第三章 息を詰めて落ちていくこと #5

 既に笹原の所在はバレているから、早急に放送室、ひいては機能棟から移動しなくてはならなかった。

「海瀬!」

 海瀬は一階に下りると、不安そうな顔をした夢向が駆け寄ってきた。そして、両手足を拘束された笹原を見て、その色を一層深くする。

「え……もうヤバ過ぎて色々ヤバいよ?」

「あぁ、今回はヤバい、笹原が校長役だ。少なく見積もって、生徒の半分が笹原を殺りに来る」

 海瀬の大真面目な返答に、夢向は肩透かしを食らった。

「ええっと、それね、それもヤバい……どうするの」

「とにかく守りきる。夢向はできる限り自分の身を守ってくれ、くれぐれも俺たちの方には来るなよ!」

 それだけ言い置いて、海瀬は踵を返して走り出した。

 校舎とは反対側の通用口から機能棟を出て、誰にも見られていないことを祈りながら、直近の体育館に向かう。体育館は和籠高校で唯一、山の手と窪を跨った建物だ。窪側で二階へ上がると、山の手側の一階と繋がる構造である。

 何故、体育館かと言えば、機能棟からすぐ移動できる建物で、安全な方が体育館だったから、というだけの話になる。

 ──またメタっぽい指摘になるのだが、実際、事後にものを述べている立場なので、この注釈はしつこくさせて欲しい。本当に安全を求めるなら、機能棟から外の手=学校外へ逃げられる校門はすぐそこにあったが、海瀬は一顧だにしていない。はなから選択肢に上がっていないようだった。

 海瀬は階段を上がって、山の手側の体育館に移った。こちらはバスケットコートが四面分並んだ平屋だ。奥側にはステージが誂えられており、全校集会などはここで行われる。

「逃げてきたは良い、が……」

『結局、時間の問題だよねえ。経たないけど』

 勝利条件は、反対派が殺害幇助派を全滅させること。害意を持つ人間がいなくなれば審議の必要性は無くなり、笹原の意志とは関係なく審議は決着するはずだ。

 笹原には、機能棟の屋上から飛び降りるという自死の選択肢もあったが、選ばなかったところを見ると、自殺はできないものと見て良い。考えてみれば自殺というのも、モロクロ石のカバーできない複雑な前提を必要とする……のかも知れない。

 海瀬はとりあえず、ステージの上手側に身を潜めることに決め、やたら広く感じる体育館を横断していく。

「海瀬は」

 ふと、運ばれっぱなしの笹原が口を開く。

「嫌にならないの」

「自分のことをか?」

「生きてて」

「嫌になるね。だから、俺は願おうと思ったんだ。笹原だって……そうだろ」

「……」

 笹原は黙り込む。そのはずだったけど、と言いたげに、視線を斜に落として。



 ──時はちょっとだけ遡る。もちろん、八時五十五分の内ではある。

 ようやく見つけた笹原の指名を受けて、夢向が海瀬を伴って保健室に向かう道すがら、海瀬は笹原が睡眠をしきりに取る理由について話していた。夢向が聞きたがったからだ。

 笹原のプライベートの問題だから海瀬は伝えるか迷ったが、こんな状況で伏せるのも良くないと思い、なるべく簡単に伝えることにした。

「……俺たちの目から見ると、眠ってばっかりに見えるけど、逆なんだ。家で全然眠れてないから、学校で眠ってるだけなんだ」

「家で眠れないって……」

「──いとこの兄さんが引きこもっているらしい。就活に失敗して、実家から逃げ出してきて、居候し始めて……もう六年くらいか。そのせいで家ではトラブル続きだったらしい」

「……」

 受け入れたのは父親らしいが、母は良い感情を持たず、兄は軽蔑の態度を隠さない。笹原はというと、似た者の気を感じるのか、どうしても同情的になってしまう。

 問題は、鷹揚に受け入れた父が多忙のためあまり家にいないことで、そうなると家の擁護者は引っ込み癖のある妹しかしなくなる。腫物のいとこを匿う家は、ヒリついている。そのうち、笹原ひのにとって、安らいの場所ではなくなっていく。

