなら右手で太刀が扱える。

 そのまま、後ろへ飛び下りる、と、矢がコンマゼロ秒前に海瀬の頭があった位置に飛来してきて、目の前に深々と突き刺さった。反射的に「怖っ」と首を竦める。さっきからしつこく狙われていて、相当厄介だった。

 加成は夏間先輩が引き受けてくれたようだ。軽い得物同士、スピード感の激しい戦闘が繰り広げられている。

 安全に床へと着地した海瀬の視界に、白い靄のようなものが浮かんだ。一瞬、太陽の光かと思ったが、違う──それは鎌の刃だった。柄と思しき棒が、海瀬の背後の方へ延びている。着地のタイミングを狙って、間合いに閉じ込められていたのだ。

「やべ」

 海瀬の腹へ吸い込まれてくる鎌の刃を、危ういところで太刀で受け止める。

「マ、マジかよ……」

 背後から動揺の声が上がる。そちらを見ると、鎌の使い手である副生徒会長の山白連やましろれんが焦った表情をしていた。海瀬の予想外の防御に虚を突かれたらしく、鎌のプレッシャーが甘くなっていく。海瀬は助けられた思いで刃を押しのけ、余白をこじ開けてとっとと脱出した。この程度の想定外に弱くて、副会長、大丈夫なのだろうか。

「どうりゃあ!」

「ぬ……」

 自由の身となった海瀬を、新たな二本の槍が襲ってきた。こればかりは仕方がなく、笹原を庇うようにして前転し、回避する。

 刺客は槍を天に掲げると、高々と名乗りを上げた。

「我が名は生徒会書記、南行友みなみゆきとも、槍の叉座とはワシのことじゃーッ!」

「今度は前田利家バカか……」

 海瀬は呻きながら顔を引いて、空を裂き、飛んでくる矢を躱す。その軌道を目で辿り、さっきから射かけて来ているのが、今期生徒会の紅一点として知られる会計、鈴木沙雪ということを突き止めた。

 海瀬は逡巡、立ち竦んだ。ヘイトを集めるのは当然とはいえ、個性豊かな生徒会の三人に囲まれている。窮地だった。

「……」

 出入り口の方を見る。混沌としているが、強引に突破できないことはなさそうだった。体育館から外に出れば、遠隔攻撃の味方のサポートを得られるかも知れない。

 咄嗟に決断した海瀬は、目の前に立ちふさがる書記の南へと突貫し、素早く切りかかる。南は片方の槍でそれを受け止めると、もう片手の槍を大きく振るった。

 その一瞬、海瀬はつけた勢いを生かしてその場で跳ねると、開いた胴に膝を叩きこんだ。悪い所に入ったらしく、「ぐ」と南は呻く。

 しかし、南の体幹が強すぎるせいで押しきれず、海瀬は後退を余儀なくされた。このままごり押すこともできただろうが、山白と鈴木に止められるのが関の山だ。

「くそ、他に味方がいれば……」

 そんな余裕のある者は、少なくとも手近にはいなかった。

 とにかく、外へ出なくては──と焦った海瀬が、愚直にも同じ行動を繰り返そうとした、その時。

 目の前で爆発が起こった。

 海瀬は咄嗟に立ち止まり、茶色い土埃で視界が利かない中、全方位に警戒を向ける。

「……何だ、迫撃砲か?」

 それにしては、焼ける火薬の臭いはしない。鼻を衝くのは──土の臭いばかりだ。

『いや……これは、もっと最悪なやつかな』

「あ、あぁ……」

 呆然、唖然、愕然、開いた口が塞がらない、の役満である。

 海瀬はそんな顔で、体育館の天井まで吹き飛んでいる生徒を見上げた。既に人形のように弛緩しており、打ち上げられた時点で息絶えるほどの衝撃があったのだ。そんな芸当ができる人物を、海瀬はとりあえず一人しか知らなかった。

 土埃は間もなく晴れて、体育館の天窓から差し込む陽の光が、そこに佇む者を照らし出す。

 細い体躯と巨大な二本の戦斧が織りなす、地獄のアンバランス。

 海瀬は絶望の面持ちになって、その名を口にする。

「中村田ぁぁぁあ!」

『封印が解けたんだ!』

「持ち主の安寺がこの戦いで死んだのかも。それで鎖が消えて──」

 茫洋と立つ中村田の足元には、飛び散った大量の土、それから大蛇が這って出てきたような大穴が空いていた。

『旧体育倉庫から、山の手を掘り進んできたっぽいね』

「脳みそ筋肉でもやって悪いことあるだろ」

 海瀬は毒づく。確かに味方を求めはしたが、いくらなんでも無分別過ぎる。まあ、今のワンシーンで南は消し飛んでしまったようなので、一応救ってもらったことにはなるのだが、それでも。

