第三章 息を詰めて落ちていくこと #2

 時間が進んでいようと停まっていようと、事態収拾のためには動くしかない。気を取り直して、校舎へと踏み込んだ二人は何やら騒々しいことに気がついた。

「この感じ……何か戦ってない?」

 夢向が表情を硬くして、海瀬の方を窺う。

「ああ……それも、C棟の方からだな」

 嫌な気分が噴出した。海瀬のクラスはC5。下手すれば渦中である。

 校舎と呼ばれる建物群は、二棟の並びが三列連なることで構成されている。北西からAB、CD、EFとなっており、機能棟から校舎に向かうとB棟から入るのが一番近い。二人は急いでB棟からA棟に抜け、C棟への連絡路へと向かう。

 海瀬は三年生の教室群を通り過ぎながら、またも不気味さを覚える。

 C棟に近づけば近づくほど、暴力の気配が濃くなるが、彼ら彼女らは休み時間のような気楽さで各々の時間を過ごしているのだった。何かを打ち毀すような大きな音も、遥か上空を飛ぶ飛行機のエンジン音としか思っていないような。

 海瀬はまた無意識に太刀に手をかけながら、廊下を進んでいく。その太刀は夏間先輩との闘いの最中に、機能棟から落としたはずだということも、騒動に気を取られ忘れていた。とりあえず、得物は失くしても持ち主の元にしれっと戻るのだと納得しておく。

 やがて、BとCの敷居を跨ごうとした寸前、女子生徒が吹っ飛んできた。

「うおああ!」

 そのまま吹っ飛びっぱなしなら、壁か床に頭を強打して熟睡ルートだったが、海瀬がそのままうまいこと受け止めたために無傷だった。

「わああ、ありがとう!」

 海瀬の腕の中で、その女子は礼を言う。細身でポニーテールの運動部系、名前は覚えていなかったが顔に覚えはあった。C棟の生徒だからだろう。

「また戦闘?」

 下ろしながら訊ねると、彼女は唇をきゅっと結びながら頷いた。

「うん、なんか知らないけど、中村田が暴れ出して」

 ふいに、因縁の名前が出てきたことに、海瀬の表情は凍り付く。

「中村田……って誰」

 一方、露ほども知らない夢向が真顔で訊ねると、女子生徒はがっと目を見開いて、

「C1の中村田竜郎! 知らない? ま、あたしもさっき知って──」

 と、言い終える前に、一際大きな音が轟き、C棟の方から白い埃がぶわっと吹き付けてきた。三人して首をすくめる。

 夢向はその迫力にびっくりし散らかしたのか、前のめりになって、

「え、え、そ、そいつ一人が暴れてこの騒ぎ?」

「そう! なんか、特に理由もなく暴れ出して、なのにアホみたいに強いから、みんなで拘束しようとしてんの! もう、初期ハルクって感じ!」

 髪を跳ねさせながら女子生徒はそう力説した。それを聞いた海瀬は目を剥く。

「中村田対他全員ってこと?」

「そう! めちゃめちゃ強いの!」

 言ってる傍から、すぐ近くの教室の黒板が轟音と共に吹き飛んだ。夢向がきゃああ、と悲鳴を上げる。見ると、どうやらC棟の側から、ガタイの良い男子が壁を突き破って、B棟に突っ込んできたのだった。あれは助からない。圧倒的な暴力だった。

「やべえな……」

『笹原、死んだんじゃないの』

「笹原さんも巻き込まれて死んじゃってんじゃないの……」

「一度言われればわかる」

 内と外から同時に言われたせいで、海瀬はまた失言をする。夢向は「は?」と眉をひそめたが、喫緊の状況ということもあってか、特に突っ込まれなかった。

「こ、拘束しようとしてる、って、協力して倒せばいいんじゃないのか」

 誤魔化すためか、動揺を隠しながら海瀬は訊く。すると、未だ名前のわからない女子は、甘い甘いと言うように手をぶんぶん振る。

「全然死なないんだよ! もう、全然ブロリーなんだよ!」

 そして、その台詞が、彼女の最期の言葉となった。

 次の瞬間、視界に存在するあらゆる物体が白煙と共にぶち壊され、スラッガーの撃ちかました打球のように勢いよく、彼女の身体は校舎から退場していった。

 突如として降って湧いた破壊に、今までお利巧にしていたB棟の生徒たちが、今更のように騒然とし出す。

「逃げろ、夢向!」

 夢向と海瀬が無事だったのは、攻撃を察知した海瀬が夢向を伴って飛び退いたからだ。悲鳴を上げてよろける夢向を背に庇いながら、海瀬は太刀を抜く。

 混沌にどよめき霞む空気に、太刀の銀閃が一筋立ち昇った。

「ぐうおらああ!」

 次の瞬間、どう考えても人間の咽喉の限界を超えた叫び声と共に、中村田が海瀬の目前に現れ、その得物を獰猛に振り下ろして来た。

「!」

 咄嗟にその一撃を太刀で受けると、さっきまで良い雰囲気で光っていた刀身が、玩具のようにへし折れすっ飛んだ。海瀬は、弾くことでかろうじて生まれた隙を縫って攻撃から逃れ、距離を取る。

「……中村田」

 かつて、同じ部活に所属していた男子生徒は、竹竿を取るようにその得物を持ち直した。──ばかみたいにでかい戦斧を二本、それぞれ両手に携えていた。失礼を承知で言えば、一目見てインドアとわかる体躯の中村田に、全く似合っていない武器だった。

