準備①~竜とよく見える望遠鏡~
「う……」
酷い頭痛で目が覚めた。視界には見慣れた病院の天井。俺が薬師見習いとして働いている、イリニの小さな薬屋だ。
頭痛に目を細めつつ起きあがろうと、すると誰かに止められた。
「ダメですよ。まだ安静にしていなければ」
イールオールはそう言って、頭に乗せられていた氷嚢を取る。
長い耳に銀髪の長髪。彼はエルフであり、この町で唯一の薬師でもあり、ついでに俺の師匠でもある存在だ。
「あ、イールオール……」
「レフィさん、あなたヤギを畜舎から連れ出そうとして、降ってきた物に当たったんですよ。全く、無茶をしないでください」
イールオールは新しい氷嚢を俺の頭の上に乗せて小言を続ける。
「いつも言ってるじゃないですか。見張り台の鐘が三度鳴ったら、東へ避難しなさいと。なのに家畜の心配をして自分が怪我をするなんて……。まあ、あなたらしいですけど」
「すまない。……そういえば、ヘラとナギニは無事か?」
「自分の心配をしてくださいよ。お二人とも無事です。今回の雨で怪我したのはあなたくらいなんですからね」
イールオールは小言を言い終えると、「それではヘラさんを呼んできます」と病室を出て行った。
ふう、と息をつくと、身体の力がすっと抜けた。
イールオールの小言は普段から耳にしているが、弱った身体には少し堪えるみたいだ。
しばらくして、赤く長い髪の女性が入ってくる。寝たまま手を振ると、彼女は呆れたような顔でこちらに近づいた。
「レフィ、お前が目の前で倒れた時は心臓が止まるかと思ったぞ」
「う……心配かけてごめん」
「ああ、そう弱々しい姿見せるな。甘やかしたくなる」
ヘラは自分の手を差し出して、俺の手を温めるように握った。彼女の体温がゆっくりと手のひらに伝わるのを感じて、少しドキドキする。
「やはり……あの竜はなんとかせねば」
神妙な面持ちでヘラは呟く。
竜とは、イリニの町から南側に位置する荒野に棲息している巨大生物のことだ。
その体躯は山の様に大きく、その姿は一年の殆どが砂嵐に掻き消されている為、滅多に見る事が出来ない。
唯一臨めるのは、「物の雨」が降った後の数日だけだ。その間だけ砂嵐が晴れて、竜の黒く巨大な姿を町から見る事ができる。
先程町に多数落ちてきた「物」は、恐らくこの竜が降らせている。とはいえ具体的な事は何もわからない。あの如何にも知的生物が作り上げた物の数々は、元々どこにあったのか、誰が作ったのか……。
観測上、決まった時期に降るわけでもないらしい。常に見張り台の上から観察しなければ最悪誰かが死ぬ羽目になるという、まさにちょっとした天災である。
そんな現象が始まったのはおよそ500年程前だと言う。それからイリニの町は、ずっとあの竜と共に暮らしている。
「まあ、今はとにかく安静にしてろ。何か欲しいものはあるか?何でも用意してやるぞ」
ヘラはまるで本当に何でも出来る様な顔で言った。この意味もなく得意げな表情をするところが、彼女の楽しいところだと思う。
「ナギニはどうしてる?」
まさか病室に入れられるとは思わないが、場の雰囲気を明るくする為少し冗談を言ってみた。
すると、ベッドのすぐ隣にある窓に、何かがぶつかる音がした。
窓を開けてみると……。
「うっ」
ヤギが顔を突き出して、ぬるりと顔をひと舐めしてきた。どうやらずっと窓の外にいたらしい。
目を丸くしている俺の様子を見て、ヘラはクスクスと笑っていた。
――――――
翌日、俺は退院するとヘラと共に「熊の巣穴」へと向かった。名前だけ聞くと物々しいが、いわゆる領主の客人をもてなすための建物である。
「熊の巣穴」には町の住人の中でも、専門家と呼ばれる者たちが集まっていた。エルフを始めドワーフやコボルトなど、イリニの町には様々な種族が住んでいるが、その中でも所謂「癖者」たちが専門家と勝手に呼ばれ、時々こうしてここに集まるのだ。
中では昨日降ってきたであろう「物」を床に並べて、各々が調べたり意見を交換しては、夢中で紙に何かを記録していた。
「物の雨」降った直後は、領主の客人がいない限りはこうして研究会を開くのが常となっている。ここで得た知識や考察が役に立つこともあれば、立たないこともある。まあ、研究とはそういうものなんだろう。
「おお、レフィ!無事で何よりじゃ!」
建物に入るなり、小さなダークエルフが筆を片手にこちらへやってくる。
「パータム、何でお前がここに?」
パータムは洞窟生まれのダークエルフという種族である。シデの樹のような色の肌に黒い髪、黄色い瞳が特徴で、パータムはその長い黒髪を後ろで三つ編みにしている。
しかし彼女はただの絵描きである。何かに詳しいとしても、絵具の材料になる鉱物や油の事くらいだ。専門家として扱われることは無いはずだが……。
俺の質問に、パータムは謝って虫を踏み潰したような顔をした。
「いや……それがな……まあこっちにこい」
パータムに連れられて会議室へと向かう。扉を開けると、ドワーフ、コボルト、獣徒の代表が大きな机を囲み、一つのある物を真剣に眺めていた。
「何か珍しい物でもあったのか?」
俺は空いている席に座って、皆の顔を見回す。
「ああ、これ見てくれよ」
ドワーフ族の代表であるギムダが、机に置いてあった物をレフィに渡した。
「ただの望遠鏡に見えるけど」
「そいつだけ降ってきた時に壊れなかったんだ。試しに、そこの窓から竜を眺めてみな」
会議室の奥には、荒野を眺められる窓がある。レフィは言われた通りに窓を開けて、望遠鏡をのぞき込んだ。
「これは……すごいな!竜の姿がよく見える!」
望遠鏡から目を離したところで、思いのほか大きな声を上げていたことに気づき、振り返る。ギムダがニヤニヤしながら「いいからもっとよく見てみろよ」と窓の外を指した。
恥ずかしさを堪えてもう一度望遠鏡を覗く。
砂嵐が消えて竜の巨大な身体がはっきりと見えた。筒を回して拡大すれば、竜の頭の鱗の流れまで見ることが出来る。
俺は夢中になって竜の身体のあちこちを観察した。意外と起伏のある背中の刺は、太陽の光に充てられて黒々と反射している。
竜の頭の方へ望遠鏡を向ける。特に目立っているのは、三本の大きな赤い角と、レンガ造りの……レンガ?
「えっと……え……?」
混乱の末、一旦望遠鏡を下ろした。何かの見間違いだろうか。
また覗いてみる。
……やっぱりある。
竜の身体の上に、レンガ造りの家がある。
「あれ、見間違いじゃないよな」
「ああ、見間違いじゃない」
「い、家が……竜の身体の……しかも頭の上に」
「ああ、最高にクールだよな」
ギムダの言葉に俺は自分の耳をも疑った。
「ほぼ一年中砂嵐で覆われていて、しかも大きく揺れる竜の身体の上に、何故か原型を留めたままレンガ造りの家が建っている。これはすごい技術だぞ、レフィ!」
ギムダは興奮して椅子から立ち上がる。
「あの竜には俺たちの知らない高度な文明があるんだ!調べなきゃ損だろ!」
俺は更なる衝撃発言に思わず、部屋にいる専門家たちの顔を見回した。
みんな、気まずさから眉間に皺を寄せて押し黙っている……。
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