「そのストレスで夜に眠れなくなった。その代償を昼間に払ってるってわけさ」

「……そんな生活ずっとしてたら、いつか身体壊れちゃう」

「でも、言い出せないだろうな。いとこが原因で不眠になってると知れたら、引きこもりを糾弾する格好の材料になるだろう」

 笹原も、自分の将来を無意識に重ね合わせているのかも知れない。社会に対して敏感過ぎる精神。一歩間違えれば、どう転んだっておかしくないこの身。

 申し訳なく思いながら生きていくのに比べれば、確かに永遠に眠れることは甘美に思えるだろう。



「……もう、いい。どうでもよくなりたい」

 だから、笹原は心の底からそう言うのだ。

「ああ……そうだよな」

 海瀬はとにかく肯定する。大袈裟だとか、構って欲しさに言っているとか思わず、ただ、付き添っている。それが笹原にとってはありがたく、同時に後ろめたくあることを、海瀬は知らない。

 それきり、気まずい沈黙が下りる。体育館の閉塞した空気が、くったりと身体にまとわりつくようだった。

 沼を渡るような気分でステージの上手側に辿り着く。体育館倉庫と兼用になっていて、両開きの広い鉄扉が設けられている。

 両手が塞がっている関係で、海瀬はヤンキーよろしくそれを蹴り開けた。

 と、同時に窓ガラスの派手に割れる音が響いた。

「真上……」

 海瀬は音の方を見もせずに、後ろへ飛び退く。目の前にガラス片のシャワーが景気よく降り落ち、同時に一人の生徒が落下してきた。ドス、と何かを抉るような音。

 その人物の正体を見て、海瀬は歯噛みする。

「よりによって……」

「避けられたか」

 床から凶器を引き抜きながら立ち上がったのは、生徒会長の加成大輝だった。

 水泳をしているという浅黒い肌に、広い肩幅、そして、季節的にはちとフライング気味なネックウォーマーで口元を隠しているために強調される大きい目。その手には人間の皮膚を切り裂く以外に用途が思いつかない、凶暴な形状をしたサバイバルナイフが収まっていた。

「笹原さんだよね?」

 加成が呼びかける。笹原はびっくりしたように身を竦めると、茫漠とした表情で頷いた。

「は、はい……」

「オッケー、俺はあなたを殺すことに理があると思うので、殺すよ」

「え、あ、は……はぃ……」

「こんな時でも人見知り……っ!」

 思わずツッコむ海瀬へ、加成は一足跳びに距離を詰めてきた。

 こちらの得物は大振りの太刀で、防衛対象の笹原がオプションでついていて、圧倒的に相性が悪い。どうするものかと冷や冷や見ていたら、海瀬は腕に抱えた笹原を思い切り上空へ放り投げた。

「ひぅ……」

 笹原の上げた悲鳴が遠のく。確かにそうすれば両の手が空くわけで、その間に海瀬は太刀を腰から引き抜き、爆速で繰り出されたナイフの突きを危うげなく弾く。

 しかし、こちらは長物、あちらはナイフで身なりが恐ろしく軽いときている。攻撃は止まることなく、次々と繰り出される手数の暴力をなんとか捌くばかりで、太刀で攻撃する隙は絶無だった。

 次の行動に移すことができないまま、笹原が落ちてくる頃合いになる。加成がちらと上方を窺う。彼にとっては、笹原を襲う絶好のチャンスだ。海瀬も当然、受け止める準備を始めるべき──だったが、していなかった。

 太刀を振りかぶっていた。

 意表を突かれた加成が目を見開く。

「く……そういう」

 落とされた一撃をナイフで受けるが、そのパワーには流石に耐えられず、あえなく叩き落とされた。体育館の床にナイフが深々と突き刺さる。

 間髪入れず、海瀬は追撃の袈裟斬り。これは決まったと思ったが、加成は右腕を差し出して防御した。スパッといってしまうかと思いきや、ガン、と鉄筋でも殴りつけたような感触がして、刃は受け止められた。

 海瀬は口の端を歪める。

「……仕込んでんな」

「使うことになるなんてね」

 加成は床に刺さったナイフを引き抜きながら飛びずさり、距離を取る。切り裂かれた制服の袖の裏に、銀色の金属板が見える。得物は洋風なのだが、意匠としては忍者のつもりらしい。簡単な仕込みだが、引っかかると結構むかついた。

 で、先ほど容赦なく放り投げられた笹原はというと、バスケットボールのゴールリングにお尻からすっぽりと嵌まった状態で、憮然としていた。笹原は居心地と絵面の悪さで死にたい気分だろうが、海瀬としては逃げられる心配もなく、地理的な防衛力がある。