 中村田の目が、海瀬を捉えた。

「海瀬……いたな!」

「やっぱり俺狙いかよ」

 この狂戦士に立場なんてものはないらしいし、守るべきものもない。海瀬はこれから起こる出来事に思いを馳せ、遠い気分になった。

 と、どこからともなく飛んできた矢が、中村田の脳天に当たった。

「あ」

「……」

 どう考えても即死のクリーンヒットだったが、矢は玩具のように弾かれて、海瀬の足元に落ちる。中村田は顔を怒らせ、鬼のようにばっと振り向くと、

「邪魔をするなぁああああああ!」

 射手である生徒会会計の鈴木沙雪を認め、猪みたいな勢いで突進していった。

『こういうのが本当に生徒のためになる活動だよね』

「本当か?」

 鈴木がボコボコにされる場面を見るのも忍びなく、海瀬は踵を返す。

「借りっぞ!」

 と言って跳び上がり、踏みつけたのは山白の持つ鎌の上辺だった。当の持ち主はというと、予想外の出来事が起こり過ぎて石像と化していた。

 海瀬は勢いをつけると、バスケットゴール、キャットウォークの柵、と次々足場を移していき、ついには天窓を突き破って、屋根の上に躍り上がってしまった。化け物ぶりにいちいち驚くのも面倒くさくなってきた。

 海瀬は三階建てになっている窪側の体育館、機能棟の方へと走る。グラウンドにはでかいモグラがトンネルを掘ったような隆起があって、足が向かなかった。

「か、海瀬っ」

 突然、笹原が喚き出した。海瀬は変なところを触ってしまったかと、不安に襲われる。

「どうした」

「抱っこして、抱っこ! この姿勢、怖い!」

「いや、今、両手を塞ぐのはまずいから……」

 まあ、確かに下手なアトラクションよりも、よっぽどスリルのある目に遭わされているわけだが、自分の撒いた種なのだから我慢するべきだ。

 海瀬はそのまま突っ走り、山の手側から窪側への境界を跨いだ。

 直後、海瀬の真後ろが前触れもなく爆発した。

「うおおわっ!」

 正確には爆発ではなく、体育館の屋根が建設時には想定し得ないパワーで破壊されただけだった。

「ぎぃぃい────ばぁあああああ!」

 中村田が出現した。どさくさに紛れて、ごみ屑のように彼方へすっ飛んでいくのは、さっき不幸にもこの化け物のヘイトを買ってしまった鈴木だった。かわいそうだった。

「海瀬ェェェェェェ!」

 中村田が、聞いてるこっちの喉が痛くなってくるような叫びをぶちまける。

「俺と、戦えぇぇぇぇえ!」

「何でだよ! 嫌に決まってんだろ!」

 全力の拒否。無論、中村田の方も「わかった」となるはずもなく、一喝。

「うるせえ!」

 海瀬と敵対している生徒会役員たちも蹴散らしているし、中村田には審議のどちら側かに立つというルールも存在しないようだった。

 怒りの戦斧が、海瀬にめがけて振り下ろされる。溢れんばかりの殺意を背後に感じて、海瀬は脚力を振り絞って跳躍、そのまま窪側の地面へとダイブした。

 浮遊感、からの、どうしようもない落下感。

「ひっ……」

 脇に抱えた笹原が、痙攣するように身体を震わせた。三階建てとはいえ、天井の高い体育館のスケールだから、十数メートルの落下になる。普通に怖い。

 着地の衝撃はなかなかのものだったが、海瀬の足腰はそれを受けきった。激突のエネルギーを相殺するや、すぐにダッシュを継続する。

 一方、中村田の攻撃は空振り、罪のない屋根を力任せにぶちのめした。資材が大きくひしゃげ、水しぶきのように破片が飛び散る。

 その視覚的なノイズが晴れた頃には、中村田は姿を消していた。海瀬は驚いて、足を止めてしまう。と、次の瞬間、中村田は体育館三階の壁を突き破って飛び出して来た。自分で空けた穴に落ちていたらしい。

 戦斧が空気を引き裂き、不穏な音を立てながら、海瀬を強襲する──

 その時、一発の銃声が響いた。

 無防備の中村田の身体が、見えない拳に殴りつけられたように揺らいだ。

「おぉ……」

 海瀬が校舎の方を見ると、A棟の三階、身を隠す誰かがいた。銃声に聞き覚えがある──直井だ。中村田の復活にいち早く気づいてくれたらしい。

 中村田は錐もみに落下して、頭から地面に叩きつけられた。

 常人なら二度死んで来世の寿命も半減するところだが、あの中村田だ、すぐにでも立ち上がってくると、海瀬は身構えた──が、一向にその動きは見えず、思わず警戒を解きかける。

 中村田は、戦闘不能になったというわけではなさそうだったが、戦斧を杖のようにつき、生まれたての小鹿のようにガクガクしながら、その身を起こしていた。

「……え、なんかあいつ、ダメージ食らってないか」

 顔面を真っ赤に染めて、海瀬を睨みつけている。ガチギレだった。

 その様子を見るや、海瀬は叫んだ。

「直井! あいつ、重力が弱点だ!」

 三階の窓から、直井は銃身の先っちょを出して応じた。それを確認すると、海瀬は機能棟に向かって駆ける。


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