 そういう意味で異形な体裁の中村田は、海瀬を認めて小さく笑みを浮かべる。

「海瀬か、探したぜ」

「……俺を探してこの騒ぎを?」

 海瀬の問いに、中村田はそれを待っていたとばかりに、二本の斧を高く振り上げる。

「いやこれは、俺が、ただあまりにも強いからだ!」

 意味不明なことを咆哮し、力の限りに打ち下ろす。あまりにも安直な動きだが、

「速すぎる──」

 後ろに退いても間に合わないことを、本能的に悟る。

 海瀬は咄嗟に身を屈め、余命コンマ数秒の床を蹴り飛ばして、前方へ跳んだ。中村田の懐へと潜り込む形、そこには中村田の腕と戦斧の柄があるばかりで、最も凶悪な部分はない。

 海瀬のすぐ背後で斧が隕石のように床を穿った瞬間、中村田の胴部に折れた太刀の先端が叩きつけられる。

「う」

 海瀬はその勢いのまま、中村田の後ろへと回り込む。何とか優位に立ったつもりだったが、中村田は反則じみた速度でくるりと振り返ると、その凶器を再び頭上高く振りかぶってきていた。

「あ」

 これは死ぬ、と、ありもしない長年の勘が、海瀬に告げた。

 何とかしようにも、手元には折れた太刀と、謎の鎖しかない。こんなものでどうしろと言うのか──。

「いや……なんだこれ」

 海瀬は左手を見下ろして戸惑った。左手にはいつの間にか、身に覚えのない鎖が絡まって、じゃらじゃら言っている。ぽかんとするのも刹那、海瀬はその身元不明の鎖を、わけもわからないまま力いっぱい引っ張った。

 すると鈍い手応えがして、中村田の両脚が気を付けをするように、ぴったりとくっついた。見事な直立だった。あまりにも見事過ぎて平衡を保てなくなり、中村田は倒れる。

 助かったか、と思った。

 だが、既に振り上げた戦斧の勢いは、持ち主の姿勢とはもはや関係なかった。中村田の転倒と共に、海瀬めがけてその頭が倒れてくる。

「あぶねえ!」

 次の瞬間、誰かが海瀬の襟首を掴み、ぐっと引いた。海瀬の身体は後ろに退き、間一髪、戦斧が目前の空を横切って、床を吹き飛ばす。

「ギリギリ! 海瀬、マジナイス!」

 それから、すごい勢いで褒められた。わけもわからず海瀬がその声の方を見上げると、興奮気味の直井の顔があった。

「な、直井!」

 海瀬は救われた気分でその名前を呼ぶ。〇分ぶりの再会だ。いかつい狙撃銃を持ちこなしているのは相変わらずだった。

 立ち上がる海瀬に手を貸しながら、直井は主人公みたいな顔で言う。

「これであいつの脚を封じた。後は両腕だ」

 見れば、海瀬の手にあった鎖は、中村田の両足を雁字搦めにしていた。中村田は無様な格好で暴れ散らかしている。芋虫に腕と斧を与えたらこんな感じになりそうだった。

「こ、この鎖は?」

「安寺(やすでら)のだ。すこしずつあいつに絡めた」

 安寺とは、海瀬と同じクラスで、学校一背の高い男子生徒だ。心優しき巨人族最後の生き残りと名高い。直井がちらと向けた視線の先、窓の外で大きい身体の半分程度を隠している。鎖使いというわけだ。

 直井は鋭く中村田の方を見やって、言った。

「もう少しだ。あの斧を何とかしよう」

「あぁ」

 海瀬は折れた太刀を捨てて、新しいものを引き抜く。都合三本目だ。この辺の異常さについては、現在の和籠高校はワンダーランドだから、と今は納得するしかない。

「か、海瀬……」

 中村田は斧を松葉杖のようについて強引に身を起こし、海瀬を睨みつけた。まるで武装したやじろべいである。

 海瀬に対する執念。それが本物であることを海瀬は身を以って体感した。

 相手は左手の斧をベコベコに凹んだ床に突き立て、自らの身体を押し出すことで、器用に海瀬たちとの距離を瞬時に詰めてきた。不自由な格好であるにも関わらず、その動きには淀みがない。

「でも……どうせ攻撃することしか考えてないだろ」

 勢いに乗って突き出された右の斧を、海瀬は太刀で真っ向から受け止める。

 ラグビー部員五人分のタックルに匹敵しよう強さだが、速さばかりで体幹がついてきていない。防御から即座に太刀を振り切り、弾くと、中村田の態勢はあっという間に崩れた。

 その間隙を抜けるように、海瀬の耳元を弾丸が掠めていく。直井の援護射撃だった。

 五〇口径のでかすぎる弾丸が、中村田の顎を殴りつけた。本来なら頭部が消滅してお釣りの来る威力なのに、壊れ気味の世界なので、大きくよろめく程度で済んでいる。

「オーライっ!」

 それでも隙としては十分。海瀬は快哉を叫び、太刀を横に構えると跳躍した。

 中村田が再び転倒するのは目に見えていた。海瀬は翳した刀身を、不安定に揺らぐ二つの戦斧、柄の付け根に引っ掛け、全体重をかけて押し倒した。

 斧の刃が弧を描き、エポキシ樹脂の床に激しく叩きつけられる。

 そのまま、中村田の両腕を太刀で押さえ、足裏で思い切り踏みつけながら、海瀬は叫んだ。

「やったれ!」

「おう!」

 直井が応える。

 直後、鎖のスルスルと辷る音が響き、中村田の腕が締め上げられた。鎖の一粒一粒が皮膚へギチギチに食い込み、中村田は溶鉱炉に落とされたような断末魔を上げる。

「マ──ッ!」

「いや、声でか……」

 くそでかい悲鳴に、海瀬は顔をしかめた。持てる力の全てを行使してまで、海瀬をぶちのめしたいらしい。

 雑巾をそのやかましい口に詰め込むことで、C棟を襲った怪物の拘束がようやく完了する。

 

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