「生徒会長が生徒を殺して良いんですか」

 場は膠着していた。海瀬の質問に、加成はナイフの柄の側面を親指で擦りながら、

「それはただ感情的に詰りたいだけだよね。生徒の要望に応えるのが生徒会だよ」

「それが生徒に危害を加えることであっても?」

「現代は『意思』尊重の時代だよ。ちゃんと耳を傾ける分、こちらの方が配慮に満ちているし、笹原さんの勇気によって、今後少しずつでも生徒の意志を表明しやすい環境になれば、長期的に見て利益は大きい」

 加成はあっさりと言ってのける。海瀬は何にも返せなかった。なんとあれ生徒会長だ、意見を述べることについては強い。

 加成は確信的な眼差しで、海瀬を見据える。

「君の方こそ、安易な『べき』論で主体性を縛るような真似が、正しいと思っているのか。君らはどうせ、授かった命なら何が何でも全うすべき、とか標榜するんだろうけど、そういう思想も数十年もすれば、スマホやゲームを敵視する老人のそれと変わらない質のものになるだろうね」

「……そうなんですかね」

 海瀬は気のない返事をする。その主張の正誤はともかく別として、彼はただ「数十年後」の未来をきちんと来させるために笹原を守っているに過ぎない。厳密には、海瀬は審議の外側に立っているのだ。

 そんな感じで、二人して叶うはずのない対話をしている間にも、戦況は着々と変化していた。突如として、グラウンド側の入り口が一挙に開け放たれたのだ。

「いたぞー!」

「笹原ァ!」

 血の気が盛んな生徒がどばどばとなだれ込んできた。同時に、窪側の体育館からも階段を駆け上がってきた者たちが現れる。敵味方の判別は咄嗟につかないが、少なくとも窪側から来たのは敵だろう。笹原がいる可能性の高い放送室を経由してきた手合いだ。

「来たね」

 加成は知ったふうに言う。一対一では埒が明かないと判断して、それっぽい時間稼ぎをしていたというわけだ。

「……夢向、無事かこれ」

 一方、海瀬は夢向のことを心配していた。夢向とは機能棟で別れたばかりだ。下手すれば敵側に見つかって、倒されていてもおかしくはない。

 そんな海瀬の不安をよそに、体育館にて、両陣が激突を開始した。

 金属の激突する音、銃声、叫喚、床を擦る音、抉る音、一気に騒々しくなる。

 海瀬の相手は変わらず、生徒会長加成。鉄板を仕込んでいるとは思えない身軽さで執拗に張り付いてくる。細々と鋭い刺突を繰り返してくるのを捌きながら、攻撃の隙を窺うばかり。

 「──おいっ!」

 突然、海瀬が上ずった声で叫び、明後日の方向を切り上げる。操作ミスでもしたかのような謎の動きだったが、パス、と軽い音がして金属片が壁に突き刺さった。それは楔型の手裏剣だった。

 加成は呆れたように、首を反らす。

「今の落とすって……」

 こっそり笹原を狙って、撃っていたらしい。

 海瀬はこれを意表と見て、加成に肉薄、袈裟に切り落とす。

 鈍い手応えと音、制服の布切れと仕込みの鉄板が吹っ飛び、体育館の床を転がっていく。

「甘い!」

 加成は肉を斬らせて何とやら、海瀬の身体を引きつけてナイフを突き上げる。

「いって……」

 寸でのところで身を翻したが、獰猛な刃はその脇腹を僅かに擦過した。追撃を予期して咄嗟に後転したものの、海瀬に追いすがる加成の姿はない。

 加成のターゲットは笹原に移っていて、とっくにゴールリングに据えられた首を取るべく跳躍していた。

「まずった──」

 海瀬が万事休すのうわ言を口にしかけた時、加成の逆方向から跳び上がった生徒が、その得物を加成の脳天に打ちおろした。

 軽い打撃音が響く。海瀬の目には頭をやったように見えたが、ギリギリ鉄板仕込みの腕かどこかで庇ったらしい。それでも、痛い一撃なことは変わりなく、加成の身は床へと投げ出される。

 窮地を救った生徒の顔を見て、海瀬は目を瞠った。

「夏間先輩……!」

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