第三章 息を詰めて落ちていくこと #3

 俎上のマグロと化した中村田は、よくバスケットボールが入っている金属製の籠に頭から詰め込まれ、鎖で厳重なラッピングを施した上で、山の手の一部を掘削して作られた旧体育倉庫に放り込まれた。校舎の南側、音楽室や美術室の収まる特課棟という建物の近くにあり、耐久性の問題と、運搬の面倒くささから今では使われていない倉庫だ。怪物の封印場所としてはうってつけだった。

 中村田の暴走により、C棟の生徒の半分が眠りについた。特に、中村田の属するC1の生徒は一人残らず全滅している。文句なしの大惨事だった。

「あいつ、アホみたいに強いから、封印破られるかも知れないけど……俺、鎖ちぎれたらわかるから、その時は言う」

 安寺はのそのそと言った。C棟の生き残りは、今回の件における最大の功労者の言葉をめいめいの胸に刻んだ。

 というわけで、一件落着なムードになった、が、もちろん海瀬は納得がいっていない。

「いや、結局コイツは何がしたかったんだよ……」

『海瀬に執着があるのは間違いないらしいね』

「それならこんな大暴れする必要ないだろ……」

 巨大な鉄球をぶちこまれたようなC棟の惨状を見て、海瀬は言う。それ以上に、海瀬をぶちのめすことが、中村田にとってどういう意味があるのか。

『それくらい、D研に連れ戻したいってことじゃないの?』

「……それならやってることは大間違いだな」

 海瀬はそう吐き捨てる。夢向に付きまとわれていた時とはまた違った、苛立ち方をしている。

 それもそうだろう──海瀬がDTM研究会を、音楽を辞めたのは、父親の死を、目の当たりにしたことが切欠なのだ。

 そのショックで生まれた心の壁を、こんな破壊的なアプローチで越えようとしているなら、勘違いも甚だしい。それが、中村田なりのやり方なのだとしても。

 まあ、この話については、海瀬にも思うところがあるようだし、後で向き合わなければならない時が来るだろう。

 中村田の件はひとまず済んだ。ようやく笹原探しに戻れる。

 今回出た犠牲者たちは、有志の手でボロボロのC1に運び込まれたが、そこに笹原の姿はなかった。

「直井、笹原って見なかったか」

「ん? そういえば、見てないな」

 訊かれてようやく思い出したように、直井は言う。誰に訊いても、そんな答えしか返ってこなかった。

 時刻は相変わらず八時五十五分。海瀬の体感では午後三時だが、実際はどれほどかわからない。時間が止まっているからか、あれだけ激しい戦闘の後だと言うのに、疲れはほとんどなかった。

「夢向もどこに行ったんだよ……」

 中村田とのコンタクトの折、逃げろ! と告げた通りにしたらしい。

 せっかく連絡先を交換したのに、時間の経過がないせいでLINEも機能しない。最後にいたB棟と夢向のクラスがあるD棟を巡ってみたが、見つからなかった。空ぶった気分でC棟に足を向ける。

『っていうか海瀬、なんかまた強くなってなかった?』

「そうか? 何でだろう」

『願いの力かな』

「それなら逆に、夢向が弱すぎるのは何なんだ……」

 叶わない願いにしたって、少なくとも土を食べた夢向が、他の一般生徒よりも弱いのは理不尽な気がする。強さを巡って、何か法則でもあるだろうか。夢向の願いのしょうもなさがモロクロ石の逆鱗に触ったとか。

 ちらほら考えを巡らせつつ、D棟の二階から連絡路を渡り、C棟の二階へ向かう。

「あ」

「あ、いた!」

 そこで、C5の様子を窺っている夢向とばったり会った。彼女も海瀬のことを探していたらしかった。

「ハルクは?」

「中村田ならまあ、なんとか封印した」

「すご! 海瀬……強いんだねえ。全然知らなかった」

 そういえば夢向はさっき初めて、海瀬の戦闘能力を目にしたのだった。

「あ、ああ……俺も何で強いのかわからないんだけど」

 海瀬は調子が狂って、微妙な反応をした。夢向が遠いものを見るような眼差しで、海瀬のことを見ていたから。

 と、一瞬でそんな気色は消え去り、負けないとばかりに両手をぐっと握り締めて、夢向は言った。

「それで私も、何か頑張らないとって思って、探したよ! ひのちゃん!」

「ひのちゃんて……マジか」

 さっきまで、笹原ひのの名前を忘れていた人間が、今では下の名前で呼んでいる。その馴れ馴れしさに、海瀬は慄いた。

「どこにいた?」

「保健室!」

 耳に馴染みすぎている場所を口にされて、海瀬は呆れた。

「え……寝てる連中に笹原はいなかったぞ」

「やられてないからだよ。パーテーションの裏に、普通にいたよ」

「は? 裏……そうか……」

 そういえば、保健室の内装が変わっていたことを今更、思い出す。健康診断にでも使いそうな仕切りの配置だと指摘したが、それだけの死角がある間取りだったということだ。

 海瀬は頭を抱えたくなった。海瀬が眠れる生徒を運んで行った時、既に保健室の床は生徒で一杯になっており、パーテーションの向こう側など覗ける状態ではなかったし、同じ部屋に生きた誰かが隠れているという考えがなかった。

「それで、願いを叶えようとしたのか、訊いたんだけど」

「あぁ……どうだった?」

 海瀬はにわかに緊張を覚える。おしるこを巡って汲々としている間、笹原が起きていたのかどうか。

 夢向はすーっと視線を逸らすと、残念そうに言った。

「教えてくれなかった」

「そうか……って、ええ、いや、それは」

 一瞬、安堵しかけた海瀬だったが、すぐに考えを改める。今回の件に無関係なら、知らないとかわからないとかいう風に答えるのが普通だ。夢向の配慮もくそもないどストレートな質問にパニくった笹原が、咄嗟に沈黙を貫いてしまう様が目に浮かぶ。──ということは。

 海瀬は静かに悟った。仮説は正しく、全ては想像通りの展開だと。海瀬は却ってすっきりした気分になった。遅刻が確定した瞬間、必死に急ぐのをやめた時のような。

 複雑な心境の海瀬に、夢向は更にこんがらがりそうな一言を放つ。

「でも、海瀬にだけは話したいって」

「え、俺……? 何で俺」

「うん。よくわかんないけど……海瀬、ひのちゃんの事情、何か知ってるんじゃないの」

 その問いかけに、海瀬の表情が引き締まる。

「……それも笹原が言ったのか?」

「ううん、邪推。でも、図星?」

「……一応、何も知らないってことはない」

「そうなんでしょ! だから、自信持って、行こ!」

 そう言って、夢向は海瀬の手を取った。突然の接触にも驚く余裕がないほど、海瀬は気を揉んでいた。

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